アニマルズ解散後、
エリック・バードンが挑んだ新境地

『Eric Burdon Declares “War”』(’70)/Eric Burdon & War

『Eric Burdon Declares “War”』(’70)/Eric Burdon & War

すごい人だとは分かっていたのだが、今までほとんど向き合ってこなかったアーティストっているものだ。大物すぎてなんとなく敬遠してしまったり、自分の今の嗜好と違うから聴かないでおく、とか。世代が違いすぎてサウンドが古めかしく感じてしまってどうも…とか。また、実はすごいのにほとんど忘れられている、なんとなく放っておかれている、気づかれていない、というシンガーもいる。今回はそんなひとりのアルバムを選んでみた。

エリック・バードン&ウォー(Eric Burdon & War)のデビュー作『宣戦布告(原題:Eric Burdon Declares "War")』(’70年)である。

エリック・バードンと言えば、なんといっても彼を一躍有名にした60年代の英国R&Bバンドの筆頭格であるアニマルズ(The Animals)だろう。まともに考えればそこから一枚と思ったのだが、良いのが多くて絞り込めない。そこで、ついでに聴いたエリック・バードン&ウォー名義のアルバムを聴いてみたら、内容が今日的で、初めてエリック・バードンを聴くという方にも受け入れられやすいのではないかと思い、選んでみることにした。

白人R&Bシンガーを
代表する存在だったエリック・バードン

先にエリック・バードンについて簡単に触れておこう。彼は1941年、英ニューキャッスル出身、父親が電気工事の技師という中産階級の家庭で育っている。デザインや美術に関心があり、地元の芸術大学に進むのだが、それ以前から彼を魅了していたのがアメリカのジャズ音楽で、特にルイ・アームストロングに惹かれて自身、トランペット、トロンボーンを習うのだが、うまくいかず挫折している。それでも気がつけばジャズクラブに出入りして仲間とつるむようになり、地元のバンドでヴォーカリストとしてステージに立つようになる。

62年、大学のクラスメートだったジョン・スティール(Ds)の紹介でアラン・プライス(Org,Pt)と出会い、アニマルズを結成。ラインナップはスティール、プライス、バードンの他にヒルトン・ヴァレンタイン(Gu)、チャス・チャンドラー(Ba)を加えたラインナップ。チャンドラーは後にジミ・ヘンドリックスのマネージャーを務める人物として有名である。明らかにジェームス・ブラウンを始めとしたソウル・シンガーに影響を受けたと思われる熱烈なバードンのヴォーカルをフロントに据え、ジャズ、ブルースバンド出身者からなる腕達者なバンドは、ほぼ同時期にデビューしたローリング・ストーンズやザ・フー、キンクスらより遥かに黒っぽいサウンドを打ち出し、英国で最も突出した電化R&Bバンドのひとつとして評価された。英米のヒット・チャートでNo.1に輝いた「朝日のあたる家(原題:The House of the Rising Sun)」をはじめ、「悲しき願い(原題:Don’t Let Me Be Misunderstood)」(英3位 / 米15位、オリジナルはニーナ・シモン)、「朝日のない街(原題:We gotta get outta this place)」(英2位 / 米13位)、「悲しき叫び(原題:Bring It On Home to Me)」(英7位 / 米32位、オリジナルはサム・クック)と立て続けに世界的ヒットを放った。アメリカ民謡の「朝日のあたる家」はディランより先に取り上げており、彼にエレクトリック化のヒントを与えたとも言われている。ディランとの関連で言えば1965年のディランの渡英時にはアニマルズを脱退したアラン・プライスが側近のひとりとしてツアーに同行している。

日本の耳ざとい若者へのアニマルズの影響も大きく、ロカビリー・ブームに湧くバンドはプロからアマまでこぞって彼らのコピーにはげんでいたという話もある。上記のヒット曲の多くが動画で残っているので、年若いエリック・バードンの異様に黒っぽいヴォーカルを再確認できるだろう。彼を聴いた後ではR&Bシンガーとしてのミック・ジャガーはそれほどでもない風に聴こえるかもしれない。カリスマ性は別として。ただ、アニマルズは65年に一旦解散、翌年に活動拠点を米西海岸に移して再結成するが、69年頃には再び解散している。その間にはトラブルまみれの来日公演(’68)があるのだが、その際のギタリストは後にポリスのメンバーになるアンディ・サマーズだったりする。

OKMusic編集部

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