プログレッシヴ・ロックの神髄とも言
えるU.K.傑作デビュー作『憂国の四士

 U.K.がやって来る。あれ、最近来たんじゃなかったっけ?と調べたら、ここ数年、ベンチャーズばりに立て続けに来日しており、それでも毎回、そこそこの集客を記録しているというから、なんとも根強い。まず、2009年30年ぶりに“UKZ”として九段会館での来日公演を実現したのをきっかけに翌2010年6月にはU.K.の曲を演奏するためのプロジェクト“U-Z Project”を組んで来日。さらに2011年4月には、川崎のClub Citta'に於いて、“U-Z Project”にゲストとしてジョン・ウェットンが加わるかたちで『UK Reunion Japan Tour』が実現すると、好評に気をよくした彼らは、さらに2012年6月にも同じくClub Citta'で、ジョン・ウェットン、エディ・ジョブスン、テリー・ボジオで、79年初来日時の3人編成のU.K.を再現し、『Night After Night 2012』を敢行。さらに2013年11月にはジョブスンの音楽活動40周年記念公演の前座としてClub Citta'でU.K.の1st、2ndアルバムの完全再現ライヴ実施するなど、まるで日本のプログレ市場(どのようなものか知らないけれど)を狙い撃ちするかのように、しつこいほどに来日公演を重ねている。それもさすがに、調子に乗っていつまでも続けられるものではない。エディ・ジョブスンのコメントによれば、今回が正式にバンドにピリオドを打つ、フェアウェル・ツアーだとし、プログレ人気の高い日本をその最終というか、終焉の地に選んだのだそうだ。とまあ、意地悪な書き方をしてしまったが、ずっと活動していたわけじゃないにもかかわらず、プログレ好きには忘れ去られることなく愛され続けてきたU.K.。そこで今回は彼らの記念すべきデビューを飾った名盤『U.K.~憂国の四士』を聴きつつ、その足跡を辿ってみることとしよう。

超テクニシャンのプログレ四士、奇跡の
競演

 さて『U.K.~憂国の四士』である。時代はパンクロック、ニューウェイブの大波に揺れていた。贅沢三昧な大御所ハードロック、プログレッシブロック勢は完全に時代遅れなものになりつつあった。そんな斜陽の時代に、何を意地になってプログレを、それもスーパーグループで? そんなもので一発当てられるほど、世の中甘くないぜ、と聴くまではそう思っていた。だから、大した期待もせずに買った記憶がある。特にU.K.に関しては第三期キング・クリムゾンの残党というか、残り香というか、コンセプト(頭脳)なき集合体に違いないと頭から決めつけていたものだ。その読みは間違っていなかった。しかしながら、それほど腐しておきながらもアルバムを買ったのは、やはりアラン・ホールズワースの参加がとても大きかったからだ。彼とビル・ブルフォードとのコラボレーションなんて、想像しただけでも陶酔しそうになるではないか!
 そのアラン・ホールズワース(Allan Holdsworth)。昔も、もしかしたら今もギター界屈指のテクニシャンとして知られる彼の、U.K.参加以前のキャリアで最も著名なのはザ・ソフトマシーンへの参加だろうか。古くは、先頃亡くなったデイヴィッド・アレンやケヴィン・エアーズ、ロバート・ワイアットらによって60年代なかばにスタートしたこのバンドは、メンバーチェンジを繰り返すごとにその音楽性も変化し、アラン・ホールズワースが参加した頃は超絶技巧を駆使したジャズロックバンドへと変貌を遂げていた。ちなみに、デイヴィッド・アレンが国籍とドラッグ問題で脱退を余儀なくされ、その代役として加入し、初期のソフト・マシーンのライヴを支え、ジャズロックへのシフトチェンジに大きな役割を果たしたのが、後にポリスを結成するアンディ・サマーズである。後述するが、エディ・ジョブスンがかつて在籍したカーブド・エアーにも、ポリスのドラマー、スチュアート・コープランドが在籍しており、このあたりの英国プログレ界の相関図は非常に面白い。話が逸れたが、英国人によるジャズロックといえば、ソフト・マシーンと同時期に活動していたジョン・マクローリン(マクラフリン表記が一般的か)率いるマハヴィシュヌ・オーケストラの存在が挙げられるが、さきほど名前の出たアンディ・サマーズが在籍した頃はそうでもなかったが、ホールズワース在籍時のソフトマシーンは技巧的にも優れたメンバーが集い、マハヴィシュヌ~に勝るとも劣らないバンドだった。
 ギターを始めたのは17歳ということなので、全然早熟でもなかったわけだ。それでも父親も音楽家であったらしく、最初はサックスなどの管楽器をたしなんでいたという。飲み込みが良かったというのか、筋がいいというのか、猛練習に励んだのか、バンドを始めてからはメキメキと頭角を現し、知られているバンド遍歴にはテンペスト、ニュークリアスというすごい名前が並び、そしてソフト・マシーン、さらにはトニー・ウィリアムスのライフタイム、ゴングなどのバンドへと変遷を重ねている。やがてU.K.に加入する頃にはジャズ、ロック界で知らぬ者はいないほどの名ギタリストとして知られる存在になっていた。同業者(ギタリスト)にも彼の信奉者は数多いようだが、有名なところではあのヴァン・ヘイレンのギタリスト、エドワード・ヴァン・ヘイレンがホールズワースを師と仰ぎ、U.K.が初のアメリカ・ツアーを行なった時にはまだ駆け出しのヴァン・ヘイレンがオープニングアクトを務めたというのは有名な話である。ジェフ・ベックのようなアタックの強いフレーズは繰り出さないものの、右手の指弾きを駆使した滑らかな、それでいて超高速のフレージングを得意とする彼のスタイルというのも、非常にユニークだ。技巧派プレイヤーにありがちなものだが、ホールズワースのエゴの強さも相当なものらしく、U.K.にもう少し在籍していれば金銭的にも恵まれようものを、音楽的な意志はそれに甘んじることなく茨の道を歩み、80年代以降はレコーディング契約もままならない、厳しい経済状況にもさらされる時期を過ごしたようである。そんな時も、エドワード・ヴァン・ヘイレンが師匠のレーベル契約に奔走したという美談が残されている。近年は自身のバンドを率いることはなかったが、多くのアーティストのライヴやレコーディングに客演し、安定した活動を続けていた。ところが、本当なのかどうなのか、ホールズワースは引退を表明し、昨年2014年の秋に引退ツアーと銘打ったコンサートが日本でも行なわれた。1949年生まれというから、65歳。全然引退するのは早すぎる年齢なのだが。単なる気まぐれの思いつき発言であることを祈っている。
 ビル・ブルフォード(Bill Bruford)は言うまでもなくイエス、キング・クリムゾンと渡り歩いてきた、ロック、ジャズ界屈指の変拍子ドラマーで、パワー隆盛のロック界において、彼ほどの繊細さと頭脳的かつ技巧的なドラミングはそれ以前、それ以降も存在しないほどユニークなものだった。そのふたりが組むのである。カール・パーマー(EL&P)でもなく、サイモン・フィリップス(ホークウィンド)でもなく、マイケル・シュリーブ(サンタナ)でもジェフ・ポーカロでもなく、トニー・ウィリアムス(マイルス・デイヴィス、ライフタイム)でもなく、ブルフォードが叩くというのは、一段も二段も格の違うものを示してくれるように思えたのだ。
 そこに、やはりロキシー・ミュージック、フランク・ザッパのバンドというキャリアを歩んできたエディ・ジョブスンがいる。最初はその椅子にはリック・ウェイクマン(イエス)が座る予定だったそうなのだが、リハの段階で頓挫したらしい(所属レコード会社の都合?)。ジョブスンはロック界きっての耽美派美男子だった。あのルックスを思うと、ブライアン・イーノの後釜としてロキシー・ミュージックへの加入は納得できるけれど、よくザッパのバンドに入ったものだと思う。屈強の男臭さが充満していそうなバンドではないか。だからなのか、同僚のテリー・ボジオ(当時は美青年として知られていた)は結構ザッパにいじられたようなのだが、ジョブスンはザッパの攻撃をうまくかわしたのか、すり抜けたのか、痛い目に遭わないうちに抜けてしまったのか?
 そういや、ザッパの曲に70年代にビジュアル系ロックバンド“エンジェル”のギタリスト、パンキー・メドウスを思いっ切りコケにする「パンキーズ・ウィップス」という曲があるのだが、一歩間違えばジョブスンとてネタにされる可能性はあったはずなのだが、うまく逃げ切ったというところだろうか。彼が在籍した時期のザッパ・バンドの演奏クオリティーというのはバンドの超絶技巧ぶりがピークに達していた頃で、ライヴ作『Zappa in NEW YORK』('77)にはブレッカー・ブラザーズやルース・アンダーウッドといった強者に混じって、テリー・ボジオ、そしてジョブスンの多彩な活躍ぶりが記録されている。それにしても先の「パンキーズ・ウィップス」の他、同作にはザッパお得意の超下品な下ネタ曲「おっぱいとビール」「イリノイの浣腸強盗」なども納められているのだが、自分の美意識も高かったに違いないジョブスンは、果たしてどういう気持ちで演奏していたのだろう。
 クラシック音楽の教育を受けてきた人だと聞いている。その頃の経歴についてはあまり語りたがらないようだが、18歳の時にやはりヴァイオリン奏者がいることで知られるロックバンド、カーブド・エアに、ダリル・ウェイの後釜に加入している。ロック界との付き合いはこのバンドからである。ちなみに、カーブド・エアはその後期には後にポリスでパーカッション、ドラムを担当するスチュアート・コープランドが在籍したことでも知られるバンドだが、コープランドが加入した時にはジョブスンはすでに脱退し、ロキシー・ミュージックで活躍中ということで両者が共演する機会はなかったようだ。
 ジョン・ウェットン(John Wetton)に関しては簡単に流そうと思う。彼の武器はなんと言っても魅惑的なプログレ声の持ち主であり、しかも渋い男前だ。ファミリー、ロキシー・ミュージック、キング・クリムゾンを経て、主張の強いベースを弾くという印象も強い。第三期キング・クリムゾンの解体原因はいろいろ語られているが、近年その時期のクリムゾンのライヴ音源も発掘が進んでおり、それを聴くとジョン・ウェットンが異常にごり押し的なベースを弾いているところがあり、ブルフォードはそれに嫌気が差してきていたという話も聞く。とはいえ、こうしてU.K.の誘いにはブルフォードも応じているところを見ると、喧嘩別れというわけではないのだろう。でも、結局のところ、ブルフォードやホールズワース、ジョブスンはとことんプレイヤービリティーを追求するタイプであるのに対し、ウェットンは時局に合わせるという、また別の視点を併せ持つタイプであったらしく、U.K.解体後はよりポップなプログレを目指して、懲りずにスーパー・グループ、“エイジア”の結成に奔走していくのである。

「プログレをナメんなよ!」と脳天をブ
ン殴るような、神懸かり的演奏

 腐ってもプログレを知り尽くした男たちである。このバンドがデビューした時、世間は冷ややかなものだったと思う。英米はもっと冷淡だったと聞く。なんという時代錯誤なことをするのかと。いつまで過去の栄光にすがって生きるのかと。私もそう思っていた口だが、先述したように、そうは言ってもこの超強力なラインナップの魅力には抗えなかった。パンクな野郎どもが1000人くらい束になってかかっても適わぬくらいの腕前の持ち主が揃っているわけだ。そんな人たちに、いくらパンクな時代だからと言って出番がなくなる、見向きもされないというのは酷い話ではないかと。中には、パンクな女の子と交際してみたロバート・フリップ(キング・クリムゾン)や、それからザ・ポリスのように「俺たちはわざと下手なフリをして演奏していたんだぜ。だって、同じクラブの他の出演者と腕が違いすぎるからさ」(アンディ・サマーズ談)と、パンクに接近していった者、あるいはもとはプログレの総本山ともいうべきカンタベリー出身で、メンバーには後にロキシー・ミュージックでギターを担当するフィル・マンザネラがいたクワイエット・サンのドラマーも務め、アバンギャルドなパンクバンド、ディス・ヒートを結成するチャールズ・ヘイワードのような才人もいたが、今回の主役である憂国の四士たちはそんなフリはできないし、する必要もない。やれることをやるだけだ、と言わんばかりの開き直りようであった。そこまでいけば、いかに時代とズレていようが、何も批判するものでもなかろう。
 もしかすると、テクニックをすっ飛ばして、発想や主張、一本気なところで押してくるパンク勢に、目にもの見せてやるわ!と開き直ったところが彼らにはあったのかもしれない。「ナメんじゃねえ!」と。今となっては、そんな堅気なところや逆風に立ち向かうようなところが、情にもろい日本人の心情に届いたというところもなきにしもあらずだったと思うのだ。
 アルバムをターンテーブルに乗せて聴いてみた時のことを覚えている。私はぶったまげてほとんど土下座状態だった。す、すごい! すごすぎる…。コンセプトなきインプロビゼーションバンドという読みは的中していたが、その“不足分”を帳消しにするほどの演奏力の高さ、楽曲のクオリティーには、ぐぅの音も出なかった。その凄まじいギターワークに刺激されたのだろう。本作ではジョブスンも常人には及びもつかないような創造的な演奏をしている。
 オープニングの「イン・ザ・デッド・オブ・ナイト」は、彼らの(残されたレパートリーが多いわけではないが)代表作とでも言うべく曲。ズン、ズン、ズンとユニゾンでイントロを決めたところでシンセが加わり、さらに“いかにもブルフォード!”と言うべきドラムが決まっていく。プログレ的な緩急、ドラマチックの展開にウェットンの叙情的なヴォーカルが乗り、それぞれの持ち味がビシビシと決まる。ウェットンが歌い上げながら「バイ・ザ・ライト・オブ・デイ」と続き、このあたりは曲名こそ分かれてはいるものの、プログレに付きものの、メドレー的な展開でアルバムは進み。「 プレスト・ビバーチェ・アンド・リブライズ」ではジョブスンの目眩がしそうな高速キーボードと競うようにブルフォードが変拍子ドラムを決める。こんな芸当ができるのは彼らだけだろう。「サーティー・イヤーズ」ではこれまたジョブスンのシンセとホールズワースのアコースティック・ギターが実に美しい旋律を描いていく。
 レコードでは「アラスカ」からSIDE2/B面だったと思う。両面通してアグレッシブな演奏で押しているが、B面は特にそのカラーが強くなっていると思う。実際のスタジオやライヴではメンバー間の軋轢が激しかったとも聴くが、アルバムではバンドとしての一体感を感じさせる。「タイム・トゥ・キル」も見事な構成を持った曲で、ジョブスンはキーボードだけでなく、エレキバイオリンを弾きまくっている。同じロックバイオリン奏者にはジャン・リュック・ポンティ(ザッパ・バンド)、デビッド・クロス(キング・クリムゾン)等いるが、みんな総じてクラシック出身者らしい卓越したプレイを聴かせるが、ジョブスンの腕前も相当なものだ。
 「ネバーモア」はホールズワースのアコースティックギターの早弾きに始まるが、途中から曲想が変わると、それとともにエレキにスイッチし、ここで面目躍如とばかりにギターを弾き倒す。これを聴いただけでも改めてすごいギタリストだと思う。そのバックで対抗意識剥き出しのようにジョブスンがキーボードを操っている。まさに両者のバンド内での関係性を表しているいるようだ。ラストナンバー「メンタル・メディケイション」も手綱を緩めることなく、バンドは全員で駆け上っていく。それにしても、ブルフォードの竹を割るような小気味いい音ときたらどうだろう。これだけの技巧をパワーで表現するのは無理というものだが、この変幻自在に曲に彩りを加えていく技は、彼以降のドラマーは誰一人として持ち得ていない。本当に唯一無比なドラマーだと思う。
 残念なことに、本作だけでブルフォードとホールズワースはあっさり脱退してしまう。ジョブスンの主張するもの、ウェットンの目指すよりポップな路線にふたりは異を唱えたのだとも聞くし、本作でやっている程度の音楽の幅の中でのインプロビゼーションにはふたりは満足できなかったとも言われている。後年、ホールズワースは「ビルにいい(金になる)仕事があるぜ、と誘われたのさ。スタジオで適当にギターを弾いたら、それがOKになってしまった」と不遜な発言を残している。まぁ、ホールズワースにすれば、本作で弾いているギターぐらい、逆立ちしてでも弾いてやる、といったところだったのかもしれない。素人にはもちろん、並のギタリストならば卒倒しそうなギターを弾きまくっているのだが。が、真相はたぶんジョブスンとふたりはぶつかったのだろう。

 我の強いホールズワースとブルフォードが抜け、ジョブスン独裁体制となったU.K.。視界良好となったところで新ドラマーとして招き入れたのがテリー・ボジオ(Terry Bozzio)だった。ジョブスンが声をかけたのは間違いない。ふたりはかつてのバンドの同僚で、フランク・ザッパに徹底的にシゴかれた仲だった。ボジオはザッパ・バンド後は自分の夫人をフロントに据えたニューウェイブ系ポップバンド、ミッシング・パーソンズを率いて、そこそこ注目を集めていた時期だったのではないかと思う。派手でスキャンダラスな浮き名を流す夫人との関係が長続きするわけもなく、ミッシング・パーソンズも空中分解という頃に、旧友のジョブスンが「いい仕事があるぜ」と連絡してきたのだった。先代ブルフォードに負けず劣らずテクニシャンであり、なおかつブルフォード以上にパワフルなドラマーであるボジオと、もはやギタリストに気兼ねすることなく、ヴァイオリン、キーボードとリード楽器を弾きまくれるようになったジョブスン、そしてウェットンによるパワートリオ。この3人による2nd作『DANGER MONEY』('79)を1stよりも推すという人も少なくない。どことなくEL&Pに近くなったような印象もあるのだが、3人体制による迷いのない鉄壁の演奏、プログレの醍醐味を知り尽くしたかのような起承転結、メリハリの効いた構成力は、確かに悪くない。U.K.としてはこの3人で初の来日公演(1979年5月~6月)を行なっており、5月30日と6月4日の音源によりまとめられたライヴ作『NIGHT AFTER NIGHT』('79)がリリースされ、ありったけの演奏力をこれでもかと繰り出す、凄まじいばかりのパフォーマンスが記録されている。これはこれでバンドの到達点だったのだろう。彼らの中でも燃焼しつくした感があったのか、アルバムがリリースされて後、U.K.は活動を停止することとなる。
 それでも本作がやはり彼らの代表作であり、名盤だと思う。我の強い4人が、破綻をきたす寸前でなんとか折り合いを付けられたというか、レコーディングに必要以上に時間をかけて長引いたりしていれば頓挫して、バンドも空中分解してしまったかもしれない。そういうギリギリのせめぎ合いのような、美しい火花を感じることができるのだ。ロバート・フリップやフランク・ザッパ、マイルス・デイヴィスといった頭脳派は、このアルバムをどう思っただろうか。自分たちが仕切れば、もっといいものが作れたのに、とでも言うだろう。そうかもしれないし、そうではないような気もする。

見届けておきたい、プログレ職人たちの
最後の名演

 さて、ラストツアーと銘打たれた今回の公演、肝心のメンバーはオリジナルメンバーのジョブスンとウェットンを軸に、ギターにはアレックス・マカセク / Alex Machacek(Guitar)にドラムにはヴァージル・ドナーティ / Virgil Donati(Drums)を配するというラインナップ。ギターとドラムのふたりについてはほとんど情報を得ていないのだが、ジョブスンのお眼鏡にかなった人材となれば、腕前に申し分はないのだろう。特にドラムのヴァージルはホールズワースやスティーブ・ヴァイとも共演した実績の持ち主らしく、経歴的にはU.K.にぴったりの逸材と言えよう。有終の美を飾って欲しいのは言うまでもないが、結果次第ではまだ先の道が見えてきたりするのではないかと、そんな期待も抱かせる。公演スケジュールだが、USA、Worldツアーに続いてやってくる日本公演については、現在掴めている情報は下記の通り。
6月14日(日) 神奈川・Club Citta
6月15日(月) 神奈川・Club Citta
6月16日(火) 神奈川・Club Citta
6月17日(水) 神奈川・Club Citta
6月19日(金) 大阪・Namba Hatch
6月21日(日) 神奈川・Club Citta
 年齢を思うと、この過密スケジュール、大丈夫かと心配になる。それはいいとして、決して長く活動を続けてきたバンドというわけではないのだが、忘れがたい名バンドであり、楽器を手にすれば今も震えがくるような凄まじい演奏を披露してくれる人たちだ。今こそ彼らの姿、音を心に刻んでおくまたとない機会だと思う。

著者:片山明

OKMusic編集部

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