アメリカへと乗り込んだ4人のサムラ
イ、ラウドネスの偉大なる爪痕『Thu
nder In The East』

 先頃、国内外のHR/HMシーンで“30周年”というフレーズをよく耳にする。30年前の1985年と言えば、アメリカ・ロスアンゼルスから火が付いたヘヴィメタル・ブームが全世界に波及した、まさにヘヴィメタル黄金時代の真っ只中。この年にリリースされたアルバムのひとつが、日本を代表するヘヴィメタル・バンド、ラウドネスの通算5作目にして全米デビューアルバム『Thunder In The East』だ。

1981年にデビューしたラウドネスは、結成当初から海外進出を念頭に置いたバンドだった。初期作品から外国人エンジニアを起用するなどして、本場にひけを取らないサウンドを追求してきた。楽曲クオリティーの高さ、卓越した演奏力、そして4人のメンバーのスター性。こうした要素が揃った彼らは、国内HR/HM勢において明らかに別格の存在であった。特に、ギタリストでありメインソングライターでもある高崎晃の才能とカリスマ性は、バンドの人気を力強く牽引した。
「日本にすごい奴らがいるらしい」。バンドの評判は海を渡り、遠くアメリカやヨーロッパにの目ざといメタルファンのもとにまで届いていた。それを聞きつけたバンドは、本場での度胸試しとばかりに1983年7月、初渡米しライヴを行なう。現地のリリースがまったくなかったにもかかわらず、オーディエンスの反応は凄まじく、追加公演が出るほどだったという。この時のパフォーマンスと熱狂的の反応が米アトランティックA&Rの目に止まり、傘下のアトコ・レーベルと契約。およそ18カ月後、プロデューサーにマックス・ノーマンを迎えた5thアルバム『Thunder In The East』が、全米のレコードショップの店頭に並んだ。
純国産のヘヴィメタルバンドが、アメリカの名門大手アトランティックとの契約を勝ち取ったというニュースが当時の国内音楽シーンに与えた衝撃は計り知れず。契約しただけに留まらない。『Thunder In The East』はビルボードの総合アルバムチャート最高位74位を記録し、100位圏内に19週とどまった。この記録はラウドネス自身の翌年発表のアルバム『Lightning Strikes』の64位によって更新されるが、それ以降日本のロックバンドでこの記録を突破した者は未だに1組も出てきていない。
アメリカへ進出するにあたり、バンドはそれまでのヨーロッパ寄りの湿り気のあるサウンドから、米西海岸的なカラッとしたサウンドへシフト。この戦略が功を奏す。「Crazy Nights」が全米のラジオでスマッシュヒットとなり、バンドの存在を現地のロックシーンに強く印象づけた。だが、メンバーは必ずしもレーベルが望む“アメリカナイズ”を大手を振って受け入れた訳ではない。「Run For Your Life」のような変拍子フレーズを軸としたプログレ色を感じさせる曲や、ドラマティックな展開の「Heavy Chains」は、1stアルバム『The Birthday Eve〜誕生前夜〜』や2ndアルバム『Devil Soldier〜戦慄の奇跡〜』といった初期作品を連想させるし、「We Could Be Together」は3rdアルバム『The Law of Devil's Land〜魔界典章〜』収録の「I Wish You Were Here」の、「Like Hell」は4thアルバム『Disillusion〜撃剣霊化〜』収録の「Crazy Doctor」の兄弟曲と呼ぶに相応しい。意図的に楽曲に過去の要素を組み込んでいるのは明らかで、「これまで蓄積してきたものを武器にアメリカに勝負をかけたい」という意気込みが感じられる。その心意気は、旭日旗をモチーフにしたジャケットのデザインにも表れている。日の丸を背負ってアメリカへと乗り込むのだ、と。「東方の雷鳴」というタイトルもしかり。アメリカが現在よりも遥かに遠かった時代。だからこそ、日本のファンは熱狂的に応援したのだろう。“俺たち日本人の誇りであるラウドネスよ、本場のメタル野郎どもを熱狂させてきてくれ”と。
アニバーサリーイヤーの今年、ラウドネスは近年にも増して意欲的に海外でライヴを行なっている。9月と12月には国内で『Thunder In The East』の30周年記念ツアーも予定されており、その中で全曲を網羅することが発表されている。今でも世界中で愛される、ジャパニーズ・ヘヴィメタルの底力を世界に見せつけた珠玉の楽曲群を、是非生で体験してほしい。

著者:金澤隆志

OKMusic編集部

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