『揺れる想い』/ZARD

『揺れる想い』/ZARD

『揺れる想い』に遺るZARDが時代を超
えて愛される理由

5月27日はZARD、坂井泉水(Vo)の10回目の命日である。さまざまな芸能活動を経て、「ロックがやりたい」と音楽シーンに挑んだ彼女。1位を獲得したシングルが12作、アルバムの1位獲得数は11作、しかも、そのうちミリオンを達成したアルバムは実に9作品と、音楽シーンに燦然と輝く実績を残したわけだが、そうした記録に留まらず、記憶にも深く刻まれているアーティストでもある。彼女の楽曲群は多くのリスナーに寄り添ってきたし、今も寄り添い続けている。ZARDの代表作『揺れる想い』から、そんな彼女の特徴を探る。

スタンダードナンバーになり得た要因

ZARDの「負けないで」のリリースは1993年。発売からそろそろ四半世紀だから、期間だけで考えたら十分に懐メロの域だろう。物心が付いた時にはすでに定番曲になっていた、なんて人も少なくないと思う。ただ一方で、この間、毎年『24時間テレビ「愛は地球を救う」』のチャリティーマラソンが最も有名だが、CMソングやキャンペーンソング等で頻繁に使われていたりもするから、極端に古い印象はないのではなかろうか。そう感じるのは筆者だけかもしれないが、もうそんなに経ったのかとの思いと、まだそんなしか経ってないのかと思い、その両方が交錯する「負けないで」である。これはこの楽曲が単なる流行歌に止まらず、真に邦楽のスタンダードナンバーになったからではないかと思う。坂本九の「上を向いて歩こう」や美空ひばりの「川の流れのように」がそうであるように、「負けないで」が日本芸能史にその名を残す名曲となっていることに異論のある人は少ないはずだ。
「負けないで」のヒットの要因、その作品としての特徴、ひいてはZARDの音楽性については後述するが、この楽曲がスタンダードになり得たことには、ZARD自体のミステリアスさも少なからず関係しているのではないかと、これまた私見ながら感じるところである。ZARDのテレビ出演はわずか数回。1993年以降はほとんどなかったという。ライヴも1999年に行なったベストアルバム購入者を対象とした船上ライヴと、2004年の全国ツアー『What a beautiful moment Tour』程度と、露出そのものが極端に少なかった。それゆえに…だろう。メンバーのキャラクターが語られることはほとんどなかった。坂井泉水(Vo)が過去にモデル活動をやっていたとか、企業のキャンペーンガールやレースクィーンを務めていたこともある、といった経歴は明らかにされているが、例えば誰とくっ付いたとか別れたといった芸能的な話題はおろか、お喋りであるとか無口であるとか、彼女がどんな人であるかということは(コアなファンはご存知なのかもしれないが)おそらく一般リスナーは知らないと思う。百歩譲って、仮にZARDが「負けないで」のみのヒットで終わった所謂“一発屋”であったならそれも止む無しかもしれないが、90年代に女性ヴォーカルとしてもっとも多くのCD売上げ枚数を記録したアーティストとしては不自然なくらいに、彼女自身のことは知られていない。話を戻すと、だからこそ、「負けないで」はスタンダードになったのではないだろうか。つまり、変なバイアスがかからず、純粋に楽曲の本質だけが伝播したのではないかということだ。

年代、時代を感じさせない、誰もがハマ
る歌

また、「負けないで」の歌詞は時代性を感じさせないばかりか、性差も、年代も特定されない。これは、この時代の女性ヴォーカリストとしてはわりと珍しい。
《何が起きたってヘッチャラな顔して/どうにかなるサとおどけてみせるの/今宵は私と一緒に踊りましょ/今もそんなあなたが好きよ/忘れないで》。
まぁ、上記のような言い回しは女性ならではのものと言えるだろうし、語尾の“の”や“よ”や“わ”は女性目線の歌詞ではあろうから、性差が特定されないというのは言いすぎではあろうが、この翌年の1994年のヒット曲広瀬香美の「ロマンスの神様」や、ZARDとはレーベルメイトであった大黒摩季の「あなただけ見つめてる」や「夏が来る」(ともに1994年)が、これでもかとばかりに“女性”を強調しているのとは対照的であることは間違いない。物語中の年代はもちろんのこと、直接的な意味での時代性は皆無と言っていい。端的に言えば、何時、誰が聴いてもいい──それが00年代でも10年代でも、ティーンが聴いても高齢者が聴いても“ハマる歌”なのである。これもまた「負けないで」がスタンダードナンバーになった要因だと思う。
また、今回、「負けないで」が収録されている4thアルバム『揺れる想い』を聴いてみて、この時代と年代とを不特定としているところは、実はZARDの特徴ではないかと感じたところでもある。ZARDの全てのアルバムを聴いたわけではないので、もしかすると『揺れる想い』にはその色が濃く出ているだけかもしれないが、その推測はそう的外れではないように思う。
《夏が忍び足で 近づくよ/きらめく波が 砂浜 潤して/こだわってた周囲を すべて捨てて/今 あなたに決めたの/こんな自分に合う人はもう/いないと半分あきらめてた》(M1「揺れる想い」)。
《ポプラの並木をくすぐる/風は春色 きらめいているね/あの日と同じ道行く制服達/ふと懐かしく胸に藍い時間》《記念のアルバム 今でも/時々は開いて見るけど/薄れゆく君への憧れに/青春の意味を知らされた》(M2 Season)。
《よく行った 海岸沿いの店を/通るたび 少し胸が痛い/逃げてゆく幸せに気づいた時/人は“もう戻れない”と思うの/やりきれない週末のメニューは 思い出を整理たり 映画を見たり》(M3「君がいない」)。
指摘させてもらったような世界観がオープニングから畳みかけるように続く。忍び足で近付く夏。ポプラの並木にそよぐ春の風。よく行った海岸沿いの店も週末に見る映画も、具体的な描写はない。
《軽いブレックファースト 流し込んで/地下鉄まで hurry up/イヤになっちゃう満員電車は Biggest Zoo》(M7「Listen to me」)。
《イヴの夜は たぶん彼女と過ごすのね/もう出来ないわ 演じられない/届かない想いはただ粉雪が舞う街に消えてく/崩れ始めたハーモニー》(M8「You and me(and…)」)。
上記2曲からはやや時代性や具体性を垣間見ることができなくもないが、イヴの夜に彼女と過ごすのは決してバブル期とかある時期だけのセレモニーだったわけではないし、M7「Listen to me」にしても、《軽いブレックファースト》辺りにある種の気恥ずかしさを感じさせるが、満員電車は高度成長期から変わることはない日本の風景であろう(もっともこの歌詞の舞台が東京であるかどうかは定かではないしね)。

雄には分からない!? 女性ならではの機

さて、“「負けないで」がこれでもかとばかりに“女性”を強調しているのとは対照的である”と前述したが、M4「In my arms tonight」以降、女性ならでは、ではあるが、肉食的ではない、独特の機微が綴られていく。これもまたZARDの特徴のひとつであると思う(表現に語弊があるかもしれないが、他意はないので変に誤解のないようにお願いする)。
《たまには束縛して my love》《ねえ 少年のように甘えてほしい》《ひとり占めしたいの わかってほしい》(M4「In my arms tonight」)。
《あなたを好きだけど…時々つらいの/その若さ眩しすぎるから/あなたが好きだけど…悲しくなるの/たまには甘えさせて》《もしも年上の男性が現れたら/揺れてしまいそうやさしさに》(M5「あなたを好きだけど」)。
《偶然に見かけたの バス停で/結婚すると噂で聞いたけど/スーツ姿のあなたは/やけに大人に見えた》《別離ても しばらくは悲しくて/あなたの電話 ずっと待っていたの/今はもうそれぞれに/違うパートナー見つけ/別の道歩き出した もう戻らないわ》(M10「二人の夏」)。
これを簡単に“女性らしさ”や“母性”と括ると怒られるかもしれないが、少なくとも男…いや、雄はなかなか共感し得ない気持ちではあろう。ZARDには女性ファンが多かったとも聞く。それはこうした歌詞にある機微が世代を超えて多くの女性の賛同を得たから、と考えるのはそう穿った見方ではないのではないか。

アクを抑えたハードロックサウンド

おしまいにZARDのサウンドについて記そう。端的に言えばハードロックである。M9「I want you」がもっとも分かりやすいが、M1「揺れる想い」にしても、M4「In my arms tonight」にしても、そのギターサウンドはハードロックからの影響を感じさせる。バラードナンバーであるM10「二人の夏」の間奏のギターソロも、あの鳴き方はハードロック的であろう。かと言って、もちろんLed ZeppelinやDeep Purpleとも違うし、The Beatlesの「Helter Skelter」的でもない。これまた語弊があることを承知で言うが、ZARDサウンドはハードロックのローカライズであると思う。例としては、やはりM6「負けないで」を挙げよう。「負けないで」と言えば、キャッチーなサビメロとドンタコの軽快なビートが特徴的なので、そこに耳が集中するところがあるだろうが、ギターサウンドは随分と歪んでいるし、チョーキングも多用されている。鍵盤の重ね方、音色もまさにハードロック的だ。よくよく聴けば、ドラムスも決して軽快なだけでなく、結構バキバキしている。ところが、歌が入るとそのサウンドは鳴りを潜める。正確に言えば、鳴ってはいるものの、歌を邪魔しないのである。ギターはストロークに転じて、ドラムスはスネアが減る。それぞれ軽く自己主張はあるが、歌に重ならない。アレンジとミキシングとが巧みなのであろう。楽器のアプローチはハードだが、アクの強すぎないサウンドに仕上げている(M4「In my arms tonight」やM5「あなたを好きだけど」のサウンドメイキングはAORっぽいとは思うが、ギターの圧しはハードロックに近いと思う)。所謂“イカ天”“ホコ天”のバンドブームを経てきた90年代の邦楽シーン。その後、小室ファミリー、ビジュアル系、AIR JAM世代と多様化していく中において、泥臭くも汗臭くもないギター中心のハードロックサウンドが支持される下地は、時代的にも充分にあった。ZARDはこれ以上ない形でそこに乗ったと言える。

著者:帆苅智之

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OKMusic編集部

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