ブルーグラスとロックを
クロスオーバーする
偉大なアーティストたちによる
ユニットアルバム
『ミュールスキナー』

『Muleskinner』(’74)/Muleskinner

『Muleskinner』(’74)/Muleskinner

グレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアをはじめ、スティックスのトミー・ショウ、元イーグルスのバーニー・レドンなど、ブルーグラス出身のロッカーは多いが、中でもバーズのギタリストとして、そしてスタジオミュージシャンとして多くのアルバムに参加したクラレンス・ホワイトは、トップアーティストのひとりであった。バーズ解散後の1973年7月15日、クラレンスは新たに結成したグループの公演が終わって機材を車に積み込んでいた時に、飲酒運転の車に追突され亡くなってしまう。まだ29歳であった。今回取り上げるのは、彼の死の半年ほど前に録音された『ミュールスキナー』というセッションアルバム。参加メンバーはクラレンスの他、ピーター・ローワン、リチャード・グリーン、ビル・キース、デビッド・グリスマンの5名で、ジェリー・ガルシアやマリア・マルダーのバックで知られるジョン・カーン(Ba)とL.A・エクスプレスのジョン・ゲラン(Dr)がサポートメンバーとして加わっている。

ブルーグラス音楽

クラレンス・ホワイトは最初はブルーグラス界で頭角を現すのだが、まずブルーグラス音楽について簡単に説明しようと思う。ブルーグラスはケンタッキー出身のビル・モンローが創造した一種のアメリカーナ音楽で、アパラチア周辺の白人ストリングバンドと黒人カントリーブルースのエッセンスを凝縮し、ジャグバンド、ウェスタンスウィング、ケイジャン等も視野に入れた、いわば各種ルーツ音楽を融合したアコースティック楽器が中心の商業音楽である。ブルーグラスの完成は、一般的にはバンジョーのアール・スクラッグスとギターのレスター・フラットがモンローのブルーグラス・ボーイズに参加した時(1945年頃)だと言われている(僕はモンローのブルーグラス・スピリットはその数年前に完成したと考えている)。

ブルーグラスの花形楽器はバンジョー、マンドリン、フィドルであり、ギターは主にリズムを刻んだり、アクセントをつけたりするための楽器であった。バンジョーはアール・スクラッグスのスリーフィンガーによる革新的なスクラッグス奏法が、ギターはレスター・フラットの奏法(Gランなど)がブルーグラスの基本スタイルとして継承されていく…様式美としての音楽を構築するという意味では、ヘヴィメタルとオーセンティックなブルーグラスは似ているかもしれない。その後、後期カントリー・ジェントルメンやブルーグラス・アライアンスが新風を吹き込み、70年代初頭にニューグラス・リバイバルが登場することでブルーグラス音楽は転換点を迎える。

卓越したクラレンス・ホワイトの
ギタープレイ

南部発のブルーグラスがある意味で民謡保存会のような保守的な動きを見せていた時期に、西海岸で活動していたクラレンスは、盲目の天才的なギタリスト、ドク・ワトソンやロックンロール的な技巧を持つジョー・メイフィスといったスーパーギタリストを模範にして、ブルーグラスにリードギターの概念を持ち込む。ピックと複数の指を使いシンコペーションを効かせたクラレンスのギターソロは驚くべきテクニックであり、その圧巻のプレイは彼の在籍したケンタッキー・カーネルズの『アパラチアン・スウィング』(’62)などで聴くことができる。このとき、クラレンスはまだ未成年である。

65年ごろにはクラレンスはジェームス・バートンやジミー・ブライアントらに影響を受け、アコースティックギターだけでなくエレキギターも弾くようになる。そして、セッションマンとして活動を開始するわけだが、彼がテレキャスターに仕込んだのはセカンド・ショルダー・ストラップ・ストリング・ベンダー(現在のB-ベンダー)と呼ばれる装置で、これはチョーキングせずとも、ネックを動かすことで2弦を1音上げることのできる機器である。この装置を使うとチョーキングとは違ったペダルスティールギターのような滑らかなサウンド効果が得られるので、彼のプレイは衆目を集め、多くのセッションに呼ばれることとなる。結果的にはバーズのメンバーとして迎えられ、その演奏はジミー・ペイジやアルバート・リーなど、多くのアーティストが注目するところとなり、数多くのフォロワーを生むことになる。

OKMusic編集部

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