70sカントリーロックの
基盤を築いた
ポコの2ndアルバム『ポコ』

『Poco』(’70)/Poco

『Poco』(’70)/Poco

スティーブ・スティルス、ニール・ヤング、リッチー・フューレイの3トップを擁したバッファロー・スプリングフィールド(1966〜68年)は短命に終わるのだが、その後スティルスとヤングはCSN&Yで成功を収め、彼らの音づくりやコーラスは70年代初頭になって現れる多くのシンガー・ソングライター(以下、SSW)やカントリーロックのグループにとって、意識的無意識的を問わず多くの影響を与えるのである。それでは、フューレイがリーダーを務めたポコはどうだろうか。ぼくは、イーグルスをはじめとした70年代型カントリーロックは、ポコの音楽に最も大きな影響を受けているのではないかと考えている。今回取り上げるポコの2作目『ポコ』(’70)は、リードヴォーカル、コーラス、演奏面、ソングライティング、そのどれもが最高レベルの仕上がりとなっている。フューレイのグループ脱退はポコが商業的な成功に恵まれなかったことに責任を感じていたのかもしれないが、少なくともフューレイ在籍時のポコが好きなリスナーにとっては、恐ろしいほどの完成度を持った魅力あるグループだということを知っているのではないだろうか。

カントリーロックの成立

ボブ・ディランがフォークロックの始祖なら、バーズはカントリーロックの開祖である。彼らが6thアルバム『ロデオの恋人』(’68)で表現しようとしたのはグラム・パーソンズという才能の具体化であり、リリース当時は時代より先んじていたために大したセールスを上げられなかったが、今では最初期のカントリーロックを代表する作品として知られている。

ただ、『ロデオの恋人』は21世紀の現在から見ると、僕にはカントリーの要素が強すぎるように思える。それはなぜかと言うと、カントリーロックで演奏面を支える重要な楽器のペダルスティールがカントリーに寄り過ぎていることが一因である。もちろん、60年代にはまだペダルスティールはカントリー音楽でしか使われない楽器であったから、それは仕方のないことだ。僕が言いたいのはカントリーでもロックでもない、“カントリーロック”として成立するためには、ロックフィールのあるペダルスティール奏者の存在が不可欠だということなのである。

鍵を握るペダルスティール奏者

60年代のカントリーロックのアルバムに登場するペダルスティール奏者は、そのほとんどがゲスト参加のスタジオミュージシャンであり、彼らは全員がカントリー音楽のプレーヤーだ。前述の『ロデオの恋人』に参加しているジェイ・ディー・メイネスとロイド・グリーンのふたりもカントリーのスタジオミュージシャンである。

70年代に入ると(当時の時間の流れは今とは違ってものすごく早く、2〜3年で音楽シーンは大きく様変わりするため、69年と71年ではかなり違う)、カントリーロックそのものが認知されるので、70年代以降に登場する優れたカントリーロックのグループには、ロックフィールを持ったペダルスティール奏者がメンバーとして在籍している。ニュー・ライダーズ・オブ・ザ・パープル・セイジ、ピュア・プレイリー・リーグ、フールズ・ゴールド、ファンキー・キングスなどがそうである。また、バディ・エモンズ、レッド・ローズ、スニーキー・ピート(フライング・ブリトー・ブラザーズ)らは、カントリーロックが認知されるようになってからはロックのセッションも増え、ロックフィールをちゃんと身につけている。

ラスティ・ヤングを擁したポコ

60年代のカントリーロックグループで、ペダルスティール奏者が在籍していたのはカナダのグレート・スペクルド・バード(バディ・ケイジ)と、ニューヨークのブルー・ベルベット・バンド(ビル・キース)、フライング・ブリトー・ブラザーズ(スニーキー・ピート)、そしてポコ(ラスティ・ヤング)ぐらいではなかったか。

ケイジ、キース、ピートの3人はそれぞれカントリーとブルーグラス出身者であるが、面白いのはポコのラスティ・ヤングの経歴である。彼は6歳からラップ・スティールを、14歳でペダルスティールを学び、コロラド州デンバーのパワーポップグループのべンジー・クリック(Böenzee Cryque)に65年に参加している。このグループはペダルスティール奏者が参加した世界初のロックグループとして知られる(カントリーロックのグループではない)が、そのことよりもペダルスティール奏者としての可能性を広げるためにロックグループに参加したヤングの独創性がすごい。

OKMusic編集部

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