原点回帰したヴァン・モリソンの『キ
ープ・イット・シンプル』は全米ベス
トテン入りの傑作

ヴァン・モリソンほど日本で過小評価されているシンガーはいないだろう。過小評価と言っても、ミュージシャンをはじめ音楽関係者には絶大の信頼を寄せられているだけに不思議な印象だ。1964年にデビューした、モリソンをリードヴォーカルに据えたグループ、ゼムはビートルズ、ストーンズ、ヤードバーズ、スペンサー・デイヴィス・グループらと並んで、60年代のイギリスを代表するR&Bを基調にしたビートグループだ。67年には渡米しソロデビュー、現在まで40枚以上のアルバムをリリースしていて秀作は数多い。特に70年代にリリースしたアルバムは傑作揃いであった。今回紹介する『キープ・イット・シンプル』は2008年作。輝いていた70年代の作品を彷彿させる名作に仕上がっており、自身初の全米ベストテンに輝いた。

もっとも初期のアメリカーナ系シンガー

僕が最初にモリソンを聴いたのは中学生の頃だ。といっても、ゼムでもソロでもなく、他のグループのアルバムにゲスト参加していて知った。ザ・バンドの『カフーツ』(‘71)に収録の「4%パントマイム」という曲である。それまではハードロックやプログレばっかり聴いていたのだが、ザ・バンドのこの作品と出会ったことで、聴く音楽がイギリスのロックからアメリカのロックに変わってしまうほどの衝撃を受けた。今でも『カフーツ』は、僕のオールタイム・ベストテンに入るほどの名作なのだが、中でもゲスト参加したヴァン・モリソンの歌声(たった1曲だけなのに)に痺れたのである。
その頃、モリソンのアルバムは全て日本盤でリリースされていたから、簡単に入手できたのだが、なぜか情報が少なかった。毎月買っていたロック雑誌の『ミュージックライフ』や『音楽専科』を見ても、彼のことをあまり取り上げてはいなかった。それだけに、どのアルバムを買えば良いのか分からなかったのだ。なんせ、お金のない中学生だけに、アルバムを買うという行為は、結構な冒険であった。周りにもモリソンのアルバムを持っている奴はひとりもおらず、結局ジャケットを見て選ぶことにした。
最初に買ったのは『ムーンダンス』(‘70)というアルバム。まったく情報がない中(知っているのはゲスト参加の「4%パントマイム」だけなのだから…)で、恐る恐る聴いたことを今でも覚えている。しかし、いざ聴いてみると1曲目から鳥肌ものの素晴らしさで、A面の5曲全てが文句なしの出来だった。B面もA面ほどではなかったが、捨て曲は1曲もなく、驚くほど完成度の高い作品であることは間違いなかった。
翌日から、ロック好きの友達を何人か家に呼び、このアルバムを聴かせたのだが、「地味」「渋すぎ」「わからん」という答えが多数返ってきたのだった。中には「良い!」という奴もいたが圧倒的にそれは少なかった。ここで15歳の僕は知ったのだ。同じロックでも多数が喜ぶものとそうでないものがあることを。それ以降、モリソンのことは人に言わず、自分だけの楽しみとして聴くことにした。その後、『ストリート・クワイア』(’70)、『テュペロ・ハニー』(‘71)、『セント・ドミニクの予言』(‘72)、と続けて購入、最初に買った『ムーンダンス』と並ぶ、どれもハイレベルな出来栄えで、ますますモリソンの音楽に惹かれていった。
彼の音楽の魅力は、ブルース、R&B、カントリー、フォーク、ジャズなどさまざまな音楽性をバックボーンに持っていることと、どんな曲を歌ってもヴァン・モリソン節になってしまうことだろう。それだけ彼のヴォーカリストとしてのアクが強いということだ。当時のロックは、ブルース、ソウル、フォーク、カントリー、ジャズなど、ひとつのジャンルに影響されたグループやシンガーが多かったと思うのだが、モリソンは複数のジャンルに影響された、今で言う“アメリカーナ”的な要素を持ったシンガーなのだった。例えば、70年以降のエリック・クラプトンや21世紀になって登場したノラ・ジョーンズがそうであるように。

ザ・バンドの映画『ラスト・ワルツ』で
のパフォーマンス

日本では過小評価されている(というか聴く機会が少ない)モリソンであったが、76年にザ・バンドの解散コンサートの模様をドキュメントしたマーティン・スコセッシ監督の『ラスト・ワルツ』が公開されると、ボブ・ディラン、クラプトン、ニール・ヤングなど、ゲスト参加したロックのスーパースターに混じって登場するモリソンにも注目が集まった。おそらく、日本人の多くはこの時にモリソンのことを知ったのではないだろうか。この映画のおかげで、彼のアルバムはかなり売れたと思う。何はともあれ、ザ・バンドの解散は残念ではあったが、モリソンとザ・バンド両方のファンとしては嬉しいイベントであった。

ヴァン・モリソンの活動

ヴァン・モリソンは、ジョー・コッカー、スティーブ・ウインウッド、スティング、ロッド・スチュワートなどと並んでイギリス(モリソンはアイルランド出身なので厳密にはイギリスとは違う)を代表するロックシンガーのひとりである。前述したように70年代は秀作群をリリースし続け、80年代になるとスピリチュアルやアイリッシュ(ケルト音楽)をベースにした、もはやロックとは呼べない精神性の高い音楽も創っている。90年代に入ると、ジャズやブルース、カントリーなどをモチーフにした作品をリリースするなど、音楽の幅が広いがゆえにリスナーを選ぶミュージシャンだとも言える。

本作『キープ・イット・シンプル』につ
いて

21世紀に入っても、彼の活動は止まらない。ジャズ、カントリー、ブルース、R&B、ケルト音楽などをミックスした、自分のやりたいことだけをやるという明快な意図のもと、モリソンはどんどん進み続けた。実際、パンク、テクノ、ラップなど、彼が活動している間にロック界ではいろいろ大きな出来事があったが、彼の音楽の前ではちっぽけなことだったような気がする。それほど、彼の音楽観は大きく揺るぎないものなのだ。
ただ、一瞬だけ昔を振り返りたかったのかなと思えるのが、本作『キープ・イット・シンプル』というアルバムである。タイトルの、(今まで通り)シンプルであり続けろ…は、彼のモットーなのだろう。というか、まさに彼の音楽はシンプルである。自分が表現したい音楽を必要最小限の編成でやるというスタイル。もちろん、ホーンセクションやストリングスも彼の音楽には登場するが、決して華美にはならず“必要なものを必要なだけ使う”という省エネな考え方である。
まさに彼の70年代は特にそうであった。それを本作で再確認しようとしたのか、1周回って昔のスタイルに戻ってきたのか、そのへんは定かではないが、このアルバムが極めてシンプルで、味わい深い作品に仕上がっていることは確かである。
本作のバックを務めるのは、70年代から付き合いのある馴染みのメンバーたち。全曲にわたって、気心が知れた連中とのセッションの楽しさが伝わってくる。それに加えて、本作は久しぶりの全曲書き下ろしだけに彼の意気込みもよく分かる。そして、ブルージーでジャジーなモリソンのヴォーカルは、黒人っぽいとかブルーアイドソウルなどという俗物レベルを超えて、もはや彼の目指す音楽の頂点に達していると思えるほどの完成度で、その上、安らぎすら感じるのだから世界にはすごいシンガーがいるものだ。
サウンド的には確かに地味である。基本はギター、ベース、ドラム、キーボード(オルガン中心)で、何曲かでマンドリンやスティールギターが使われているぐらい。ロックであることは間違いないが、アメリカ南部のソウルやカントリーに近く、まるでトラディショナルを集めたカバーアルバムを聴いているかのような錯覚に陥ってしまう。ロック界の最高峰であるザ・バンドの音楽とは一卵性双生児のように似ていて、ゴスペルの香りも強い。「君、歳いくつやねん!」と突っ込みたくなるほど、タイムマシンで70年代に戻ったかのような力強いアルバムだ。レイドバックしてはいるが、彼の長いキャリアの中でも渾身の力作と言えるのではないだろうか。なお本作は、全米チャートで10位となり、自身初のアメリカで10位以内に入った作品である。地元イギリスやヨーロッパの一部では国民的スターなので、本作を含め10作以上がベストテン入りを果たしている。

最後に…

僕は個人的には70年代にリリースされたモリソン作品が素晴らしいと思うが、彼の活躍は半世紀にもおよぶだけに、これからモリソンを聴いてみようと考えている人は、何でもいいから彼のアルバムを手に取ってみてほしい。特にオススメはライヴ盤の『魂の道のり(原題:It’s Too Late To Stop)』(‘74)。あ、これも70年代…。去年、久々にリマスターされ完全版が出たばかり。いろんな種類がリリースされているが、オリジナルの通常盤(2枚組ですが)でいいから聴いてみてほしい。ドライブする曲から超絶バラードまで名曲ぞろいの逸品です♪

著者:河崎直人

OKMusic編集部

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