ユーミンの何度目かの
ブームをけん引したエポック作
『Delight Slight Light KISS』に
隠された戒めの眼差し
ここまでノンストップの50年間
実際、今回、ユーミンの経歴をしっかり調べてみて、ちょっとビビった。そうであることはぼんやりと知ってはいたが、それを目の当たりにすると、驚異を覚える。畏敬を感じざるを得ないのである。1973年の1stアルバム『ひこうき雲』以降、今年2022年までに音源発表を欠かした年は2017年のみ。2017年にしても休養していたわけではなく、春から秋まで70本を超える全国ツアーを行なっていたのだから、むしろ活発に動いていた。特筆すべきはオリジナルアルバムリリースのペースだ。まず、デビューから2002年までに発表したアルバムが実に32枚。1年1枚以上という計算になる。オリジナルアルバムを発表しなかった年もあるけれども、1978年、1979年、1980年、1981年、そして1997年には1年に2枚ずつ出しているし、オリジナルが出ていない年には大体ベスト盤がリリースされている。その事実には啞然とさせられる。前世紀のユーミンは“留まる所を知らない”という状態なのであった。
しかも、その作品はすべてチャートトップ10入り。1981年の12th『昨晩お会いしましょう』から1995年の27th『KATHMANDU』までは全てて1位だったのだから、本当に絶句するしかない。その後、今世紀に入ってからはオリジナルアルバムのリリースペースこそ落ち着いたものの(それでも2~3年に1枚ペースであって、それは彼女クラスのアーティストではむしろ異例のペースと言っていいかもしれない)、ベスト盤や他アーティストとのコラボ作品などを含めて考えると、その活動歴において、“間が抜けている”なんてことはまったくないのである。こうなってくると、ユーミンは超人と言ってもよかろう。いや、もはや人智を超えた存在、ほとんど魔女と言ってもいいのかもしれない。
そんなユーミンであるから、その音楽に触れたことがない日本人は皆無と言っていいだろう。とりわけ前述した1970年代半ばから2000年代前半までに多感な時期を過ごした、現在30代半ばから60代半ばくらいの人たちは大なり小なりユーミンからの影響を受けていることは間違いない。その世代に、“思い出のBGMは?”なんてアンケートを取ったら、おそらくユーミンの名前が上位に上がるだろう。50~60代ではぶっちぎりのトップであるような気もする。
私事で恐縮だが、個人的にもユーミン楽曲で思い出すことがある。平成元年(1989年)か2年(1990年)の冬、まだ会社員だった頃(ていうか、会社員になってまだそれほど経っていなかった頃)。同僚に誘われてスキーに行くことになった。映画『私をスキーに連れてって』のヒットによってスキーブームに火がつき、当時の若者たちはこぞってゲレンデに出かけていた時期で、恥ずかしながら自分も当時のブームに乗ったひとりであった。同僚の赤いMAZDAファミリアで、女子は同行しなかった…と記憶しているが──いや、どうだったか…ホント覚えてないのだけど、そのファミリア内にはユーミンナンバーが、さも当たり前のことのように流れていたことをよく覚えている。『私をスキーに~』の挿入歌であった「サーフ天国、スキー天国」「恋人がサンタクロース」「BLIZZARD」辺りに加えて、「リフレインが叫んでる」がかかっていた。彼はわざわざ、少なくとも『SURF&SNOW』『NO SIDE』『Delight Slight Light KISS』から楽曲をセレクトしてカセットテープにダビングしていたのだ。今みたいにサブスクのプレイリストなんてものはなかったのだから、好きな人はこのくらいの手間は厭わなかっただろう。でも、シチュエーションに合わせてカセットの編集をするというのは、今考えてもマメはマメ。マメ狸だ。ちなみに、そこから30数年。現在、彼は某会社で部長職に就いていると聞く。マメな奴は出世もする。おそらくビジネス面においてもユーミン楽曲が彼に何かしらの影響を与えていたに違いない。自戒を込めて改めて白状しておくと、筆者も彼の影響でからその後、『SURF&SNOW』辺りを車に常備していた時期があったことを付け加えておく。
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