Do As Infinityのヒット作
『DEEP FOREST』に
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『DEEP FOREST』(’01)/Do As Infinity

『DEEP FOREST』(’01)/Do As Infinity

Do As Infinityが6月5日、自らの過去の楽曲をリアレンジした作品集『Lounge』を発表。ということで、今週は彼女たちのオリジナル作品の中で最高セールスを記録したという3rdアルバム『DEEP FOREST』を取り上げてみた。デビューから20年が経って、ヴォーカリストの伴都美子は二児の母となり、現在は生活の拠点を熊本市に移してマイペースに活動しているようであるが、デビュー間もない頃のDo As Infinityとはどんなユニットであったのか。『DEEP FOREST』をもとに振り返ってみた。

メロディーと歌詞にある大衆性

今回久々に『DEEP FOREST』を聴き直して、優れた工業製品のような音楽ユニットだなと思った。非の打ちどころがない…とは流石に言わないまでも、ポピュラー音楽としてとてもよくできている。語弊があるので誰のどの曲と…とは言わないが、まずそのメロディーは同時代のアーティスト、バンドと比べてもまったく遜色がない。いや、遜色がないどころか、どれもキャッチーでとても分かりやすい。M1「深い森」、M2「遠くまで」、M8「Week!」、M9「冒険者たち」といった一連のシングルチューンはもちろんのこと、M3「タダイマ」、M5「翼の計画」、M9「Hang out」、M11「遠雷」などの旋律も実に親しみやすいものだ。さらに巧みだと思うのは、伴都美子(Vo)の声やレンジとの相性の良さ。彼女はさまざまな歌唱法を駆使するヴォーカリストでも、ことさら声量をひけらかすタイプでもなく、どちらかと言えば、生真面目な歌い方をシンガーと言えると思う。良くも悪くも個性的すぎないという言い方もできるかもしれない。だが、そこがいい。親しみやすさを助長するというか、簡単に言えば、その楽曲を誰もが口ずさみやすくしているのだと思う。

歌詞の内容がそこに拍車を掛けている。いい意味で具体性に乏しい歌詞が多いのである。以下、シングル曲を例に挙げよう。余白が多い故に行間を想像してしまい、そこに自身を重ねることができる歌詞ではなかろうか。

《僕たちは 生きるほどに/失くしてく 少しずつ/偽りや 嘘をまとい/立ちすくむ 声もなく》《僕たちは さまよいながら/生きてゆく どこまでも/信じてる 光求め/歩きだす 君と今(振り返る/道をとざし/歩いてく 永遠に)》《立ちすくむ声もなく 生きてゆく 永遠に》(M1「深い森」)。

《あの丘の地図さえ (見失って)/色あせてく このときめき/三日月の こもれ灯 (いつの間にか)/僕照らしてる この場所から/始めてみよう》《夜だからあの星は (輝けるよ)/知ってますか? 思い出して/ひび割れた大地に (水あげよう)/一つぶずつ 両手で雨/集めてみよう》(M2「遠くまで」)。

《ラッシュに飛び込んでく Monday/気に入らないスーツで Tuesday Wednesday/コピーにつまづいてる Thursday/切り抜けただけの Friday ずっと》《会えないまま 過ぎてく Weekday/空白になったまんまの Saturday/突然 彼氏のTEL Sunday/口ゲンカ だらけ BADな Holiday》(M8「Week!」)。

《揺らぐ陽炎(かげろう) 過酷な旅/道のりは遠きけど 後に 続け》《気まぐれでは行きつけない/思いつきなど まかり通る事なく》《例え 朽ち果てて/全て 失くしても/きっと 悔やみはしない/new frontier 待っていろ/いつか この後に/道は できるだろう》(M10「冒険者たち」)。

M8「Week!」は辛うじて現代の物語であることが想像できるが、それとて、心地の良くないことが連続していることが分かるのみで、どんな主人公であるか、その背景らしきものも示されてはいない。M1「深い森」、M2「遠くまで」、M10「冒険者たち」に至っては、歌詞だけではそのシチュエーションはほぼ分からず、進むべき道(と言ったらいいだろうか)が示されているのみである。

そして、これもまた伴都美子に合っていたと思う。ファンならずとも、当時のDo As Infinityを知る音楽ファンならば、彼女がクールな雰囲気の漂うアーティストであったことをご存知ではなかろうか。筆者は一度だけDo As Infinityにインタビューした経験があり、そこで伴と話したことがあるのだけれども、こちらがイメージする20代前半の女性に比較すると、随分と落ち着いた感じで話す人であったことを思い出す。そんな彼女のキャラクターがあったからこそ、聴く人が感情移入しやすかったのかもと想像する。

感情移入ということに関して言えば、“僕”という一人称が多いというのもその要因であろう。M1「深い森」、M2「遠くまで」、M10「冒険者たち」がそうだし、上記以外ではM5「翼の計画」もそう。老若男女問わず、歌詞の世界観に入り込みやすい作りが成されていたのではと思う。その一方で、これはアルバムならではのことだと思うが、M11「遠雷」のような歌詞があることも見逃せない。

《隙間ない入道雲の下 あの日は 母と二人/日傘を差して 手を引かれ 歩いてた 夏の道》《これからくる夕立の予感 響く遠雷/あれからの私達をまるで占うような》《あの日のあなたに近づいて はじめてわかる/突然しゃがみ込んで流した 最後の泪》(M11「遠雷」)。

余白は余白でも、シングル曲とは異なり、わりと明確なシチュエーションと、少ないがはっきりとした言葉だけを示して、聴いた者が考える余地を残している。優れた映画を見るかのような余韻がある。シングル曲で見せたDo As Infinityらしさの派生のようでありつつ、そんな歌詞の楽曲をアルバムのラストに置くことでユニット自体に対する捉え方自体も変わってくるかのようでもある。心憎いばかりのアクセント。この辺も巧みである。

OKMusic編集部

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