日本のガールズバンドのパイオニアZ
ELDAによる国産ニューウェイブの最高
傑作『空色帽子の日』
当初は“無機質”とも評された少女たちの個性は、作品を重ねることでまさに唯一無二の輝きを放つオリジナリティへーと昇華した。
ポストパンクから派生した新しい波
彼女らは80年代後半からファンク、ブラックミュージックに傾倒しはじめ、ルーツミュージックへと音楽性を変化させており(この辺は後述する)、そのサウンドの特徴はひと口に語れないのだが、筆者の思い入れが強いのは80年代前半の所謂ニューウェイブと呼ばれていた頃の音だ。そもそもニューウェイブ自体、非常に曖昧なジャンルで、パンクロック以降に出てきた新しいサウンドは何でもかんでもニューウェイブと括られていたようなところがあったのだが、強いて言えば“既存のロックの枠に囚われない精神”を持った音楽がニューウェイブ(=新しい波)と呼ばれたのだろう。悪く言えば何でもアリで、中には確かな音楽的バックボーンがないバンドやユニットが存在したことも否定しないし、初期ZELDAに確固たる音楽的素養があったとも言い難いのであるが、(おそらく、それゆえに…であろう)彼女たちはえも言われぬ音楽スタイルを作り上げる。特に注目されたのは文学的と言われた歌詞世界だ。1stアルバム『ZELDA』収録の「開発地区はいつも夕暮れ」や、2ndアルバム『CARNAVAL』収録の「うめたて」が顕著だが、東京出身の高橋佐代子(Vo)の原風景である70~80年代の東京の街並みを幻想的に綴ったリリックはとても新鮮だった。これらの歌詞が抑揚の少ないメロディーと相まったことで“無機質”とも評され(中には“暗黒”なんて評もあった)、初期ZELDAのイメージは決定付けられたところはあるが、“無機質”というキーワードは極めてニューウェイブ的であった。1stアルバム『ZELDA』はパンク色が濃かったものの、白井良明氏がプロデュースした2ndアルバム『CARNAVAL』ではポップロック、ハードコアからジャズ、クラシックと多彩なサウンドを披露し、ポストパンクを印象付けたことも見逃せない。
巧みなアレンジと構成が生み出した奇跡
先ほども書いた通り、ZELDAはこの後、5thアルバム『C-ROCK WORK』、ライヴアルバム『Dancing Days』をはさんで、6thアルバム『SHOUT SISTER SHOUT』でその音楽性を変え、ファンク、ブラックミュージックという“無機質”と言われていた頃とは180度異なるサウンドアプローチを見せる。その変遷は当時のファンには賛否両論…いや、はっきり言って受け入れることができないファンが大多数だったと記憶している。しかし、改めて『空色帽子の日』を聴いてみると、後の変遷につながる要素も確認できる。顕著なのはドラム。16ビートは今作に限ったことではないにしろ、全体的にリズムが活き活きしていて、その躍動感は(今になって思えば)その後の彼女たちが血の濃い音楽に惹かれていくことを暗示しているかのようだ。また、歌詞世界も、(9)「無人号地・357」のように、タイトルからして初期を踏襲しているものもありつつ、(1)「DEAR NATURAL」からして《火を受け 水に潜り 風にそよぎ 地を歩く とても大きな 地球に 愛をすいこむ 深呼吸》と、いきなりオーガニックな雰囲気。続く(2)「自転車輪の見た夢」では《高速道路の下の廃屋で眠り》と都会的キーワードを示しつつ、《自転車輪でこいでゆく》と人力にこだわりを見せている。つまり、『空色帽子の日』というアルバムはニューウェイブバンドとしてのひとつの完成形ではあるものの、決してそれだけでなく、(彼女らがそれ意図したかどうかはともかく)新たなフィールドを模索する姿勢を垣間見ることができるのだ。音楽に限らず、芸術作品においては完璧なものが必ずしもベストではない。少なからず過渡期ならではの緊張感をはらんでいる点も『空色帽子の日』を名盤に仕上げている要因かもしれない。
ZELDAは女性の成長物語
著者:帆苅竜太郎
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