甲本ヒロトと真島昌利が
新バンドに臨んだ想いを、
今『THE HIGH-LOWS』から見出す

『THE HIGH-LOWS』('95)/↑THE HIGH-LOWS↓

『THE HIGH-LOWS』('95)/↑THE HIGH-LOWS↓

THE HIGH-LOWS↓の結成25周年を記念して、オリジナルアルバム8作品と編集盤2作品がリマスター盤となって10月28日に発売されたということで、彼らのデビュー作品をピックアップした。その理由を含めて、以下で散々言い訳をかましているので、ここは短く締め括るけれども、甲本ヒロト&真島昌利の作品はひたすら素晴らしく、ひたすら語りづらいと、改めて思ったところである。

ヒロト&マーシー作品の本質

のっけからかなり本音で行くけれども、今回の↑THE HIGH-LOWS↓に限らず、甲本ヒロト(Vo)、真島昌利(Gu)が手掛けた作品についてあれこれ語るのは難しい。というか、はっきり言わせてもらうと、気乗りがしない案件であって、できれば、この辺でお開きにしたいほどではある。まぁ、そうは言っても、彼らの作品、彼らの奏でる音楽が嫌いだとか、そういうことではないので、そこは誤解のないように強調しておきたい。ヒロト&マーシーが提示しているのはカッコ良いロックであることは間違いないし、そりゃあ、当然、好きだ。どのくらい好きかと言うと、以下、個人的な話で恐縮だが、その昔、会社員をやっていた頃、社員旅行で高級旅館を訪れた際、夕食時の宴会で同僚、後輩諸君にカラオケを勧められ、THE BLUE HEARTSの「リンダリンダ」をチョイス。ステージ上で歌唱するだけでなく、ヒロトよろしく、小刻みに動きながらジャンプを繰り返して、そこに鎮座されていた社長、専務を引かせるという、会社員としては大失態、一ファンとしては“してやったり”というパフォーマンスを繰り広げた経験が筆者にはある。そのエピソードでどれほどのことが伝わるのかはさておき、こうして “これだけはおさえたい邦楽名盤列伝!”なるコラムで曲がりなりにも文章を寄せている者であるわけで、ヒロト&マーシーを嫌いになれるわけがない。それは、物書きに限らず、ことの大小はあれど、日本でエンタテインメントに携わる仕事をしている人間なら、ヒロト&マーシーが偉大なる人物であることは肌身に染みているはずで、避けて通れるわけもない。嫌いになどなろうはずがないのである。

それでは、どうして彼らの手掛けた作品について進んで書きたくないかというと、作品をそれ以上、掘りようがないと思うからである。これもまた決してネガティブな話をしたいわけではないことを予め断っておくけれども、そりゃあ、誰の作品にしても本来は完成されたものが全てであって、それをそのまま見聴きするのが正式な臨み方(?)であろう。にもかかわらず、音楽ジャーナリズムや、当コラムのような音楽系の物書きがあるのかと言えば、その作品に込めた意図があればその内容、また、そこに至った過程、制作背景を知ることで、その作品自体をさらに立体的に楽しめるようになるからではないかと思う。少なくとも自分はそういうことなのだろうという想いを頭の片隅に入れながら仕事をしている。ヒロト&マーシーに話を戻すと、彼ら自身の口から作品の方向性や楽曲の内容について語られるていることは少ない。彼らのインタビュー記事をつぶさに調べたわけではないので、まったくないわけではないかもしれないけれど、それほど多くないことは間違いなかろう。ふたりが“今回のアルバムには○○○○というテーマがあって~”とか“現代社会における△△△△を作品に落とし込んで~”とか話してる姿を想像できない。現在のふたりがザ・クロマニヨンズで活動していることをほとんどの人がご存知のことだろうが、過去、このOKMusicのインタビューでこんなことを言っている。
作って、録って、聴いて楽しい、その連鎖だけなんです。
※2019年9月、13thアルバム『PUNCH』でのインタビューにおける発言
https://okmusic.jp/news/354596/
彼らが何かを意図して作品を作っていないことがよく分かる、ある意味で名コピーだと思う。何かの目的のため(例えば、ある思想の啓蒙のためとか)に音源を作っているのではなく、楽曲を作って、レコーディングして、それを聴くことが音楽活動の目的だと言っているのである。多かれ少なかれ、アーティスト、ミュージシャンの根底には上記のような想いがあるのだろうが、ここまではっきりと言われるとこちらは返す言葉もない。“それを言っちゃあ、おしまいよ”って話である。制作背景を語ってもらうにしても、それ自体が彼らの目的となると、そこに特別の何かがあるわけでもないし(上記の“連鎖だけ”というのはそういうことだろう)、それを彼ら自身の言葉で語ってもらったとしても、リスナーは作品を手に取る動機付けにはなるだろが、作品自体がことさらに立体的に楽しめることもなかろう。もちろんそれが無意味だとは言わない。言わないけれども、大して掘りようもないことは確かで、進んで解説、寄稿したくない理由はそこにある。簡単に言えば、何を言っても蛇足の域を出ないことが多いのである。

OKMusic編集部

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