オールマンブラザーズバンドの『アッ
ト・フィルモア・イースト』はロック
の頂点を極めた最高峰

71年にリリースされたライヴ盤の本作『アット・フィルモア・イースト』は、ロックの醍醐味を全て兼ね備えた稀有の傑作であり、この作品を超えるアルバムを探すのは困難だとあえて言い切ってしまおう。オリジナル盤(のちにデラックス盤やコンプリート盤がリリースされている)に収録された全7曲のどれもがロック史上最高の演奏である。天才ギタリスト、デュアン・オールマンのスライドプレイをはじめ、バンドのメンバーが一体となったその奇跡的なインプロビゼーションは、ロックの伝説と言ってもいいだろう。

デュアンとグレッグのオールマン兄弟

兄デュアン(1946年生まれ)と弟グレッグ(47年生まれ)のオールマン兄弟は南部出身で、幼少時からブルースやカントリーを聴きながら育っている。若い頃からグレッグのソウルフルなヴォーカルとソングライティングには定評があり、デュアンはギターの腕を磨いていた。1967年、アワーグラスを結成し、ロックの拠点となっていた西海岸(ロス)へと向かう。当時の西海岸はヒッピー文化が全盛でフォークやサイケデリックロックが中心であったが、彼らのグループはブルースやサザンソウルをベースにした泥臭いサウンドだったため、大手レコード会社から2枚のアルバムを発表するもあまり売れなかった。
結局、ロスでは自分たちのやりたい音楽ができないと南部に戻るのだが、すぐにデュアンのギターに注目が集まり、マッスル・ショールズ近辺でスタジオミュージシャンとして活躍することになる。しかし、デュアンはどうしてもグレッグと新しいグループを結成したかったため、地元のミュージシャンとジャムを繰り返し、ブルースをベースにしながらもインプロビゼーションを重視した独自のサウンドを生み出そうとしていた。この時、デュアンが参考にしたのが当時西海岸で最高の人気を誇っていたグレイトフル・デッドだと思われる。デッドの長尺かつフリーフォームな演奏スタイルには相当インスパイアされたようだ。また、デッドと同じくツインドラム(一人はパーカッションを使用することも多い)を取り入れているのだが、これは当時としては珍しいアプローチであった。

オールマンブラザーズバンド始動

69年、いよいよオールマンブラザーズバンドが結成される。人種差別が激しい南部にありながら、メンバーは白黒混合の6人組となった。デビューアルバム『オールマンブラザーズバンド』(‘69)は、ブルースロックとして語られることも多いが、すでにサザンロック(1)としての形態がほぼ出来上がっている。それまでになかった新しいジャンル、ザンロックの誕生である。
オールマンブラザーズが他のブルースロック・グループと決定的に違うのは、デュアンの個性的なスライドギタープレイであり、パーカッションの使用であり、切れ味鋭いグルーブ感などにある。どちらかと言えば、クリームやレッド・ツェッペリンなどのイギリスのハードロックグループに近い音楽性であった。とはいえ、全く新しいスタイルのロックであったがために、評論家筋やプロのミュージシャンに認められはしたものの、一般にはあまり売れなかった。
続いてリリースされた『アイドル・ワイルド・サウス』(‘70)は前作のブルースっぽさに加え、カントリー的なレイドバック(2)感や、新機軸のフュージョン的インストなど、のちのサザンロックのグループが手本にする要素をギュッと詰め込んだ一大傑作となった。この2ndはチャートで最高38位止まりではあったが、その後のアメリカンロックの進むべき道を示した革新的なアルバムである。

サザンロックの誕生

チャーリー・ダニエルズ・バンド、マーシャル・タッカー・バンド、エルヴィン・ビショップなど、『アイドル・ワイルド・サウス』に影響を受けサザンロックに開眼したグループは多く、アル・クーパー(3)はサザンロック専門のレーベルを立ち上げレーナード・スキナードを世に出した。
70年代中期には、オールマンブラザーズの生み出した“サザンロック”スタイルはトレンドと化し、泥臭い南部テイストのロックに世界中の注目が集まることになった。日本でもアイドル・ワイルド・サウス、めんたんぴんなど、オールマンブラザーズに影響を受けたグループが数多く登場し、一時は関西を中心にサザンロック熱が大いに高まったこともある。
「レイラ」の大ヒットで知られるエリック・クラプトンのデレク&ザ・ドミノスも英米混合のサザンロックグループだ。『アイドル・ワイルド・サウス』を耳にしたエリック・クラプトンは南部まで足を運び、そこでデュアンに『デレク&ザ・ドミノス』への参加を懇願しているぐらいだから、彼もまたこのアルバムに入れあげているひとりだと言える。

『アット・フィルモア・イースト』につ
いて

本作は、1971年3月にニューヨークのフィルモア・イーストで収録されたライヴ盤だ。LP発売当時は2枚組であったにもかかわらず、長尺曲が多いため7曲しか収められていない。サイドAとBの4曲はブルースのカバー、サイドCとDの3曲はオリジナルで、彼らの好きな音楽と目指す音楽が一聴して分かるような構成となっている。
冒頭の「Statesboro Blues」からヴォルテージ全開のデュアンの超絶スライドが飛び出し、当時のロック少年(もちろん僕も含め)を虜にしたものである。当時のロック界で、これほどドライヴのかかったキレの良いスライドを弾けるのはデュアンだけであり、多くのフォロワーを生み出すことになるのだが、長い間誰もデュアンには追いつけなかった。現在はデレク・トラックスが後継者となっている(テクニックにおいてはデュアン以上だろう)。デレクは時々デュアンそっくりに弾くので、それを聴きたいがためにデレク・トラックスを観に行く中年も少なくない。余談であるが、デレク・トラックスはオールマンブラザーズのドラマー、ブッチ・トラックスの甥にあたり、名前の“デレク”はもちろんデレク&ザ・ドミノスから命名されている。
2曲目以降も、ツインギターとツインドラムのダイナミズムというか、持っている力を完全に出し切っているというか、どの曲も圧倒的なパフォーマンスで聴くものを引きずり込んでしまう。僕自身、このアルバムを中学生の頃から何百回か何千回か聴いているけれど、飽きない。飽きるどころか、毎回新しい発見ができる稀有のアルバムなのだ。
彼らの代表曲として知られる「In Memory of Elizabeth Reed」はもうひとりのギタリストのディッキー・ベッツの手になる作品で、ラテンジャズっぽいフュージョンナンバーだ。この曲はサンタナあたりにインスパイアされたのかもしれない。デュアンとディッキーのツインリードが美しく、特にデュアンのスライドとは違ったフレージングの巧さが光る名演奏だと思う。この曲はオールマンサウンドの進化を予感させるものであったが、残念なことにデュアンはこのライヴ収録の半年後(71年10月)、バイク事故で急逝する。まだ24歳の若さであった。そして、23分にも及ぶ「Whipping Post」で本作は幕を閉じる。
『アット・フィルモア・イースト』は、90年代に隆盛を極めるジャムバンド群に影響を与えただけでなく、71年以降のロック界全体に多大な影響を与えた。彼らの存在がなければ、ロック史は変わったものになっていただろう。このアルバムは、それだけ大きい影響力を持っているのだ。もし、まだ聴いていないのなら、これからでも遅くない。ぜひ一聴を!
余談だが、LP時代、ラストの「Whipping Post」が終わったあと、ティンパニの音が鳴ってフェイドアウトしていくのだが、明らかに次の曲が始まっている感じで「あー、聴きたい!」と思ったものだった。その答えは『アット・フィルモア・イースト』の次にリリースされたこれまた2枚組の大作『イート・ア・ピーチ』(デュアン死後にリリースされた。これも名盤!)にあった。当日のライヴでは23分の「Whipping Post」のあと、34分近くにも及ぶ「Mountain Jam」が続けて演奏されていたのである。のちにリリースされた『アット・フィルモア・イースト(デラックス・エディション)』や『フィルモア・コンサート』では続けて収録されている(2曲で1時間近いけど…)ので、興味のある人はそちらもぜひ♪
※ Duane Allman の Duaneは本来「デュエイン」が発音としては近いが、日本では「デュアン」と呼ぶことが多いので本稿では「デュアン」とした。

著者:河崎直人

OKMusic編集部

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