Kemuriのスタンスが発揮された
『千嘉千涙(senka-senrui)』は
音楽シーンの歴史に刻まれるべき
パンクロックの進化系

『千嘉千涙(senka-senrui)』(‘00)/Kemuri

『千嘉千涙(senka-senrui)』(‘00)/Kemuri

実に6年半振りとなるソロアルバム『FRIENDSHIP』を3月27日に発表した伊藤ふみお率いるKEMURI。4月13日(土)の水戸LIGHT HOUSEより対バンツアー『KEMURI TOUR 2019 “ANCHOR”』がスタートするとあって、今週はそのKEMURIを紹介しようと思う。彼らのバンドスタイルである“P・M・A(Positive Mental Attitude=肯定的精神姿勢)”と、パンクロックの関係について徒然なるままに書いてみた。

元来、退廃的であったパンクロック

以前も当コラムで同じようなことを書いたと思うのだけれども、こちとら完全に古いタイプのリスナーなので、パンクというと未だ退廃的な印象が拭えない。おそらく今のリスナーにはピンと来ないだろうが、1980年代前半までの日本のパンクロックと言えば、エキセントリックと同意語のようなところがあった。いち早く日本のメジャーシーンで1970年代後半のロンドンパンクの影響下にあるサウンドを披露したANARCHY(現:亜無亜危異)は、1stアルバム『アナーキー』(1980年)の中でこんな風に歌った。
 《政治家なんて俺達には関係ないけど 今の生活 満足してるわけじゃないのさ》(「ノット・サティスファイド」)。
《マンネリ 人並み世間体 会社も社会も関係ねぇぜ(中略)やりたくない仕事をやって もううんざりしちまうぜ》(「3・3・3」)。
《同じ人間ばかり作ってゆこうとするのさ 俺達ぁ大量生産の缶詰とは違うぜ》(「缶詰」)。
さらには、ここでその歌詞は掲載しないが、The Clashの「London's Burning」のカバー曲「東京イズバーニング」では原曲の王室批判よろしく、日本の皇室を揶揄した(その後、「東京イズバーニング」は放送禁止となり、アルバム『アナーキー』の再発時にはトラックごと削除された)。

1982年にメジャーデビューした遠藤ミチロウ率いるザ・スターリンは、別の意味でさらに過激だった。放送禁止用語を含めて、あえて衝撃的な言葉を選んでいたようで、メジャー進出後はレコード会社の要請で大幅に歌詞の修正させられたようだが、インディーズの頃は「解剖室」「天上ペニス」「電動コケシ」「猟奇ハンター」「撲殺」など、タイトルからして刺激的なものが並ぶ(さすがに歌詞はここに記すのも憚られるので、ご興味のある方はググってみてください)。また、ザ・スターリンの場合はその楽曲もさることながら、遠藤ミチロウのパフォーマンスも過激だった。初期にはステージで全裸になり、客席に爆竹や花火、豚の頭や臓物を客席に投げ込むなどで、ライブハウスやホールを出禁なった他、逮捕されたこともある。“変態バンド”とも言われ、そのライヴはとても健全とは言い難い代物であった。

メジャーデビュー以降はアルバムをチャート上位に叩き込んだザ・スターリンですらそんな感じだったのだから、インディーズで活動していたパンクバンド、とりわけハードコアパンク勢はさらに過激だった。名前は伏せるが、ライヴ演奏してるんだが客と喧嘩してるのか分からないようなバンドすらあって(しかも、いくつかあったな…)、個人的にはとてもじゃないが気軽にライヴハウスに観に行けるような感じではなかった。

まぁ、件のThe Clashは《White riot I wanna riot/White riot a riot of my own》(「White Riot」)と歌っているし、Sex Pistolsの最初の音源であるシングル「Anarchy in the U.K.」は何しろ《I am an antichrist》から始まる。「God Save the Queen」では《No future》を連呼しているのだから、日本のパンク以前に、もともとパンクは退廃、エキセントリックなものとしてスタートしたのかもしれない。

余談だが、ロンドンパンクから影響を受けてバンド活動を始め、現在は音楽の他、俳優、執筆活動も行なっている某氏から話を聞いたことがある。話の脈絡は忘れたがパンクの話になり、“ロンドンパンク興隆の背景には当時のイギリスの若者の失業率の高さも関係してたんですよね”と分かったような話を降ると、“仕事がないから《No future》と歌うことに何の意味があったんでしょうね。まさに徒労、虚無ですよね”といった主旨のことを話してくれた。細かい言い回しは忘れたし、もしかすると“徒労”や“虚無”という言葉ではなかったかもしれないのであえて実名は伏せたが、今となってはさすがな見識だと思う。

さて、そんな日本のパンクロックも、“インディーズ御三家”と呼ばれたLAUGHIN' NOSE、THE WILLARD、有頂天らが登場した1980年代半ばに多様性が増し、依然エキセントリックな面があったことは否めないものの、あの頃から退廃感は薄れていったように思う。決定的だったのは1980年代後半のTHE BLUE HEARTSと、1990年代に入ってからのHi-STANDARDだろう。THE BLUE HEARTS はその1stアルバム『THE BLUE HEARTS』(1987年)の1曲目「未来は僕等の手の中」で、タイトルからして《No future》とは真逆の前向きさを見せた。Hi-STANDARDは所謂メロコアと言われるその楽曲もさることながら、夏の野外という開放的なシチュエーションの下でフェス『AIR JAM』を主催するなど、バンド主体の活動姿勢は画期的なまでに健全だった。

2000年代に入ると、そのHi-STANDARDを筆頭とする所謂“『AIR JAM』世代”から影響を受けた、俗に言う“青春パンク”が出現。この辺からは日本的なウエットな情緒感も注入されて、日本のパンクロックからほぼ退廃性は排除されたような気はする。

OKMusic編集部

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