心の深層をさらけ出した『ジャックス
の世界』こそ、真のアンダーグラウン
ドと呼べる作品だ!

ジャックスのリーダー早川義夫は、時代や流行に媚びることなく、自らの心の声に耳を傾け、人間の懊悩や煩悶を歌で表現した天才だ。天才によって生み出された奇妙なこの作品は、演奏技術が高いとか歌がうまいとか、そういうレベルにはなく、聞く者すべてを圧倒し戦慄させる「異形」としか言いようのない名盤である。

新しい音楽を発信し続けた、当時の深夜
ラジオのインパクト

 60年代後半、日本のポピュラー音楽シーンは大きくふたつに分かれていた。ひとつは、ポップでキャッチーな要素を持つ、歌謡曲やグループサウンズに代表される商業的な成功が見込まれる音楽。そして、もうひとつは、政治的もしくは実験的な要素が強いフォークやロックの一部と、フリージャズ等に代表されるような商業的に成功するかどうかが見込めない音楽だ。しかし、現在(今のメジャーレコード会社は“売れる”見込みのある作品でなければリリースしない)とは違って、当時の音楽界は個性ある大きな才能を持ったミュージシャンが雨後のタケノコのように出てくる黎明期であったから、大手レコード会社も新しい才能の発掘に躍起になっていた。
 そんな中、深夜ラジオのDJらは自身の柔軟な耳と、リスナーである若者たちとのコミュニケーション力(今ならパソコンやケータイで簡単だが、当時はハガキと電話のような手間と時間のかかるツールしかなかった)を駆使して、メジャーであろうがインディーズであろうが、面白い(良い)音楽はどんどんオンエアしていった。大手レコード会社の社員も、深夜ラジオは必ずチェックしていたと思う。その証拠に、フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」(’67)やジャックスの「からっぽの世界」(’68)は、ともに深夜ラジオで注目を集めたシングル曲である。どちらも、インディーズ(自主制作)から発信され、しばらく経ってから大手レコード会社が再発(もしくは再録音)していることからも、僕の言っていることは理解してもらえるだろう。事情はよく分からないが、この2曲がどちらも最終的に東芝からリリースされているのは、この会社に鋭い社員もしくは優秀なブレインが存在したことは間違いないだろう。
 ジャックスの1stアルバムとなる本作『ジャックスの世界』に先立ってリリースされた「からっぽの世界」は、その歌詞に差別的表現があり、いつしか放送禁止になっていた。公の場でかかることはなくなったものの、その過激な音楽性もあって、熱心なファンは彼らを追い求めることになり、1年後の1969年に解散が決まる頃には、すでに彼らの名前は伝説になろうとしていた。

『ジャックスの世界』の世界観

 バンドとしてのジャックスは編成だけを見ると、フォークグループやグループサウンズの形態を取ってはいたものの、サウンド面ではサイケデリックロックのようでもあり、フリージャズの要素さえあった。そして、何よりも歌詞の表現が恐ろしいほどに病的で、危ない空気に満ちているのが、このグループの大きな特徴だ。
 いったい、彼らの音楽は、どのように培われたのだろうか。
 音楽性の面から見ると、少なくとも当時の日本で、彼らに似たグループはない。ただ、同じように天才的な存在で、実際に交流のあったフォーク・クルセダーズからは“音楽は形式ではなく、ロック精神が何よりも重要”だということを学んだはずである。余談になるが、フォークル解散時のライヴアルバム『フォークルさよならコンサート』(’69)では、ジャックスの「時計をとめて」「遠い海へ旅に出た私の恋人」の2曲(どちらも本作に収録)をカバーしている。

 音楽以外では、早川が60年代アングラ演劇(Wikipedia)の表現方法に影響を受けていることは間違いない。状況劇場や天井桟敷に見られる前衛手法をはじめ、ジメジメした日本的な感触など、かなり似通った部分が多いと僕は思う。
 彼らの音楽自体は、今で言う“オルタナティヴロック”(Wikipedia)に該当するのだろうが、そもそもオルタナティヴロックの概念自体が、ジャンル分けできない音楽に対して無理矢理設定したカテゴリーであり、もちろん当時はそんな考え方すら存在しなかったことは言うまでもない。結局、ジャックスの音楽がほかと比べて“あまりにも異色”であることから、甲斐よしひろ、遠藤ミチロウをはじめとした国内のパンクロッカーたちによって、70年代の終わりに再発掘されるまで、残念ながら埋もれたままとなったのである。
 現在のJロック界で、ジャックスのようなロックスピリッツを持ったグループといえば、神聖かまってちゃんやゆらゆら帝国あたりが挙げられるが、彼らもまたパンクロッカーと同様、ジャックスの精神性に影響を受けているのは間違いないだろう。

木田高介の大きな貢献

 サウンド面では、早川の観念世界(歌詞)を具体化した木田高介(Wikipedia)の尽力が見逃せない。ジャックス解散後、アレンジャーやプロデューサーとして大きな成果を残すなど、彼の音楽的才能は抜きん出ていた。ジャックスのあと、高石友也とナターシャセブンに在籍したことは驚きの事実(ジャックスとは、あまりに音楽性が違うため)だが、これも彼の表現者としての資質が成せるワザであるように思う。本作でも効果音やジャズ的なアプローチをはじめ、木田の非凡なセンスを活かしたアレンジが随所に見られるが、木田は早川の心の暗闇を具象化するサポーター的な存在であったと言えよう。
 そして、この木田のアーティスト性こそが、他の誰にも似ていない音楽を生み出す原動力になったと僕は思う。おそらく、早川が持ってきた曲を、木田が分析し、音楽として形にしたのではないか。彼らは、“○○のような音楽がやりたい”のではなく、“こういう曲ができたが、バンドでやるにはどうすればよいか”を、独自の思考回路で創りあげていったのであり、だからこそ『ジャックスの世界』は、何年経とうが錆びつかない名盤になったのだ。

『ジャックスの世界』収録曲

 アルバム冒頭の「マリアンヌ」は今考えると、この曲をよく1曲目に配置したなと思う。出だしの30秒ほどはドラムだけの演奏で、現代音楽かフリージャズというテイストだ。歌詞も難解で、歪んだエレキギターの響きと早川の情念そのもののようなヴォーカルに、恐怖を感じてしまう人も少なくないだろう。ホラー映画のような恐るべき歌詞は、高校時代からの友人である相沢靖子が手がけている。
 3曲目の「からっぽの世界」は前述したように、差別的な言葉が含まれていたので放送禁止になっている。僕はこの曲を小学生高学年だった頃に初めて聴いたのだが、その不気味な静けさから、何とも言えない恐怖に襲われたことを、今でもはっきりと覚えている。間違っても、結婚式やお祝いの場でかけてはいけない曲である。
 4曲目の「われた鏡の中から」と続く「裏切りの季節」「ラブ・ジェネレーション」は、どれもロックっぽい仕上がりで、悲痛さを感じさせる早川義夫のヴォーカルがすごいというか、とことん暗い恨み節である。「ラブ・ジェネレーション」は、72年に出た早川初のエッセイ集『ラブ・ゼネレーション』(’72)のタイトルにもなった早川の代表曲のひとつ。
 以上、3~6は早川義夫の作詞作曲&ヴォーカル曲が続き、聴く者はある種の陶酔感やカオスを感じるはずで、この流れが本作の柱になっていると思う。
 2曲目の「時計をとめて」(作詞・作曲:水橋春夫)は上質のポップスで、メロディーがとても美しい。この曲を2曲目に配置することで、以下に続く4曲の特異性がくっきりと浮き彫りになり、早川の情念が際立つ結果となっている。9曲目「遠い海へ旅に出た私の恋人」(作詞:相沢靖子/作曲:早川義夫)も美しい作品だが、それだけに早川の内向的で狂気をはらんだヴォーカルには、より一層の凄みを感じる。
 7曲目の「薔薇卍」(作詞・作曲/谷野ひとし)は、タイトルはおどろおどろしいが、まともなブルースロックに仕上がっている。これって、SMの歌なのかな?
 8曲目は、木田が唯一作曲を手がけたナンバー。ビートルズっぽいスタイルで、コーラスが決まっている。アルバム中、最も楽しそうな雰囲気のある曲だ。作詞は相沢。
 「つめたい空から500マイル」(作詞:早川/作曲:水橋)は、最後を飾るにふさわしい静かな曲。まるで神父を思わせるような語りとバックのオルガンが、教会にいるような錯覚を起こさせ、アルバムは幕を閉じる。
 この時期のジャックスは、映画監督である若松孝二のサウンドトラックを集めた『腹貸し女(若松孝二傑作選)』(SOLID RECORDS)でも聴けるので、ぜひ!

著者:河崎直人

OKMusic編集部

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