忌野清志郎が坂本冬美、細野晴臣とと
もに音楽の自由を示したHISの名作『
日本の人』

忌野清志郎。1951年4月2日生まれ。病に倒れなければ先頃66歳を迎えたところである。矢沢永吉が67歳、泉谷しげるが68歳、海外に目を向ければミック・ジャガーは74歳で、先日、逝去したチャック・ベリーは90歳で新作を作っていたというから、“たられば”は禁物だと分かっているものの、“どう考えても逝くのが早すぎたよなぁ”と嘆息が漏れるところではある。ロックミュージシャンからアイドルへの楽曲提供が珍しくなくなり、音楽シーンがシームレスになりつつある昨今、これまた詮なきことを承知で書くが、清志郎が生きていたら我々が想像だにしないようなことをやっていたかも!?…なんて考えも頭をよぎる。忌野清志郎が演歌の坂本冬美、テクノの細野晴臣を迎えて1990年に結成したユニット、HIS。四半世紀も前にこれを仕掛けた清志郎は偉大であったと今も思う。

テクノ+ロック+演歌!?

忌野清志郎と言えば、何と言ってもRCサクセションのヴォーカリストとしての活動が有名だが、RC解散後はThe Razor Sharp、2・3'S、Screaming Revue、ラフィータフィー、NICE MIDDLE with NEW BLUE DAY HORNSと、ソロ活動ではあるものの、スタイルはバンドにこだわっていた。また、ユニットでの活動も積極的に行なっていたことも多くの人が知るところだ。古くはシングル「い・け・な・いルージュマジック」での“忌野清志郎+坂本龍一”があるし、及川光博との“ミツキヨ”、あるいは、清志郎がメインではないが、テレビ番組『ザ!鉄腕!DASH!!』の企画から生まれた、TOKIOの長瀬智也、松岡昌宏らとの“ぴんく”、さらには篠原涼子や木梨憲武らとのコラボレーションなんてものもあったりする。ザッと挙げただけでも、清志郎がいかに縦横無尽に活動していたかが分かるが、THE TIMERSと並んで(まぁ、あれは清志郎によく似た人なのだが…)、その登場が話題となったのはHISだったのではなかろうか。そりゃあ、エキセントリックな話題としては、テレビの歌番組で放送禁止用語を用いた楽曲をゲリラ的に歌ったTHE TIMERSの方が数段上だが、音楽業界の垣根を超えたという点ではHISも十分に意義深い。今でこそ、ジャンルを超えたユニットによるコラボ曲は珍しくない。それこそヒップホップではフィーチャリングが当たり前といった印象すらある。だが、HIS結成の1990年頃には、少なくともメジャーシーンにおいて、他ジャンルとのコラボレーションが実現した例はこの他にはちょっと思い出せない。郷ひろみと樹木希林の「お化けのロック」「林檎殺人事件」くらいだろうか? いや、それも何か違うか──。個人的には、清志郎とテクノミュージシャンとのコラボはそれこそ「い・け・な・いルージュマジック」があったので、細野晴臣と一緒にやるのはまだ分かった。しかし、そこに演歌の坂本冬美が加わるというのは何かとても不思議な感じがしたものだ。坂本は1988年のRCのアルバム『COVERS』収録曲「シークレット・エージェント・マン」でのゲスト参加が清志郎との初コラボだったが、“わけも分からず参加していた”と当時を述懐していることから、坂本自身も不思議な感覚だったのではなかろうか。
これまた個人的には…と前置きするが、HIS結成がアナウンスされた時、テクノ+ロック+演歌ということで、“どんな未知のサウンドは聴けるのだろう?”と若干身構えていたことを思い出す。だが、手にしたアルバム『日本の人』はそういう類いのものではなかった。テクノはおろか、エレキでもない。リズムは概ね穏やかで、ビートもおとなしめ。基本はアコースティックで、ノイズの少ないサウンドであった。RCのアルバム『COVERS』、THE TIMERS(あれは清志郎じゃないが…)とエキセントリックな作品が続いてきた中で、正直言えば、ファーストコンタクトにおいてはやや拍子抜けの感があったことを白状しておく。しかし、何度も聴くと分かってくる。この『日本の人』。激辛料理の後に出されたキンキンに冷えた水というか、甘さが際立つ御菓子を食べた後の日本茶というか、サウンドには棘がないが、独特の清涼感がとてもいい。しかも、だからこそ、清志郎と坂本のヴォーカリゼーションの素晴らしさがじっくりと堪能できるという代物に仕上がっているのである。この辺は清志郎のソングライティングのセンス、アーティストとしてのセンスもさることながら、細野のプロデューサーとしての手腕の確かさがあったことは間違いない。以下、具体的に本作を見ていこう。

奥深いハイブリッドなサウンド

オープニングは「HISのテーマ」。マカロニウエスタンの劇伴で使われるようなサウンドに3人の歌声が重なる緩やかなナンバーで、1曲目がマカロニウエスタン風というのはHIS自体の暗喩ではなかろうか。坂本がメインヴォーカルを務めることでロックに“和”を注入する構図は、イタリア人がアメリカの西部劇を作った感覚に近く、これから始まる音楽がハイブリッドであることを宣言しているようでもある。サビでのコーラスワーク、ギターとピアノが中心のサウンドはパッと聴き派手に聴こえないが、じっくり聴き込むとそんなに単純ではないことも分かって、冒頭から奥の深さを見せつけてくれる。《超豪華メンバー/究極のナンバー》という歌詞は伊達じゃない。そのハイブリッド=異なった要素を混ぜ合わせた感じはアルバム『日本の人』の本懐と言える。それがストレートに分かりやすいのはM2「パープル・ヘイズ音頭」とM13「アンド・アイ・ラヴ・ハー」だろう。前者はジミ・ヘンドリックスの「パープル・ヘイズ」で、後者はビートルズ・ナンバーのカバーである。坂本のシルキーな声で歌われる「アンド・アイ・ラヴ・ハー」もとても素敵なのだが、インパクトという点ではやはり「パープル・ヘイズ音頭」に注目が集まると思う。後に坂本は“普段より誇張したド演歌のかたちで思いっ切り歌うことができた”とHISを振り返ったが、「パープル・ヘイズ音頭」はそのもっともたるものだろう。思い切りこぶしを聴かせた歌唱は、こちらの方がオリジナルであるかのような堂々たるものだ。また、《花の銀座に来てみれば/どうもこれまたお呼びでない(なに)》《今年しゃ豊年満作だ/てなこと言われてその気になったが》《ヨイヨイヨイヨイ》といったクレイジーキャッツや小松政夫的文脈を取り込んだ歌詞も楽しく、オリジナル感を後押ししていると思う。
和とロックの邂逅だけに止まらないのがアルバム『日本の人』のすごいところでもある。件の「アンド・アイ・ラヴ・ハー」ではインドネシアの民族音楽的な音色が取り込まれているし、他にもまだまだある。M4「逢いたくて逢いたくて」。園まりのヒット曲をアコギ基調のブルースナンバーに仕上げているが、そのサウンドはアコーディオンあり、パーカッションあり、ドゥワップ風のコーラスありと、多国籍な歌謡曲になっている。さらに、南米のリズムとアフリカンのリズムとが合わさってカントリーを奏でているようなM5「渡り鳥」、ジャマイカンにラテン・フレーバーを振りかけたサウンドでいてメロディーはしっかりとオリエンタルなM7「恋人はいない」と、さりげなく、それでいて確実に多様な要素をミックスさせている。また、ルーツ音楽だけを取り込んでいるのではない。Peter, Paul and Mary のカバー曲、M6「500マイル」ではサイケ調というか、YMO中期のようなサウンドを聴くこともできるし、“マンボキング”との異名を持つペレス・プラードのミディアムナンバー、M10「恋のチュンガ」は、大正~昭和の雰囲気がありつつも、細野の歌声がロボ声的に処理されていて、レトロモダンを感じさせる仕上がりになっているのも興味深い。実に自由な精神の元、作品が作られていることが分かる。

坂本冬美にも受け継がれた清志郎の魂

HISのサウンドには演歌とロックの融合を始めとする実験性があり、そのハイブリッドさこそがアルバム『日本の人』の本懐とは論じたが、歌のメロディーは驚くほど素直だ。ヴォーカルパフォーマンスにフェイクがあるのはM2「パープル・ヘイズ音頭」とM11「ヤングBee」くらいで、基本的にはプレーンな旋律が聴ける。歌はどれもこれもいいが、1曲を挙げるとすると、やはりM12「セラピー」を推したい。シングルにもなったM3「夜空の誓い」も捨て難いが、改めて「セラピー」を聴いてみて、これはRCの名曲「スローバラード」や「ヒッピーに捧ぐ」「多摩蘭坂」に匹敵する、清志郎史上屈指の名曲であることを確信した。派手な展開もないし、決してサビメロは分かりやすくキャッチーというわけでもない。だが、余計なものがなく、しっかりと作者の風合いが感じられるオーガニックコットンのようなメロディーには、やはり清志郎のソングライティングの偉大さが感じられる。素晴らしいのひと言である。ちなみにこの楽曲は矢野顕子がアルバム『矢野顕子、忌野清志郎を歌う』(2013年)でカバーしている。天才は天才を知るということだろう。
HISはアルバム『日本の人』を発表した後、しばらく表立った活動をしなかったが、2005年に3人で「Oh, My Love ~ラジオから愛のうた~」を制作し、坂本冬美のシングルとしてリリース。その翌年には、そのシングルとカップリング曲がボーナストラックとして収録され、アルバム『日本の人』が再発された。清志郎が喉頭癌で入院することを発表し、すべての音楽活動を休止したのがその2006年である。2008年に『忌野清志郎 完全復活祭』で活動を再開したものの、清志郎は2009年5月2日、逝去。HISはおろか、清志郎の表現活動は全て叶わぬものとなった。だが、後年、坂本はHISでの活動を振り返り、新聞紙上でこう語っている。
「この経験で、清志郎さんや細野さんに、私の演歌を認めていただいた気持ちになり自信が出たこと。そして演歌とは違うステージにあげていただいたことで、後年「また君に恋してる」を歌うチャンスにつながり、ポップスへの道が開けた転機になったと、とても感謝しています」(朝日新聞2014年12月1日より引用)。
2009年、坂本冬美がビリー・バンバンのカバー曲、「また君に恋してる」のヒットをご記憶の読者も多いと思う。彼女は同年10月より、フォーク、ポップス、ニューミュージックのカバーを中心としたアルバム『Love Songs 〜また君に恋してる〜』もリリース。以後、2015年までこのシリーズを5作品発表している。清志郎の魂はここでもしっかりと受け継がれているのだ。

著者:帆苅智之

OKMusic編集部

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