第2期ドゥービーズを率いたマイケル
・マクドナルドの初ソロ作『思慕(ワ
ン・ウェイ・ハート)』はAORの傑作

「ロング・トレイン・ランニング」や「チャイナ・グローブ」などの大ヒットを持つドゥービー・ブラザーズは、トム・ジョンストンとパット・シモンズのツートップを中心にして、カントリーロックからハードなアメリカンロックまで幅広いサウンドで勝負したグループだった。75年にトム・ジョンストンが健康状態の悪化で休業を余儀なくされたため、急遽代役として呼ばれたのがスティーリー・ダンのメンバー、マイケル・マクドナルドである。彼の参加でグループの音楽は、それまでの骨太で田舎風のロックから、AOR寄りの都会的なサウンドになった。75年の『スタンピード』までの第1期と76年の『ドゥービー・ストリート』以降の第2期では、違うグループになったと言ってもいいだろう。今回は第2期ドゥービーズを率い大成功へと導いたマイケル・マクドナルドが82年にリリースし、全米チャート6位まで上昇した彼の初ソロアルバム『思慕(ワン・ウェイ・ハート)(原題:If That’s What It Takes)』を取り上げる。

70年代前半は「自然」と「のんびり生き
る」がキーワード

50年代から60年代にかけて高度成長を続けてきた日本が抱えていた、川や大気の汚染と各種公害が大きな社会問題となり、70年代に入ると自然を大切にする風潮が世界的に広がっていく。ポピュラー音楽の分野にもその影響は広がり、田舎やのんびりした生活を反映したカントリーロックに大きな注目が集まることになる。アメリカではイーグルス、リンダ・ロンスタット、ニッティ・グリッティ・ダート・バンド、イギリスではリンディスファーン、フェアポート・コンヴェンション、ブリンズレー・シュウォーツなどが人気となっていた。

スティーリー・ダンからドゥービー・ブ
ラザーズへ

そんな中にあって、ドゥービー・ブラザーズはカントリー的なものからハードロック的なものまでこなす幅広いサウンドで一時代を築いたグループであった。71年のデビュー作『ドゥービー・ブラザーズ・ファースト』から75年の『スタンピード』まで、アルバムをリリースするたびに確実に力を付け、ウエストコーストロックだけにとどまらず、もはやアメリカを代表するグループに成長していた。
彼らの人気が絶頂期を迎えようとしていた頃、リーダーのトム・ジョンストンが健康状態の悪化で休業を余儀なくされ、解散が囁かれていた時にジョンストンの代わりとして呼ばれたのが、当時スティーリー・ダンのメンバーであったマイケル・マクドナルドだ。フォーク、カントリー、ロックなどをバックボーンに持つメンバーが集まっていたドゥービーズであるが、マクドナルドはソウル音楽が大好きで、スティーリー・ダン時代に都会的なアレンジを学んだその経歴は、ドゥービーズの新しい血となるのである。
彼の加入後にリリースされた『ドゥービー・ストリート(原題:Takin’ It To The Streets)』(‘76)で、早速彼の才能が発揮される。彼ならではのソウルテイストに加え、キーボード奏者としてのハイレベルのプレイにも注目が集まった。それまでのドゥービーズはギター中心のロックであったのに、一転してキーボードがメインになるのだから不思議なものである。体調不良のトム・ジョンストンがイニシアティブをとったドゥービーズらしい曲が、逆に浮いてしまうという皮肉な結果となった。
その後もドゥービー・ブラザーズは、『運命の掟(原題:Livin’ On The Fault Line)』(‘77)や『ミニット・バイ・ミニット(原題:Minute By Minute)』(’78)など、AOR路線での力作をリリースし、特に後者は70年代後半のアメリカンロックを代表する名作と言えるほどの出来栄えとなった。新参者でありながらも、リーダーシップを取ることでマクドナルドは成長を続けていたのである。

ドゥービー・ブラザーズの解散とソロ活

『ミニット・バイ・ミニット』に収録された「ホワット・ア・フール・ビリーブス」が全米チャート1位(マイケル・マクドナルドとケニー・ロギンスの共作)となりグラミー賞も獲得し、ドゥービーズはアメリカンロッカーとして頂点に立つ。しかし、ハードなツアーや新作のプレッシャーなどからグループは疲弊し、結局82年の『フェアウェル・ツアー・ライブ』を最後に解散するのである。しばらくして再結成はするのだが、それはある意味で同窓会みたいなものなので、実質ドゥービーズのアルバムはここまでと考えるべきである。

本作『思慕(ワン・ウェイ・ハート)』
について

ドゥービーズが解散するとは言っても、マクドナルドの仕事ぶりは充実しており、ソロアルバムを作るのは当然の流れであった。特に70年代中頃からはフュージョン/AORが流行し、マクドナルドの音楽性が時流にマッチしているのは明らかであったから、ソロ作のリリースは各方面から切望されていたのだ。
本作が82年にリリースされると、チャートを駆け上がり6位まで上昇したわけだが、確かに収録された10曲はどれも素晴らしく、80年代を代表するAOR作品の一枚となった。AOR/フュージョン系の傑作は76~78年にリリースが集中していて、ボズ・スキャッグス『シルク・ディグリーズ』(‘76)、ネッド・ドヒニー『ハード・キャンディ』(’76)、ジョージ・ベンソン『ブリージン』(‘76)、マイケル・フランクス『スリーピング・ジプシー』(’77)などが知られるが、マクドナルドは80年代になっても安易に打ち込みを使わず、人力での演奏にこだわったことが、70年代の名盤群と肩を並べるほどの仕上がりになったのだと僕は思う。
バックを務めるのはトトの面々をはじめ、ベースプレーヤーではクインシー・ジョーンズの秘蔵っ子、ルイス・ジョンソンとドゥービーズの同僚で敏腕セッションマンでもあるウィリー・ウィークス。ドラムにはスティーブ・ガッド。ギターはディーン・パークス、ロベン・フォードら。他にもトム・スコット、グレッグ・フィリンゲインズなど一流どころが参加している。バックヴォーカルもケニー・ロギンス、クリストファー・クロス、ブレンダ・ラッセルらが彼の初ソロアルバムに花を添えている。
彼はこの後、ソロ作を何枚かリリースしたり、ドゥービーズの再結成に加わったりもするが、本作を超える作品は作れていない…。と思っていたら、2000年以降になってモータウンにオマージュを捧げたカバーアルバム『モータウン』(‘03)と『モータウン2』(’04)が出た。この2枚はモータウン好きもそうでない人も楽しめる秀逸なノーザンソウル作品である。2008年には続編となる第3弾『ソウル・スピーク』をリリース、まだまだ枯れていないことを証明してみせた。

著者:河崎直人

OKMusic編集部

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