『FANTASMA』(’97)/CORNELIUS

『FANTASMA』(’97)/CORNELIUS

コーネリアスの傑作『FANTASMA』は
渋谷から生まれた音楽の最終到達点

今春、実に11年振りとなるシングル「あなたがいるなら」「いつか/どこか」を2カ月連続でリリースしたCORNELIUS。6月28日には、これもまた11年振りとなる待望のオリジナルアルバム『Mellow Waves』を発表し、夏の『FUJI ROCK FESTIVAL '17』への出演を挟んで、秋には全国ツアー『Mellow Waves Tour 2017』をスタートさせる。いつになく活発かつ積極的に活動を展開するコーネリアスの動向から、今年下半期は目が離せない感じだが、当コーナーではそんなコーネリアスの1997年の大傑作『FANTASMA』を振り返る。90年代を代表するだけでなく、邦楽のオールタイムベスト作品として推す人も多く、日本の音楽ファンなら一度は耳にしておいて損はない名盤中の名盤である。

アルバムで聴くことを大前提に作られた
アルバム

優秀な映画監督は普通の人とは異なった脳の使い方をしているという話を聞いたことがある。正確な言い回しは忘れたが、映画制作においては何次元もの考え方をしなくてはならならないといったような話だったと思う。1本の作品に関わるあらゆる要素──脚本、演出、画、劇伴等々を同時進行的に、それでいて全てを同じバランスではなく、立体的にまとめるというのは確かに相当複雑な作業である。また、それを自身の頭の中でまとめ上げる作業というのはなかなか常人が簡単に真似できるものではない。しかも映画は不可逆なものであり、フィナーレに向けて観客を感動させたり、驚かせたり、笑わせたりしなくてはならないわけで、そう考えると映画監督の仕事はほとんど驚異的なものだと思えてくる。すごい。
では、音楽ではどうだろうかと考える。オーケストラやオペラの音楽監督、指揮者には、やはり映画監督に近い思考力が必要だろう。オリジナル楽曲であれば、ビッグバンドや合唱でも同じことが言えるかもしれない。大人数の演奏者を司ったり、楽曲の構成を考えるという点で立体的な思考が不可欠と思われる。ただ、いつも当サイトで紹介しているようなアーティストはどうだろうかというと、最近のバンドは内部にソングライターがいて、各パートのアレンジはそれぞれにお任せというケースも多いようで、そうであれば上記の話とはいささか趣が異なるような気もする。必要なのはどちらかと言えば組織力で、求められるのはスポーツチームにおける個人のような思考ではなかろうか。だが、ソングライティングからアレンジまで自らこなすソロアーティスト、あるいはバンドの一員でもその人がプロデューサー的な存在である人物の場合は、やはり何次元かで思考する頭脳が求められるのではないかと思う。しかも、ひとつの楽曲だけでなく、それらを10数曲連ねてアルバムを作ることになれば、これは映画と同様に複雑な作業となることは間違いない。
というわけで、コーネリアスの『FANTASMA』である。まず、このアルバムは内包された情報量が半端じゃないことを先に記しておく。まぁ、ある程度、楽曲の解説は加えていくが、正直言って、筆者はその元ネタを全て露わにする自信はまったくない。本稿にそれを期待しないでいただきたいが、とにかくさまざまな要素が詰め込まれていることを理解してほしい。それだけでも十分に名盤に価するものなのだが、本作のさらにすごいところは、小山田圭吾はオープニングであるM1「MIC CHECK」からほぼ曲順通りに曲を作っていったということだ。「MIC CHECK」のエンディングから“この曲の次はどうなるんだろう?”と考えて曲作りを進めたという。少なくとも日本の多くのバンド、アーティストのほとんどが、おそらく出来上がった曲をいい具合に並べていって曲順を決定していると思われるが、『FANTASMA』はそういう作りではない。このアルバムはこの曲順での聴き方がベスト…いや、というよりも、この状態でしかない聴きようがないアルバムなのである。『FANTASMA』収録曲の何曲かが国内外でシングル発売されているが、これはあくまでもアルバムからのシングルカットということになる。たまに“自分(たち)はアルバムアーティストです”というような主張を耳にすることがあるが、本当のアルバムアーティストというのは、この時のコーネリアスのようなアーティストを言うのだろう。そして、ほとんどひとりで頭から終わりまで、頭の中にある音像を現実に表現していった小山田の思考力は、前述の映画監督の頭脳にも似た驚異的なものであるとも言える。

録音方法、サウンド、曲間へのこだわり

前述の通り、『FANTASMA』はM1「MIC CHECK」から幕を開けるのだが、「MIC CHECK」はバイノーラル録音が施されている。バイノーラル録音とは《ステレオ録音方式の一つで、人間の頭部の音響効果を再現するダミー・ヘッドやシミュレータなどを利用して、鼓膜に届く状態で音を記録することで、ステレオ・ヘッドフォンやステレオ・イヤフォン等で聴取すると、あたかもその場に居合わせたかのような臨場感を再現できる、という方式である》(Wikipediaより引用)。簡単に言うと、実際に耳で聴く状態に近い、臨場感のある音での録音である。小山田は専用の機材でさまざまな音を録り、効果的なものを並べて「MIC CHECK」を作った。自らが高校生の時に体験したバイノーラル録音を覚えていて、それを実践したのだという。『FANTASMA』初回限定盤に特製イヤフォンがセットされていたというが、これにはこうした音響効果もしっかりと体験してほしいとの意図があったのだろう。こんなことをやる人は小山田圭吾以外にはそういない。彼がそれだけひとつの作品に対して強いこだわりを持っている証左でもある。また、話は前後するが、曲順通りに作っていったという収録曲は、「MIC CHECK」以降、M2「THE MICRO DISNEYCAL WORLD TOUR」~M3「NEW MUSIC MACHINE」~M4「CLASH」と最後までシームレスにつながっていく。曲間の空白がないのだ。ここにも、アルバムはあくまでもアルバムとして聴かれてほしいという、小山田のこだわりを感じるところである。ここまでくると、こだわりというよりも制作者としてのいい意味での執着や意地と言ったほうがいいのかもしれない。
さて、肝心の内容である。件のバイノーラル録音のさまざまな音(ライターを灯す音、缶を開ける音、口笛等)を経て、《あー、あー、マイクチェック、あー、あー、聞こえますか?》という小山田の声がキレのいいビートと綺麗なメロディーの乗せられてM1「MIC CHECK」がスタート。そのエンディングで《STAR》と歌われる声が延び、重なり、そのままM2「THE MICRO DISNEYCAL WORLD TOUR」へとつながっていく。ハープの音色、ディズニーの映画音楽のようなキラキラ感、抜けのいいアコギの音、幾重にも重ねられた小山田のコーラスと、冒頭から数多くのサウンドが詰まっていることが分かる。後半近くはノイズを含めてさらに音が重ねられていくが、それがハウリング的なノイズが入った瞬間にカットアウト。一転して現れるのは、エッジの立ったギターサウンドと疾走感あふれるビートに乗ったロックチューンM3「NEW MUSIC MACHINE」だ。グイグイと迫るバンドサウンドだが、後半に進むに従ってサイケなサウンドが重なり、ループ感と相俟ってまさに幻想的な音世界が広がっていく。アウトロ近く、人が大勢集まっているような雑踏の音が入り、M4「CLASH」へ。タイトルこそ“CLASH”で、歌詞にも“ミック・ジョーンズ”が出てくるが、その実、落ち着いた印象のテンポでボサノヴァっぽいサウンドで、これまた世界観が一変。音はキラキラしていて、どこかさわやかな感じから始まるものの、サビは轟音系で、これを“静と動”と語るのは単純すぎるかもしれないが、そういう構成だ。小山田のコーラスワークやプチプチとした電子音が独特の浮遊感を生み出してもいる。

ブライアン・ウィルソンら、先達たちへ
の敬愛

まだ、続く。M4「CLASH」はスクラッチノイズと共にカットアウトされ、6拍子のロックナンバーM5「COUNT FIVE OR SIX」が聴こえてくる。躍動感あるサウンドではあるものの、終始楽曲を支配し続ける数字を数えるロボ声が、どこか熱すぎないというか、独特の温度に仕上げているところが面白い。アニメ映画『Mr. Magoo』のレコードを元ネタにした、インタールード…と呼ぶには豪華な作りではあるM6「MONKEY」を挟んで、M7「STAR FRUITS SURF RIDER」。リズムはラテンで、サビはドラムンベース。シンセストリングスもブルースハープも狂暴な感じの電子音も重なり、後半で左右から交互にノイズが迫ってくるなど、かなりカオスなサウンドだ。その一方で、歌メロはとてもやわらかく、抒情的でキャッチーという…正直言って、何と形容していいか分からないが、混沌としているものの、全然嫌な感じがしない、面白いバランスの楽曲である。ちなみに「STAR FRUITS SURF RIDER」はシングルでもリリースされているが、当初、小山田は「STAR FRUITS」「SURF RIDER」という2枚のCDを同時発売することを考えており、その2枚のCDを2台のプレイヤーで同時に鳴らすと1曲になるというアイディアを持っていたというから、やはりこの人の考えることは半端じゃない。その案はレコード会社からは却下されたが、結局、「STAR FRUITS SURF RIDER」はCD2枚組で発売され、各CDのカップリング曲を使うと彼のアイディアを実現することができたという。
このあと、M8「CHAPTER 8 〜Seashore And Horizon〜」~M9「FREE FALL」~M10「2010」と続いていく。タイプの異なる2曲を半ば強引にミックスしたM8、ハードロックテイストのM9、バッハ「小フーガト短調」を電子音とドラムンベースで表現したM10と…ここもまた聴きどころは多いのだが、本作『FANTASMA』はどういったアルバムであるか──M11以降にその答えがあると思う。歌詞にもあるThe Jesus And Mary Chainの「Just Like Honey」のコーラスワークを取り入れたM11「GOD ONLY KNOWS」。このタイトルはThe Beach Boysの歴史的名盤『Pet Sounds』の収録曲と同じだ。The Beach Boysの「GOD ONLY KNOWS」は小山田が在籍していたフリッパーズ・ギターの『DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER -ヘッド博士の世界塔-』でかなり大胆にサンプリングした楽曲でもある。M12「THANK YOU FOR THE MUSIC」はカントリー調のポップソングで、ここまで聴いてきた『FANTASMA』収録曲のダイジェスト版が重なる(この手法は『DOCTOR HEAD'S ~』でもやっていた)。そして、アルバムはM13「FANTASMA」で締め括られるが、これはThe Beach Boysのアルバム『20/20』収録曲「Our Prayer」へのリスペクトが感じられるナンバー…いや、ほとんどカバーと言ってもいい仕上がりである。
《さあ よく目を閉じてごらん/耳をすましてごらん/君の手もとにある ヘッドフォンかけてごらん/君の耳の 奥の方の 頭の中/流れ込んでく 信じられない/音の世界が いつまでもずっとつづく》(M3「NEW MUSIC MACHINE」)
答えは、「THANK YOU FOR THE MUSIC」のタイトル、あるいは上記のストレートな歌詞が示す通りで、それを述べてしまうのは粋ではないが、惜しみない音楽へのリスペクトなのだと思う。フリッパーズ・ギター時代から続くThe Beach Boys、ブライアン・ウィルソンへの敬愛っぷりに、それを色濃く感じることができる。偉大なる先達たちへの最敬礼である。1980年代後半から90年代前半において世界でもっともあらゆるレコードが集まっていたと言われる渋谷で、それを漁るように聴きまっくていた人たちが作った音楽=所謂“渋谷系”──『FANTASMA』は、かつてそう呼ばれたジャンルの頂点にいたアーティストのひとりが辿り着いた高みである。

著者:帆苅智之

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OKMusic編集部

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