椎名林檎の『無罪モラトリアム』は
世紀末の邦楽ロックシーンを
揺るがした禁断の果実

『無罪モラトリアム』(’99)/椎名林檎

『無罪モラトリアム』(’99)/椎名林檎

5月23日に発売した初のトリビュートアルバム『アダムとイヴの林檎』がチャート初登場1位を獲得。また、これまで彼女がCDシングル、アルバム、デジタル限定配信作品で発表してきた全楽曲が定額制音楽配信サービスにて5月27日より順次配信されることが報しられるなど、デビュー20周年の年に相応しく、椎名林檎周りが再び盛り上がりを見せている。振り返れば彼女はデビュー時からここまで、音楽シーンはおろか、日本列島を揺るがし続けているようなところがあるわけだが、今週の当コラムでは椎名林檎の原点とも言える1stアルバム『無罪モラトリアム』をプレイバックする。

20世紀末の音楽シーン最大の事件

それが、椎名林檎がデビューした1998年のことだったか、ブレイクしたその翌年の1999年のことだったかはっきりとしないけれど、椎名林檎と言うと“彼女の登場は今年の音楽シーン最大の事件だ”的なことを誰かが言っていたことを思い出す。その時も椎名林檎とは直接的な仕事もなく、仕事絡みじゃないとさほど興味が沸かない筆者元来の性質もあって、それを“左様ですか”くらいに受け止めていたのだが、叱責するかように“これは今聴かなきゃマズい”というような声もわりと見聞きした気がする。また、当時そんなに邦楽の話をするようなことがない知り合いのアラサーからも同様の話をされて、少し引いた記憶すらある。だから、あの頃、椎名林檎にドハマリしている一部の人はちょっとした恐慌状態に陥っていたような偏向した印象すら持っていた。どんなブームにも少なからずそうした側面はあるのだろうが、喜んでいたのか、畏れていたのか──何と言うか、皆、彼女の前にひれ伏していた印象だ。

これはデビューからしばらく経った2003年のことだが、ニュース番組であるTBS『News23』とテレビ朝日『ニュースステーション』に椎名林檎が出演したことがある。前者は筑紫哲也、後者は久米宏がキャスターで、政治家にも舌鋒鋭い両名が幾分緊張しながら彼女に対峙していたような印象があったこともこの機会に思い出した。今になって思えば、両番組への彼女の出演は当時の新作であった3rdアルバム『加爾基 精液 栗ノ花』のプロモーションだったのだろうが、いやしくも報道番組が彼女を取り上げたことも、個人的にはその“ひれ伏した”感じを強くした。この出演で、件の“ひれ伏した”人たちの中にはニュース番組を好んで観るような人も少なくないと何となく想像していたことが、それが確信に変わったような気もする。

実際、どの程度の中高年に椎名林檎の存在が広まっていたのか詳細のデータがあるわけでないけれども、椎名林檎周りのスタッフがそこも狙っていたことは確かだろうし、そうすることで彼女の存在をニュースにしようと仕掛けたことも間違いなかろう。そう考えると、それが音楽シーン最大のものであったかどうかはともかくとしても、実際、椎名林檎の登場は事件ではあったのだろう。正直に白状すると、そんなこんなで筆者はここまで椎名林檎をちゃんと聴いてこなかったのだが、改めて『無罪モラトリアム』をきちんと聴いてみると、確かにあの時期これは事件だったこと、少なくともそう声高に言いたい人たちの気持ちも遅まきながら分かったところでもある。以下、ザっとアルバムを解説させていただくことで、その事件っぷりを立証できたらと思う。

息つく暇もなく、ロックサウンドが迫る

M1「正しい街」。アルバムのオープニング曲、そのイントロのド頭からして、ロック好きの身体をビクンと刺激するような音が響く。ドラムスの鳴り。ギターのフィードバックノイズ。1990年代後半の日本のロックはオルタナティブな音作りが本格化し、所謂ミクスチャーが盛り上がっていた頃であり、『無罪モラトリアム』もその影響下にあったことは間違いないが、そうした流行やブームとは関係のない、普遍的なロックの手触りがある。M2「歌舞伎町の女王」はワイルドだが、どこか昭和的な空気。間奏の口笛はモロにそんな感じだが、とは言え、2サビあとのサイケデリックな音に、これもまた普遍的なロックサウンドが感じられるところだ。

M3「丸の内サディスティック」は全体的には決して明るい曲ではないが、弾けたピアノがまさにポップなファンキーチューン。バンドが醸し出すグルーブがいい具合で、聴いていて気持ちがいい。続く、M4「幸福論(悦楽編)」はシングルバージョンはドンタコで軽快なビートを鳴らしているが、こちらはテンポも速く、ギターサウンドや楽曲構成はパンクのそれ。ヴォーカルはかなりきつめにエフェクトが掛かっているものの、ブレスを強調しているせいか、生々しさを損なっていないのは面白いところだ。M5「茜さす 帰路照らされど・・・」でようやくテンポがミディアム~スローに落ち着くが、きれいなストリングスを聴ける一方で、メインでサウンドを支えるアコギはやや不器用に弾いている感じで、そのアンバランスさがまさしくオルタナティブ。そのザクザクした響きは問答無用にロックである。斯様にアルバム前半は息つく暇もなく、匂い立つようなロックサウンドが迫って来る。前半にシングル2曲を置いたのも耳馴染みが良くていい。

歌のメロディーは十分にポップ

続いて後半6曲も解説しよう。M6「シドと白昼夢」は妙な電子音といい、後半のエキセントリックな歌唱(スキャット?)といい、ノイジーと言えばノイジーな楽曲でマニアックな印象すらあるのだが、シャッフルのリズムに乗せられたサビはどこかビッグバンドジャズ風で、開放的で親しみやすさがある。M7「積木遊び」は途中で琴っぽい音が入るが、ベースは完全にハードロック。キレのいいビートがグイグイと引っ張るサイケデリックロックM8「ここでキスして。」。“オルタナ系バイオリン”と呼びたいほど個性的なバイオリンとギターの競演が聴けるM9「同じ夜」。そして、M10「警告」でM7以上にオーソドックスと言えるハードロックを鳴らし、ラジオエフェクトのイントロから入りつつも、本質的には小細工のないネオアコ系のバンドサウンドM11「モルヒネ」でアルバムは締め括られる。どこをどう切ってもロック。しかも、どれもこれも堂々と鳴らしている。

老若男女、ロックファンならば歓喜するようなサウンドばかりだ。ある世代には新しくもあり、ある世代には懐かしくもある。それでいて、これはどの楽曲にも共通していることだが、基本的に歌のメロディーに難解さはなく、大衆的という意味では十分にポップであるため、聴きづらさはない。いや、誤解を恐れずに言えば(彼女のコンサートで本当にそんなことが起こったかどうかは知らないし、それはともかくとして)シンガロングにも耐え得る仕様でもあると思うし、おそらくカラオケでの人気は相当なものだったのではなかったかと想像する。今考えてもこれが支持されないわけはないし、もっと言えば、売れないわけがない。

清濁併せ呑んだ“新宿系”リリック

さらに…だ。初期の椎名林檎を語る上で最大の論点であった彼女特有の歌詞が、上記のサウンド、メロディーに乗るわけである。そのそれまでになかった刺激に、あまたのリスナーが酔ったのも当然のことだった。歌詞の本質についてはそれこそ音楽評論家以外も参戦してリアルタイムで語られてきたので、ここで筆者がその論戦を蒸し返すつもりはないが、簡単に言えば、全方向に赤裸々な語り口が貫かれている。これが衝撃に受け止められたことは間違いなかろう。
《女に成ったあたしが売るのは自分だけで/同情を欲したときに全てを失うだろう》《JR新宿駅の東口を出たら/其処はあたしの庭 大遊戯場歌舞伎町/今夜からは此の町で娘のあたしが女王》(M2「歌舞伎町の女王」)。
《報酬は入社後並行線で/東京は愛せど何も無い》《青 噛んで熟って頂戴/終電で帰るってば 池袋》《将来僧に成って結婚して欲しい/毎晩寝具で遊戯するだけ/ピザ屋の彼女になってみたい/そしたらベンジー、あたしをグレッチで殴って》(M3「丸の内サディスティック」)。

上記のように、言葉を選ばず、字義通りの風俗を描く一方で──。
《本当のしあわせを さがしたときに/愛し愛されたいと考えるよになりました。》《時の流れと空の色に何も望みはしない様に/素顔で泣いて笑う君にエナジィを燃やすだけなのです》《あたしは君のメロディーやその哲学や言葉、全てを/守る為なら少し位する苦労もいとわないのです。》(M4「幸福論(悦楽編)」)。
《あなたはあたしじゃなくちゃ/真っ白なほっぺたに透き通る小さな雨垂れを落としてしまう/でも泣かないで 今すぐ鍵を開けてあげる/あなたには全て許しちゃうわ》(M6「シドと白昼夢」)。
《現代のシド・ヴィシャスに/手錠かけられるのは只あたしだけ》《行かないでね/何処にだってあたしと一緒じゃなきゃ厭よ/あなたしか見て無いのよ/今すぐに此処でキスして》(M8「ここでキスして。」)。
献身的な恋愛観や独占欲の強さを誇示しつつ──。

《あなたがあたしだけ呼んで居ても/幾ら素敵に気を引いていても/時は既に遅過ぎるのよ/答える努力もしないから》(M10「警告」)。
縋ってくる輩をピシャリと切って捨てる非情な潔さ(?)も併せ持っている。パッと見にはあえて多面性を出しているようでもあるし、ややもすると多重人格的と捉える頭のお固い方が出てきそうな作風であるが、そうではなかろう。これらは一個人の中に備わっていてしかるべき感情であり、特に女性には多かれ少なかれそうした側面があるというのが、椎名林檎が言わんとしたところだろう。そして、そこに彼女の素晴らしさがあったと思う。当時は、音楽を“○○系”とジャンル分けすることの無意味さへの彼女なりの皮肉から、“新宿系”を自称していたそうだが、歌詞の彩り鮮やかさというか、清濁併せ呑んでいる感じは、奇しくも新宿という街の種々雑多さにも重なる気もする。

極めて表現力が高い歌とギター

さて、最後に椎名林檎、最大の特徴であろうヴォーカリゼーションとギタープレイに触れて本稿を締めたい。まず、ヴォーカル。言うまでもないことだろうが、その表現力の多彩さには今も舌を巻く。例えば、M8「ここでキスして。」。その歌詞の内容から全体的には迫力のある=迫ってくる力を感じるヴォーカルであるし、ブレイク後のサウンドレスになるところは圧倒的にロックな感じなのだが、1サビの《何処にだってあたしと一緒じゃなきゃ厭よ》では少女っぽい表情を見せたかと思えば、2サビで《どんな時もあたしの思想を見抜いてよ》と歌詞が変わると、歌い方もシリアスに変化。歌の表現においても女性的な側面を披露している。M10「警告」では歌でも音階でもない、ましてや声ですらない箇所でもパフォーマンスしていることを確認できる。この楽曲はアウトロもなく、サウンドレスの歌のみで終わるのだが、最後の最後でのブレスで、言葉にならない感情の昂りが感じ取れる。強いて想像すれば、それは憤りと失望の入り混じったものだろうか。個人的にはホラー寄りのサスペンスといった印象で、薄ら怖さを感じるほどだ。

言葉にならない感情がさらに捉えられるのはギターだ。それはほぼ全楽曲で発揮されていると思うが。ギターが感情の発露であることがありありと分かるのはM4「幸福論(悦楽編)」でなかろうか。“ありありと分かる”とは言ったものの、それがどういう感情かはまったく分からない。分からないが、歌詞で示している情熱的な献身さだけでは表現し切れないもの──例えば、これも個人的な見解でしかないが、その誠実さの裏にある執着や執念であったり、圧倒的な多幸感の中でも隠しきれない不安であったり──そういったものをかき鳴らしているのではないかという想像を巡らせることができる。ロックミュージシャンとして真っ当と言えば真っ当なスタイルではあるものの、誰もが容易にできるわけではない。それをデビューアルバムでやってしまったのだから椎名林檎はやはりすごいと言わざるを得ないし、しかもそれが20歳をすぎたばかりの時だったというのだから、これはもう完全に事件だったと断言できる。

TEXT:帆苅智之

アルバム『無罪モラトリアム』1999年発表作品
    • <収録曲>
    • 1.正しい街
    • 2.歌舞伎町の女王
    • 3.丸の内サディスティック
    • 4.幸福論(悦楽編)
    • 5.茜さす 帰路照らされど・・・
    • 6.シドと白昼夢
    • 7.積木遊び
    • 8.ここでキスして。
    • 9.同じ夜
    • 10.警告
    • 11.モルヒネ
『無罪モラトリアム』(’99)/椎名林檎

OKMusic編集部

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