独自のスタイルを見出したシンガー、
大貫妙子の傑作『ROMANTIQUE』

 今年6月、アコーディオン奏者の小松亮太とのデュオアルバム『Tint』をリリースしたばかりの大貫妙子。アルバムとしては通算28枚目となる。最初のソロ作が出たのは『Grey Skies』('76)だが、それ以前に属していた、山下達郎をリーダーとする、あまりにも有名なシュガー・ベイブの『Songs』('75)を含めれば、デビューから40年、その間に驚くほど旺盛な創作活動を続けてきたのだと、そのディスコグラフィーを眺めながら心底びっくりしている。アルバム制作の合間にはライヴ活動もある。そればかりでなく、シングル曲、テレビや映画の主題歌、コマーシャルソング、他のアーティストへの楽曲提供も行なっている。おまけに執筆活動もある。ラジオのDJを担当されていたこともある。世界中を旅し、アフリカや南極といった、楽には行けないところにまで足をのばしている。おっと忘れるところだった、農作業もやっている…というのだから、この華奢な女性シンガーのどこに、これだけの仕事をこなすエネルギーがあるのかと。少しもマンネリに陥ることなく、それでいて長いインターバルを取ることもないのだから、尽きることのない創造力の泉、その深さを思ってしまう。

 今回も苦しみながら選ぶことになった。自分では決めきれず、何人もの人にフェイバリットアルバムを尋ねたりもした。それが錯綜に輪を掛けた。アルバムはどれをとっても高い完成度を示し、必ず珠玉とも言える曲が含まれている。坂本龍一をパートナーに制作された1980年代以降の作品をはじめ、CD/デジタル時代を迎えてリリースされてきた諸作はサウンドのクオリティーも非常に高く、洗練されており、新旧という感覚さえ惑わせられた。最初は他人の推薦を優先して、人気曲が多く含まれる『Cliché』('82)を選ぶことに決め、繰り返し聴き返したのだが、結局、現在に通じる大貫妙子の透徹としたヴォーカルの、強く、美しさを今なお伝え、明確なコンセプトをもとに作られた傑作として『ROMANTIQUE』('80)を選ぶことにした。まだ20代だった瑞々しい歌声を知る作品として、またアルバムを持っていない方にも、彼女が独自のスタイルを見出したたきっかけとなった作品とされるもので、代表作のひとつとして、ぜひ持っておきたい一枚である。
 本作はソロ通算4作目となるもので、次作の『AVENTURE』('81)、次々作『Cliché』('82)とともにヨーロピアン三部作と呼ばれることになる、その最初の作品となる。
 このアルバムが出た頃は、世間は完全にニューウェイブ全盛期のただ中であったと思う。本作でアレンジャー、演奏者を務めている坂本龍一も、イエロー・マジック・オーケストラでの人気が沸騰し、超多忙な日々を過ごしていた時期だ。パンク、ニューウェイブ、テクノ、ジャズ、さらにはワールドミュージックと呼ばれる、アフリカやブラジル、南米、中近東、アジアの民族音楽、またはそこから派生した新たな音楽が渾然となって、海外ではトーキング・ヘッズの『Remain In Light』('80)のような斬新な傑作が生まれるなど、さまざまなジャンルから猛烈なリリースラッシュが続く中、ポップスやロックのリスナーも70年代半ば以降の米国西海岸を中心とするメインストリームとはまったく異なる音楽の新しい潮流、刺激、時代の変化、価値観、創造性の違いを肌身で感じていたものだ。ラジオやテレビを通し、あるいはそこかしこから響いてくる、騒々しく、無機質なサウンドが街を支配する中、アコースティックな音の調べ、時流に左右されない確固としたスタイルを貫き通す大貫妙子の歌声には、ハッとさせられるものがあった。
 当時、ロンドンやドイツから欧州の音楽は流れ込んできてはいた。新主流とも言うべきニューウェイブ群の中でもニューロマンティックス派というような、エレクトロサウンドとディスコミュージックを連動させたようなバンドも乱立し始めていたのだが、どこかひと時のムーブメントというか、薄っぺらな印象が強かった。対する大貫妙子のアルバムからは、そうした流行音楽にありがちな「軽さ」とは一線を画すような巧みなソングライティングがあり、普遍的な物事のありようや世界観、さらには高度な芸術性が、その音作りや詞の中にあるような気がした。
 当時、歌の背景にヌーヴェル・ヴァーグやその時代の雰囲気を漂わせる音楽は、国内においては大貫妙子のアルバム以外には、加藤和彦の80年代の諸作『うたかたのオペラ』('80)、『ベル・エキセントリック』('81)、『あの頃、マリー・ローランサン』('83)、『ヴェネツィア』('84)ぐらいしか思いつかない。その加藤和彦がアレンジャーとして関わっていることも、本作と次作『AVENTURE』('81)をことさらヨーロッパ風味が薫る仕上がりにさせたのかもしれない。とはいえ“ヨーロッパ”と言われても、実際にヨーロッパの世界を描いているわけではなく、それらしさ、雰囲気を大貫妙子を通して表現していくということで、疑似ヨーロッパ感というべきか、むしろ70年代の佇まいを残した東京というシティの情景が表現されているととらえるほうが適当かと思う。“ヌーヴェル・ヴァーグ”という線も、ゴダールやトリュフォーというよりは、個人的には例えば『ぼくの叔父さん』等で知られるジャック・タチのサウンドトラックに聴けるような、小粋で垢抜けたセンス、空気感が伝わってくるのだが。
 参加ミュージシャンも豪華なものだが、全11曲中6曲にイエロー・マジック・オーケストラのメンバーに大村憲司のギターを加えたラインナップが参加しており、他の曲もムーンライダーズ / はちみつぱいのメンバーやシュガー・ベイブのかつての仲間、ラストショウのメンバーなど、腕達者なミュージシャンで固められている。

1.CARNAVAL

アルバム中一番、YMOの参加を感じさせるのがこの曲だろう。シンセの音などは今の耳で聴くとさすがに時代を感じさせはするものの、もちろんきらびやかなテクノサウンドが鳴り響いているということはなく、むしろエッジの効いたサウンドに、意外と力強い大貫のヴォーカルが絡み、緊張感のある曲に仕上がっている。“カルナヴァル=カーニヴァル”。熱狂的というよりは、どこか都会の冴え冴えとした喧噪を感じさせる風だろうか。アルバムからは、この曲がシングルカットされた。

2.ディケイド・ナイト

今に通じる大貫の音楽がすでに完成していると感じさせる。繊細なヴォーカルで都会の空虚な世界観が綴られていく。この曲もYMOのメンバーが全員参加しているが、一聴するとあのテクノの3人組みというよりは、ティン・パン/キャラメルママ的な演奏と言えるかもしれない。

3.雨の夜明け

名曲だと思う。細野晴臣を除く坂本、高橋のYMOの両名にストリングスを加えた演奏。静的なサウンドに大貫の美しいヴォーカルが、まるで澄んだ空気の中を通っていくように響いていく。ヨーロッパ的というのか、映画のシーンでも観ているようなイメージにとらわれる。シングル「CARNAVAL」の裏面にも収録された。

4.若き日の望楼

これも名曲。やはりYMOの3人が演奏し、大村憲司のギターを加えているだけなのだが、アコースティックピアノを弾く坂本龍一の演奏が素晴らしい。遠い時代を懐かしむように、モノクロームの映像が脳裏をかすめていくようで、メロディーも歌詞も実に映像的といえる。

5.BOHEMIAN

細野晴臣の巧みなベースが堪能できる。ジャズピアノ風に弾く坂本龍一のアコースティックピアノが「若き日の望楼」同様、実に美しい。

6.果てなき旅情

アナログ時代はこの曲からB面となっている。先の5曲は坂本龍一のアレンジであったのに対し、この曲から加藤和彦の担当になる。変調があったり、ワルツ風展開が挿入されたり、凝った作りに加藤和彦らしい個性が感じられる曲。ドラマチックだ。

7.ふたり

異国の荒涼とした街を逃避行している男女の光景が浮かんでくるような。この曲も途中、ボサノヴァ風のリズム、演奏に転調し、凝った作りだ。当時、ボサノヴァを取り入れた和製ポップスなんて、他にあっただろうか。次曲「軽蔑」とともに演奏の中心は鈴木慶一、武川雅寛を除くムーンライダースの面が担当しているが、さすがと言える器用さを示している。

8.軽蔑

一転して、パワーポップのような勢いのある曲。ある意味、時代を感じさせもする。大貫のヴォーカルは実に繊細だけれど、違和感なくロックな曲調になじんでいる。現在ではこういうスタイルの曲を披露することは珍しいだろうし、新鮮に響いてくる。

9.新しいシャツ

ベスト盤などにもよく組み込まれる、これも大貫の代表曲だろう。再び坂本龍一のアレンジで、演奏もYMOが担当している。アコースティックとも言えるサウンドで、たまらなく美しい歌詞に、胸が締め付けられそうになる。日本を代表するギタープレイヤーだった故・大村憲司のリードギターもいい。

10.蜃気楼の街

シュガー・ベイブ時代の『Songs』に収録されていた曲のセルフカバー。ドラムスをシュガー・ベイブのかつての仲間、上原裕が担当している。ピアノは清水信之。アレンジは加藤和彦で、やはりベースにはボサノヴァが見え隠れする。『Songs』でのヴァージョンと、ヴォーカルに関しては大きな違いはないが、改めて曲の良さを実感させてくれる。

11.愛にすくわれたい

最初のLPでのリリース時には含まれていなかったが、現行のCDでボーナストラックとして追加された。アレンジャーのクレジットが見当たらないので確認できないのだが、ボサノヴァ調であるところからすると、加藤和彦だろうか。松下誠とのテーマ部分のコーラス(デュエット)など、とても印象的だ。
 こうして改めて全曲を聴き通し、コメント程度だが曲の印象を付してみた。本作における大貫妙子はヴォーカリストとして、すでに完成されたスタイルを示している。どういうヴォーカルなのかと説明するのは難しい。彼女と同時代のシンガーたち、例えば吉田美奈子、荒井由実(松任谷)、矢野顕子、さらに枠を広げて金子マリなどとも比べても、彼女たちほどには、大貫妙子からはあまり影響を受けたのではないかとおぼしきバックグラウンドを感じさせない。まだシュガー・ベイブ時代の歌声からは、キャロル・キング(ソロ・デビュー前に組んでいたバンド、The Cityあたり)等の米国のシンガーソングライターの影響をほのかに感じることもできるが、当然のことながらソウル、ブルース系のシンガーに類似するシンガーを見つけることはできない。強いて挙げればクラシック音楽や映画音楽、ブリルビルディング系のアメリカンポップス、シャンソン、ブラジルのボサノヴァ、英国のバラッドシンガーを探ってみたほうが、少しは似た傾向を見つけられるかもしれないが、これという核心には行き着けない。そうは言っても、誰かに影響を受けなければ、シンガーを目指し、このポピュラー音楽の領域の中で仕事を続けていくはずはなさそうなものだ。書かれた著作や過去のラジオ番組等でもしかしたら、そうした点を語られているものがあるのかもしれないが、まぁ、あえて確かめずおく。ちなみに、彼女の最初の音楽の活動は高校生の時に組んだ、“三輪車”というフォークグループということなのだが、どんなふうだったのだろう。音源なんて残っていないのでしょうね?
 昔も今も、一聴して大貫妙子だとわかる彼女のヴォーカルは唯一無二のものだと思う。大きな抑揚を付けることもなく、淡々とひと言ひと言を丁寧に発音し、歌っていく。とても線の細い声質だ。それでいて、芯の強さを感じさせ、美しい。時にアーティストの真摯な発言やシンガーの歌声に居住まいを正すような心持ちにさせられる時があるものだが、大貫妙子のヴォーカルにもそうさせる力を感じてしまう。
 それ以上にうならされたのは、やはりソングライターとしての才能だろうか。本作の11曲の全てを自作(歌詞・作曲)しているのだが、アレンジャーがいるにせよ、完成度は恐ろしく高い。どこかで作曲を学んだのかどうか、シュガー・ベイブ時代に書かれた曲でさえ非凡な才を示していたが、まだ20代という本作の制作段階で、こんな質の高い曲が書ける人はそうはいないのではないだろうか。旋律にしても、それに乗る歌詞も通俗的なところに流れることは一切ない。そこには人や暮らし、自然や生き物に対する深い考察があり、平易な表現で、なおかつありきたりな言葉を使うことはなく、いかにも時間をかけて推敲を重ねたであろうことをうかがわせる。
 アルバム制作のいきさつについては、Wikipediaにもアップされているので(https://ja.wikipedia.org/wiki/ROMANTIQUE)詳しく知りたい方はそちらを参照されるといいと思うが(手抜きではありません。念のため)、少しそこから拾ってみると、シュガー・ベイブ時代から付き合いのあったプロデューサー牧村憲一氏の提案でヨーロッパっぽい音楽をやってみるにあたり、大貫の声質にヨーロッパ的なものを感じた加藤和彦から歌い方やサウンドイメージとしてフランソワーズ・アルディのような…というアドバイスを受けている。そのイメージを音にしていく作業を担ったのが加藤氏ともうひとりが坂本龍一だったわけだが、今聴いても古さをまったく感じさせない、研ぎ澄まされたようなアレンジはさすがと思わせられる。加藤和彦のアレンジはこの人らしい遊びが効いているというか、“ヨーロッパ”と言いながら、この頃、よほどそのサウンドに入れ込んでいたのだろうかと思い巡らせるほど、いくつもの曲でボサノヴァのテイストが生かされている。“ヨーロッパ”を謳いながら、ボサノヴァが使われているというのが面白いというか。そう言えば、60年代の軍事政権下、ブラジルの多くのアーティスト、アルゼンチンのタンゴ等のミュージシャンがその活動拠点をヨーロッパに移していたものだが、ヨーロッパで奏でられるボサノヴァ、タンゴ…と、一瞬考えが飛躍していった。
 本作と次作『AVENTURE』('81)は本人のポートレートをモノクロームでデザインしたものに対し、3作目『Cliché』('82)ではジャケットはカラフルなポップな色調にデザインされる。加藤和彦がプロジェクトから離れたからというわけではないだろうが、中身もぐっと趣を変え、明るいサウンドになる。これもぜひ聴いていただきたいアルバムとしてオススメしておく。
 最後になるが、大貫妙子のどのアルバムをピックアップするかという段階で迷いに迷った私は、知り合い数人にフェイバリットアルバムを尋ねたということは、最初のほうで触れたけれど、その折に大貫妙子についてどういう印象を持っているのかも訊いてみた。直感的な意見ばかりなので、挙げてみると「とてもしっかりと自分というものを分かっている人」「きちんとしている人」「センスのいい大人の女性」「クール」という声がある一方で、「相当な頑固者ではないか」「取っつきにくいところもありそう」「質の悪い冗談を口にしたら永遠に無視されそう」などという意見もあった。パブリックイメージはそういうところらしい。なるほどと思うものもあれば、過去のラジオ出演の際の屈託のない笑いやユーモアを交えた柔らかな口調が記憶に残っていたので、私は案外、面白い人なのではないかと思うのだ。ライヴパフォーマンスもコンスタントに行なっているので、何度か生のステージにも接したことがあるが、そのパーフェクトなステージングを観ていると、本当にプロフェッショナルらしく、自分に厳しい人なのだろうなと思ったものだった。共演者にもよるけれど、その時はあまり冗談も言わなかったけれど。
 40年以上、ブレずに音楽活動を続けるなんて、持って生まれた才能はもちろん、自分に課したものをキープし続けなければ出来ないものだろう。これまで、私自身も彼女音楽以外の部分には特に関心を持たずに来てしまったが、『ROMANTIQUE』を聴いて、少し大貫妙子ってどういう人だろうかと知りたくなった。ちょうど音楽生活40周年を記念して、昨年、初のオフィシャルファンブック『大貫妙子 アニヴァーサリー・ブック』(河出書房新社)が出版されている。坂本龍一、細野晴臣、矢野顕子、奥田民生、竹中直人、鈴木慶一、金子飛鳥といった音楽家から、大橋歩、江口寿史、ヤマザキマリ、よしもとばななといった他分野の著名人の寄稿もあり、いかにも幅広い層に支持者がいることを示している。また、2013年には自身の執筆でシュガー・ベイブのメンバーとしてデビューしてから40年のこと、葉山での両親との日常、庭にくる猫、秋田での田植え、買わない暮らし、歌をつくり、歌うこと、そして母を、父を見送り、札幌に新しい家を借りるまでといった8年間の暮らしを綴ったエッセイ集『私の暮らしかた』(新潮社)が出版されている。アルバムを聴きながら、読んでみるのもいいかなと思っている。

著者:片山明

OKMusic編集部

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