酔いどれ詩人と呼ばれた奇才トム・ウ
ェイツのデビューアルバム『クロージ
ング・タイム』は70年代ロックを代表
する傑作

1960年代のアメリカは、ベトナム戦争への反対や人種差別に対する抗議運動など、集団での行動が目立った時代であった。70年代に入ると理想と現実のギャップなどもあって、個の行動へと移り変わっていく。ジャニス・ジョプリン(70年没)、ジミ・ヘンドリックス(70年没)ジム・モリソン(71年没)など、ロックのスーパースターたちが相次いで亡くなることもあって、ポピュラー音楽の世界もまた、歌われる内容が集団(We:ウィ)から個(I:アイ)へと変わっていく。要するに、私的な内容を歌うシンガーソングライターたちに注目が集まることになったわけだが、73年にデビューしたトム・ウェイツは、シンガーソングライターではあるが、当時の西海岸産のサウンドと比べるとかなり毛色の違うミュージシャンであった。今回は、彼のデビュー作でロック史上に残る大傑作『クロージング・タイム』を紹介する。

シンガーソングライターの時代

70年代のアメリカ(それも前半まで)において、ロックの主流はシンガーソングライターたちであったように僕は思う。ジェームス・テイラー、キャロル・キング、ジョニ・ミッチェル、ニール・ヤングのような大物から、ボビー・チャールズ、タウンズ・ヴァン・ザント、ネッド・ドヒニー、ドニー・フリッツなど、商業的には成功はしなかったけれど、リスナーの心に深く残るアルバムをリリースした人たちもいる。彼らの多くは60年代後半から内省的で私的な内容の自作曲を歌い、70年代に入ってから認められるようになった。“集団から個へ”という時代が、おそらく彼らの音楽性に追いついたのだろう。この時代を象徴する歌といえばキャロル・キングの「君の友だち(原題:You’ve Got A Friend)」やジェームス・テイラーの「ファイア・アンド・レイン」が挙げられるが、この時代のシンガーソングライター・ファンには、売れた曲や売れなかった曲を問わず、それぞれ思い入れの深い曲があって、それもまたこの時代の“個”を象徴するエピソードだと思う。

アメリカ西海岸に多いシンガーソングラ
イター

ロック系シンガーソングライターの元祖と言えば、もちろん60年代に登場したボブ・ディランだ。だが、東部ニューヨークのグリニッジ・ビレッジ(1)で活動していたのはディランだけでなく、エリック・アンダーソン、フレッド・ニール、デイブ・ヴァン・ロンク、ティム・ハーディンらも忘れられない存在であった。その後、60年代後半になると、西海岸のヒッピー文化やフラワームーブメントなどに惹かれ、東部で活動するミュージシャンの多くがカリフォルニアへ移住することになる。東部人の西部に対する憧れについて歌ったのがママス・アンド・パパスの大ヒット曲「夢のカリフォルニア(原題:California Dreamin’)」(‘65)である。ちなみに、ジェイムス・テイラーやキャロル・キングも、東部から西海岸への移住組だ。

多数の優れたシンガーソングライターを
擁したアサイラム

70年代初頭、移住組も含めると多くのシンガーソングライターがロサンジェルスに集結するようになり、ミュージシャンたちの受け皿として設立されたのが新興のアサイラム・レコード(2)である。アサイラムについてはジャクソン・ブラウン『レイト・フォー・ザ・スカイ』の項でも触れているので、そちらも参考にしていただきたい。
アサイラムの所属ミュージシャンで日本でも有名なのは、イーグルス、ジャクソン・ブラウン、リンダ・ロンスタット、ジョニ・ミッチェルあたりだろうが、優れたシンガー・ソングライターのアルバムがアサイラムには集中している。日本でもアサイラムからリリースされるというだけで、出るアルバムを全て買う人が少なくなかったし、かく言う僕もそのひとりである。その中に、今回紹介するトム・ウェイツもいたのである。

トム・ウェイツの登場

当時、高1だった僕は、まだトム・ウェイツのことは何にも知らなかった。本作『クロージング・タイム』が日本でリリースされたのは73年で、日本発売時にはノーチェックだった。最初に知ったのはイーグルスの3rd『オン・ザ・ボーダー』に、彼のカバー曲「オール55」が収録されていたからなのだが、これが名曲(名演というべきか)で、こればかり繰り返し聴いていた時期があるぐらいお気に入りであった。イーグルス・ファンの中にはこの曲を最高に挙げる人もいるぐらいなので、やっぱり出来の良い曲であることは間違いないだろう。リリースから1年ほど経過した頃、僕もようやく『クロージング・タイム』をゲットしたのである。場末のバー的な雰囲気を感じさせるジャケット写真は名カメラマンのエド・キャレエフによるもので、他の西海岸産シンガーソングライターの明るいイメージのジャケットとはまったく違う、暗くて退廃的なテイストを醸し出していた。

本作『クロージング・タイム』について

アルバムは、イーグルスのカバーで知った「オール55」から始まる。イーグルスのカントリーロック的なアプローチとは違い、ピアノと生ギターが中心で、ベースやドラムは歌をサポートするだけに徹する静かな演奏。音数は少ないがツボを押さえたトム・ウェイツ自身のピアノと、驚くほどの嗄れた声に思わず引き込まれ、あっと言う間にアルバムを聴き終えていた。
通常、太陽・自然・海岸をイメージさせることの多い健康的なウエストコーストロックとは正反対で、彼の音楽は都会の夜・バー・酒とタバコの煙など、不健康なイメージであった。ただ、不思議なことに何回聴いても飽きないのだ。それどころか、聴くたびに新しい発見があり引き込まれていく。でも、飽きない秘密がどこにあるのかは分からない。ただ言えることは、演奏にしても歌にしても、彼の心情が正直に出ているような気がする。作り物(作り物なのだけれど)ではないリアルな哀愁感や風情を感じるのだ…というのが当時の僕の心情である。あれから40年以上が経つが、その思いは今でも変わらず、聴くと未だに新しい発見があるのだから嬉しいことである。
本作を構成するジャズっぽいナンバーやフォーク風のナンバーも、「オール55」と同じように彼の人間性が率直に感じられる。それは、ちょうど気のおけない友人とじっくり喋り合った後のような感触だ。これこそがシンガーソングライター的な音楽の醍醐味なのであり、この感覚にはまるとなかなか抜けられない。
アルバム収録曲は全部で12曲。どの曲も静謐感が漂い、バックの演奏は必要最小限に抑えられている。リスナー側に聴く気がなければ素通りしてしまうような音楽で、ある意味では聴く者を選ぶ作品であるかもしれないが、全ての曲が最高の出来栄えで、これが新人(アルバム制作時は24歳!)の作るアルバムかと思うほどの完成度である。シンガーソングライターの作るアルバムは星の数ほどあるが、本作は間違いなくその最上位にランクされる作品であり、メガヒットしたわけではないが、多くの人の心に残る名作中の名作であろう。

本作以降の歩み

トム・ウェイツがアサイラムに残したアルバムは7枚で、どれも優れた作品だが、やはり最初の2枚(『クロージング・タイム』『土曜日の夜』)が抜きん出ている。80年代にはニューヨークに移り、前衛ジャズの要素を取り入れた実験的な作品をリリース、特にラウンジ・リザーズの面々とタッグを組んだ『レインドッグ』(‘85)や『ミュール・バリエーション』(’99)などは彼の新しい側面が見える素晴らしいアルバムだ。現在も精力的に活動しており、2011年にはロックの殿堂入りを果たすなど、ミュージシャンズ・ミュージシャンとして世界中のアーティストからリスペクトされている。
また、彼は映画俳優としても活躍しており、フランシス・フォード・コッポラやジム・ジャームッシュ監督(3)のお気に入りの存在でもある。

著者:河崎直人

OKMusic編集部

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