ボ・ガンボスは1989年、入魂の一作『
BO & GUMBO』で時代を変える旅に出た

1月28日。今年もどんとの命日が巡ってきた。一般的な知名度は高くないかもしれないが、どんとが在籍していたバンド、ボ・ガンボスは早くから業界内で注目されていた存在で、デビュー前から「近い将来、確実に武道館でやれるバンド」としてX(現:X JAPAN)と並び称されていたと言えば、そのポテンシャルの高さを感じとってもらえるかもしれない。もっと手っ取り早いのは彼らのデビュー作『BO & GUMBO』は聴いてもらうことである。絶妙なバンドアンサンブルが奏でるグルーブ感は今聴いても瑞々しく、邦楽名盤のオールタイムベストに挙げられるほどの傑作であることがわかってもらえると思う。

デビュー前から話題になっていたバンド

筆者はローザ・ルクセンブルグをリアルタイムで聴いていたわけではなかったが、ボ・ガンボスがデビューする頃、「ローザ・ルクセンブルグを辞めたどんと(Vo&Gu、本名:久富隆司)が新しく立ち上げたバンドはすごいらしい」という噂は人づてに耳にしていた。ボ・ガンボスのデビューは平成元年=1989年。『三宅裕司のいかすバンド天国』、通称“イカ天”がスタートした、まさにバンドブーム直前であり、「どんとの新バンドがすごいらしい」という話は業界内での先物買い的な指向もあったのだろう。この業界に足を踏み入れたばかりだった筆者が当時、他によく聴いていたのは松任谷由実の『Delight Slight Light KISS』、COMPLEXのデビューアルバム辺り。“セカンドライン”という言葉を知っていたかどうかも怪しい頃で、ニューオーリンズはおろか、ファンクやらR&Bにもさほど興味はなかったにもかかわらず、ボ・ガンボスの1stアルバム『BO & GUMBO』はよく聴いていた記憶がある。
とは言っても、リピート率が高かったのはユーミンや『COMPLEX』のほうだと思っていたのだが、本稿作成にあたって、久しぶりに『BO & GUMBO』を聴き直してみたら、M1「助けて!フラワーマン」~M2「泥んこ道を二人」~M3「魚ごっこ」辺りは、歌詞はおろか、ヴォーカルのフェイクまで覚えていて、「こりゃ相当聴いていたんだなあ」と、我がことながら、ちょいと不思議な感じだった。そのことを即ちボ・ガンボスの音楽の優秀さと結び付けるわけにもいくまいが、ボ・ガンボスの楽曲が普遍的であることは間違いないし、演者の熱がこもった音楽であることを再確認させてもらった次第である。

確かな演奏力に支えられた“ごった煮”
ミュージック

バンド名のボ・ガンボスとは、どんとが敬愛するアーティスト、「R&Rの産みの親」と言われるボ・ディドリー(Bo Diddley)の“BO”と、米国ルイジアナ州ニューオーリンズ地方の伝統料理 “GUMBO”を合わせたもの。“GUMBO”とはシチューに近いごった煮スープで、メンバーのDr.kyOnこと、川上恭生(Key)が“ガンボ・ミュージック”であることにこだわり、バンド名に“GUMBO”を推したと言われる。この“ごった煮”感こそがボ・ガンボスの音楽的特徴である。何をごった煮にしたかと言えば、ニューオーリンズR&Bやファンクといった黒人音楽の中でも濃い目のソウルミュージックと、日本流の耳馴染みのいいメロディー、そして日本語とを…である。
洋楽と邦楽との混ぜ合わせは、別にボ・ガンボスが初めてではない。それこそ60年代のグループサウンズもそうであるし、はっぴいえんどもユーミンもそうであろう。しかし、グループサウンズほとんどはビートルズの影響下であったろうし、はっぴいえんどはバッファロー・スプリングフィールドやモビー・グレープ、ユーミンにしてもプロコル・ハルムだったり、1960年代の欧米音楽の吸収であった。ボ・ガンボスのメンバーにしても、ビートルズやローリング・ストーンズ等、60~70年代洋楽の影響も少なくなかったはずだが、ボ・ガンボス結成時にはボ・ディドリーやジェームス・ブラウンといったルーツ音楽中のルーツ音楽である米国ブラックミュージックを取り入れたことが大きかった。というか、そんなバンドは他にはなかったのである。RCサクセションの音楽性はそれに近いものだったが、清志郎の出で立ちからか当時は未だパンク~ニューウェイブに括られることの方が多かったのだ。そんな中、ボ・ガンボスは見事にR&Rのルーツを吸収して自らの音楽として昇華させたのだった。
その“ガンボ・ミュージック”は確かな演奏力によって支えられていた。ボ・ガンボスは結成直後から精力的にライヴ活動を展開。88年にはメジャーデビューも決まらぬ状態のまま、年間100本を超すステージに上がったという。リハーサルも徹底して行ない、1曲を1時間も演奏し続けるようなセッションもあったという逸話も残っている。そんな練りに練ったバンドアンサンブルを携えて、憧れの地であったニューオーリンズで作り上げたアルバムが『BO & GUMBO』である。レコーディングにはボ・ディドリーや、ニューオーリンズ出身のパーカショニスト、シリル・ネヴィルも参加し、メンバーにとってこの上ない制作環境で作られたことは間違いないが、そのテンションがしっかりと音源に落とし込まれていることが何よりも素晴らしい。ファンキーでポップ。歌、ギター、ベース、ドラム、キーボード、そのどれもが跳ねて、うねって、弾けている。“グルービー”と言えば簡単だが、とにかく楽しそうなのである。それゆえに、収録曲は1コード、2コードを繰り返すものが多いが、決して聴いていて退屈するようなところはなく、しっかりとスリリングさと奥行きが感じられる。ダラダラせずにキレが良く、楽曲全体がダンサブルでリスナーをグイグイと引っ張る。ミディアム~スローのM6「夢の中」、M9「トンネルぬけて」にしても、妙なウェット感はなく、演奏に温かさが感じられる点もいい。まさに“GUMBO”のようなトロトロさだ。

時代を変えたブレイクスルーの精神

サウンド、メロディーもさることながら、ボ・ガンボスを語る時に忘れてはならないのが、そのメンタリティーであろう。
《会社づとめ つまらねえ 試験勉強イライラするぜ/幸せは全部売り切れ! ハイ!ごくろうさん/だから心ある人よ この世の真 求める人よ/殺される前にひとあばれするのさ/こんな社会につばをはき/ダイナマイトに火をつけろ!》(M5「ダイナマイトに火をつけろ」)。
《Hey Hey~ 飛び出せ/俺はどぶねずみ/Hey Hey~ 飛び出せ/生まれ変わるのさ》《おまえに言いたいことがある/死んでるばかりじゃくさっちまうぜ/かんおけけとばし はいあがるのさ/地獄の旅に けりをつけるのさ》(M10「ZOMBIE-ZOMB☆(ゾンビ・ゾンバ)」)。
《しばられるのは 自分が悪い/自分が変われば 世界も変わる/おれはもう目が覚めた/おれはもう目が覚めた/自分を変えろ 自分を変えろ/大地震で》《固い頭は 虫でも食わないよ/自分を変えよう 何回でも変えろ》(M12「目が覚めた」)。
行き詰まり状態の打開、あるいは難関や障害を突破せんとする、ブレークスルーを目指すリリックが目立つ。「聴いていると『俺は何か大きなものに勝てるんじゃないか?』と思わせる音楽がロックだ」と、とあるアーティストが言っていたが、まさしくそんな気分にさせてくれるアガる歌詞である。
アルバム『BO & GUMBO』は第31回日本レコード大賞においてアルバムニューアーティスト賞を受賞。彼らはことさら邦楽シーンの変革を訴えたわけではなかったが、ボ・ガンボスは確実にシーンに風穴を空けた。1994年にどんとが脱退してバンドは活動停止。さらに2000年にどんとが急逝し、《何も元へはもう戻らない 欲しいものはいつでも/遠い雲の上》(M6「夢の中」)となってしまったわけだが、昨年、Dr. kyOn監修の元で『BO & GUMBO』のリマスター盤を含む3CD+DVDのボックスセット『1989』が発売されたように作品が発表されたり、専門誌で特集されたりと、今もボ・ガンボスの話題は尽きない。どんと、ボ・ガンボスの魂は不滅である。

著者:帆苅智之

OKMusic編集部

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