『Missing Link』に見るV系シーンを
けん引した才気! 結成25周年を迎え
た生真面目なバンド、PENICILLIN

今回は90年代中盤のビジュアル系バンド黄金期に、その一角を成したバンド、PENICILLINを紹介する。そのバンドの特徴は以下に記すとして、特筆すべきは、これまでメンバー脱退こそあったものの、彼らはこの25年間、一度もその活動を休止していないことであろう。解散→再結成が一概に悪いとは言えないし、そりゃあ解散を嘆くことも、再結成を喜んだりすることも分かるが、本来、称えられるべきは活動を継続し続ける彼らのような存在である。25年もバンドを続ければ、まさに“継続は力なり”──褒められていい事実だと思う。彼らは結成25周年を記念したライヴツアー『25th ANNIVERSARY TOUR 25th Penicillin Shock』を5月に東名阪で開催する。このライヴはもっと注目されてしかるべきである。

メジャーデビュー時の異例な展開

賢明な読者の皆様はすでにご存知のことかと思うが、この“これだけはおさえたい邦楽名盤列伝!”では結成〇周年やデビュー〇周年という節目の年を迎えたアーティストを取り上げることが多い。結成20周年の10-FEET、RIZE、ムック、結成40周年のTHE STAR CLUB、そして先週はデビュー30周年のエレファントカシマシを取り上げた。この他にも“周年アーティスト”がスタンバっており、随時ご紹介していく予定であるが、少し前に編集部から「PENICILLINが今年結成25周年です。邦楽名盤でどうでしょうか? 推し盤はありますか?」とのメールをいただいた。正直に告白すると手元に彼らの音源がなかったので、「ま、いずれね…」くらいの気持ちで返信をしないでいたら、後日、「PENICILLINの音源はこちらに全部あります! まず『Missing Link』を聴いてください!」という掴みかからんばかりのメールをちょうだいしたので(かなり誇張)、流石に無視はできない。編集部の強い想いを忖度するしかない当方である。…と、楽屋落ちはこのくらいにして、今回はPENICILLINの1stフルアルバム『Missing Link』を取り上げつつ、彼らの軌跡、バンドとしての特徴を紐解いてみようと思う。
PENICILLINの結成は1992年、メジャーデビューが1996年である。所謂ビジュアル系バンドと分類して問題なかろう。90年代前半結成のビジュアル系バンドは数多く、それらのバンドたちの躍進が後にこのジャンルの黄金期を形成していく。PENICILLINはその一角を担うバンドであったばかりか、一時期はシーンをリードするバンドであったことは間違いない。彼らにバイオグラフィーを見てみると──まず、メジャーデビュー前、1995年2~7月の目黒鹿鳴館でのマンスリーライヴ、および同年9月の渋谷公会堂での初ホールワンマン公演をを即日ソールドアウトさせている。これだけでも十分にすごいが、この年、ミニアルバム『INTO THE VALLEY OF DOLLS』と『EARTH』の2作品を発表。加えて、翌月10月には前年にリリースした1stアルバム『Missing Link』を再流通させた。何がすごいかと言うと、この時、彼らはインディーズのまま、この3枚の作品をそれぞれ別のレコード会社から発売したのである。当時、筆者自身、「なかなか豪儀なことをやるものだな」と思った記憶があるし、その大胆な戦略は界隈でかなり話題になっていた。その翌年、1996年3月のシングル「Blue Moon /天使よ目覚めて」でメジャーデビューしたわずか4カ月後、日本武道館公演を実現させる。しかも2デイズ。当時としては極めて異例なスピードとスケールであった。PENICILLINの異例はまだある。その武道館公演の興奮も冷めやらぬなか、同年9月、メンバーがソロ活動をスタートさせる。HAKUEI(Vo)がシングル「ZEUS」を、千聖(Gu)がシングル「DANCE WITH THE WILD THINGS」を発表。その後、GISHO(Ba)は“大滝純”として歌手、俳優としてデビューし、O-JIRO(Dr)もユニット“808”を結成して音源をリリースしたのだ。今もバンドからのソロデビューとなると、ある程度の本隊での活動を経た上で、良くも悪くも新たな活路を見出すためのものであることがほとんどだが、メジャーデビュー直後のメンバーのソロ活動デビューは珍しいし、メンバー全員となると他に例がないのではないだろうか。これも当時かなり話題になったことを覚えている。当時のマネジメントが優秀でもあったのだろう。良い意味でビジネス的であり戦略的であり、それが上手くハマっていた。お見事であったと思う。

正調なるビジュアル系バンド

さて、いくら巧妙な戦略があっても、実行する側にそれに見合う実力がなければどう仕様もない。メジャーデビュー後のPENICILLINは各種メディアへの露出も増えて、日本国内のみならずアジア諸国でも認知度を上げ、ついに1998年1月にリリースした6thシングル「ロマンス」が90万枚の売上を記録。本格的なブレイクを果たすわけだが、実力もないバンドが一般層に分け入れるわけもない。「ロマンス」のヒットこそが彼らの確かな技量の証左と言えるだろう。そのバンドとしてのポテンシャルは1stフルアルバム『Missing Link』に見ることができる。インディーズでの発表が1994年、その後、1995年10月に一部楽曲のリミックスとインストを加えてメジャーで再流通された本作。90年代中盤のビジュアル系の黄金期、さまざまなビジュアル系バンドが群雄割拠していた時期を象徴するサウンドがここにはある。ヴォーカリゼーション、サウンドの中心たるギターのコードと音色、そしてビート感。ビジュアル系なる漠とした音楽性が収斂されていった過程を垣間見る資料のようであり、その徹底ぶりはどこか生真面目さすら感じるほどである。彼らは黄金期に先駆けてこれをやっていたのだから、PENICILLINがタイムマシンで未来からやってきたバンドでもなければそれを意図的にやるわけもないわけで、彼らが時代に対応する能力があった証左、あるいは時代に対応しようと懸命に活動してきた証であろう。
まず、歌。おそらく西城秀樹に端を発し、吉川晃司辺りを経由して、清春(黒夢、SADS)や松岡充(SOPHIA、MICHAEL)ら多くのヴォーカリストに受け継がれていった歌唱法を、HAKUEIも会得している。ここが真っ当なビジュアル系である印象を強くしていると思う(この歌唱方法と歌詞のマッチングがいいのもPENICILLINの特徴であり、ここは後述する)。パンキッシュなリズムも随所で聴ける。これもビジュアル系然としていて、実にいい。特にM7「FIORE」のスカビートは、ビジュアル系の源流にパンクがあることをしっかりと認識させてくれる史料でもあろうかと思う。また、M5「マゾヒスト」が顕著で、M2「Brand New Lover」辺りでも聴くことができるビートが急転する箇所の躍動感も、これまたビジュアル系バンド…とりわけライヴバンドの面目躍如たる部分であろう。もっともビジュアル系らしいのはギターサウンド。テンションコードを多用するというのはDEAD ENDから目立ってきたもので、これまた多くのバンドに受け継がれているものであり、それこそテンションコードを使わないビジュアル系バンドはいないほどではあるが、この点にもPENICILLINは忠実である。M2「Brand New Lover」辺りが顕著で、アルバム2曲目にこれを置いているのが心憎い。あと、イントロ部分の先端に──例えば、M1「Chaos」ではクラシカルなアコギ、M9「螺旋階段」ではオルゴール的な音(ギター? シンセ?)、M10「Virginal」ではパイプオルガン風の音色といった具合に、何かフックとなる音を置いて、そこから転調してバンドサウンドを展開させるという手法がいくつか見られるが、この辺にも生真面目さが感じられるところである。
個人的に注目したのは歌詞である。徹底した様式美の露呈がとにかく素晴らしいと思う。
《記憶の中の甘い吐息/僕の身体に絡み付き/痛みを忘れ 澄みわたる/黄泉の世界へ 今旅立つ》(M1「Chaos」)。
《ガラスの台詞を胸に抱き/遠くを見つめて 立ち尽くす/雲裂く羽ばたき/水面に映して/輝いた身体/願いは消え去る》(M2「Brand New Lover」)。
《乾いた体癒すために君は 踊っていた/楽しそうに笑い僕を誘い出す/二つの影が重なってベッドに横たわった/魅力的な体 僕を狂わせる/赤く染まった手のひらは僕の心を奪い取った》(M4「Miss Cool」)。
《きらめくKnifeを 胸に突き立て とぎれとぎれに語りかけた/ワインレッドのしぶきをあびて 動けないあなたにKissした》(M6「Nightmare Before Christmas」)。
《小さな花びらさえ すべてを包みこんで/運命の砂時計に 逆らうことは出来ない/あなたの声を聞いて 涙に明けくれても/なくした時の重さ 誰もはかれやしない》(M7「FIORE」)。
《いばらの中 閉じこめられ 刺が刺さる あざわらう天使/おびえながら 息をひそめ 耳をふさぐ 道化師のように》(M8「Melody」)。
《色あせた言葉は 時間に逆らい/音もなく崩れて 彼方へと消え去る/霧の中さまよい 失われていく/忘れかけた声と 初めての痛み/霧の中さまよい 答えを探して/忘れかけた恋と 初めてのときめきを》(M10「Virginal」)。
黄泉の世界。ガラスの台詞。赤く染まった手のひら。ワインレッドのしぶき。運命の砂時計。あざわらう天使。霧の中さまよい──。歌詞の物語はおそらく失恋や片想いといったところで、マキタスポーツ言うところの“言葉の上位互換”がなされているのであろうが、それにしてもそこにどっぷりと浸かってなければ、これほどの言葉たちはなかなか出てくるものではないと思う。これもまた、彼らが当時のシーンに極めて真摯に向き合っていた証明であろう。

意欲的なサウンドに見るプライド

随所にビジュアル系然としたものがあると言っても、PENICILLINは単なるそのエピゴーネンではないことは最後に強調しておきたい。その点は意欲的なサウンドの試みに表れている。分かりやすいのはM4「Miss Cool」とM9「螺旋階段」。共に歌メロの抑揚で楽曲全体を引っ張るタイプではないが、それゆえにサウンドメイキングが興味深い。M4「Miss Cool」はファンク。しかも、同期を取り入れたデジファンクといった容姿で、派手なバンドサウンドを含めて、頑張って楽曲全体を底上げしようとした様子が伝わってくるようである。M9「螺旋階段」はさらにメロディーの抑揚が薄く、展開自体も単調だが、その繰り返す様をコードを変化させることによって、まさに歌メロを“螺旋階段”のように仕上げている。これはなかなかの聴きどころである。また、M5「マゾヒスト」やM2「Brand New Lover」でライヴバンドの面目躍如たる部分があると前述したが、バンドアンサンブルの妙はM11「Imitation Queen」でも確認できる。所謂コア系ナンバーで、パンキッシュでノイジーではあるものの──いや、だからこそ、であろうか。スリリングかつグルービーなバンドアンサンブルを聴くことができる。これを“BONUS TRUCK”としてアルバムのラストに収録する辺りに、筆者はPENICILLINのバンドとしてのプライドを感じたところでもある。

著者:帆苅智之

OKMusic編集部

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