スティービー・ワンダーの『キー・オ
ブ・ライフ』は黒人音楽がソウルを超
えた瞬間を捉えた奇跡的なアルバム

スティービー・ワンダーについては、もはや語ることがないほどのビッグスターであり、20世紀に登場した最高のミュージシャンであることは誰もが知っている事実である。ただ、あまりにも有名であるために、彼のアルバムを買おうとする人は意外と少ないのではないか。特に、若い人などは気に入った曲だけをダウンロードする場合も多いはずで、彼のヒット曲のみを聴いているのかもしれない。しかし、スティービー・ワンダーの音楽を知るためにはアルバムで聴くことが大事だと僕は思う。スティービーほどの天才になれば、アルバム全体のバランスを熟慮して各曲の配置を決めているから、アルバム単位で聴くことで楽曲の素晴らしさが際立つのである。今回はLP時代は2枚組プラス3曲入りEPとしてリリースされ、グラミー賞の最優秀アルバムにもなった『キー・オブ・ライフ(原題:Songs In The Key Of Life)』を紹介する。

12歳でデビューした早熟の天才少年

スティービー・ワンダーは11歳でソウルの名門レーベル、モータウンと契約し、12歳の時にリトル・スティービー・ワンダー名義でリリースしたアルバム『The 12 Years Old Genius』(‘63)とシングル「Fingertips」がどちらもビルボードチャートの1位になる。これだけを見ても、すでに彼の天才ぶりが発揮されているのだが、この時はまだシンガーとしての活躍であり、彼の本当の天才が開花するのは70年代まで待たなくてはいけない。
モータウンレコード(1)は、黒人ミュージシャンばかりのレーベルであったが、アイドル的なグループ(マイケル・ジャクソンの在籍したジャクソン5など)や、白人受けのするポップな音楽を発信していた。ちょうど、日本のジャニーズ事務所に似た感覚で、在籍していたのはダイアナ・ロス率いるスプリームス、テンプテーションズ、フォートップス、前述のジャクソン5、マービン・ゲイ、ミラクルズなどで、どのアーティストも大ヒットを連発、大レコード会社へ成長していく。
リトル・スティービーも他のモータウンのアーティストと同様に、オリジナル曲に加えて当時のヒット曲を取り上げ歌っていたが、中でもボブ・ディラン(ノーベル文学賞受賞!)の「風に吹かれて」が66年にカバーヒットし、この頃からスティービーの音楽創作欲に火が付いたようだ。彼はロック、ソウル、ポップス、カントリーに至るまで、良い音楽を貪欲にカバーしながら、一方で自分の音楽を生み出すために模索していたのである。天性の才能にプラスして、白人黒人の区別なく良い音楽を吸収し昇華するという切磋琢磨で、1970年には自らプロデュースしたアルバム『涙を届けて(原題:Signed, Sealed & Delivered I’m Yours)』をリリース、タイトル曲は彼の代表曲のひとつとして、今でも多くの人に愛されている。

70年代初頭に開花した才能

アルバム『涙を届けて』は彼の15枚目(!)のアルバムで、この時まだ20歳なのだから恐れ入る。とにかく、ここからが彼の第2の音楽人生のスタートと考えればいいだろう。続く16枚目の『青春の軌跡(原題:Where I’m Coming From)』(‘71)ではミュージシャンとしての自我に目覚めたのか、当時高価であったシンセサイザーを実験的に使っている。
17枚目の『心の詩(原題:Music Of My Mind)』(’72)では、全ての楽器を自分で演奏するようになり、大ヒットこそ生まれてはいないが、この作品こそが彼の大きな転機となる。このアルバムが一番好きというファンも少なくないと思う。すでにヴォーカルではスティービー節が炸裂しているし、マービン・ゲイやダニー・ハサウェイらのようなニューソウルと呼ばれた新しいソウルのムーブメントとも呼応するようなサウンドを持っている。このアルバムでの経験は、スティービーの才能を一気に開花させることにつながり、次作の『トーキング・ブック』(’72)ではロックファンをも虜にする過激なサウンドを提示するのである。実際、当時ハードロック少年だった僕は、このアルバムに収録されていた「迷信(原題:Superstition)」のカッコ良さに打ちのめされるのだ。きっとジェフ・ベックも同じ気持ちだったから本作にギタリストとして参加したのだろうし、逆に言うと、ジェフ・ベックをセッションに参加させるほどスティービーがロックしていたのだと思う。ザ・バンドがひっそり使っていたクラヴィネット(キーボードの一種)を大々的に使用するなど、その圧倒的なグルーブ感は今聴いても文句なしに素晴らしい。

3部作で世界にその名を轟かす

名作『トーキング・ブック』と、続く『インナーヴィジョンズ』(‘73)『ファースト・フィナーレ(原題:Fullfillingness’ First Finale)』(’74)を加えた3枚は、エンジニア兼プロデュースをマルコム・セシルとロバート・マーゴールが担当していることから3部作と呼ばれている。この3枚はどのアルバムも完成度が高く、スティービーはすでにソウルシンガーを超えた存在となっており、彼の動向には誰もが注視していたものだ。ただ、これ以上の作品が作れるか疑問視する声も多かった。僕もここが彼のピークだろうと思っていたのだが…。

本作『キー・オブ・ライフ』について

72年から74年にかけて名作を4枚もリリースしたスティービーだが、実は『ファースト・フィナーレ』の録音前、交通事故に巻き込まれ、瀕死の重傷を負っている。『ファースト・フィナーレ』はかろうじてリリースしたものの、その後は活動を休止している。もちろん、リハビリ期間も必要だったのだろうが、これまでの名作を超える作品を生み出すための時間が必要だったのだろう。
休止から2年、当時はまだLP時代であったが、2枚組プラス4曲入りEP盤付きというすごいボリュームでリリースされたのが本作『キー・オブ・ライフ』である。収録曲は全部で21曲、ゲストには信じられないぐらいの豪華なメンバーが参加している。ジョージ・ベンソン、ハービー・ハンコック、バジー・フェイトン、ミニー・リパートン、マイケル・センベロなどなど。プロデュースはスティービーのみで、3部作の主要メンバーであったマルコム・セシルとロバート・マーゴールは参加していない。2年以上のブランク、成功した前作までのパートナーの不参加、考えられないボリュームの収録曲…このあたりから推測すると、休んでいる間にスティービーは新たなステージに到達したのだろう。
本作には「回想(原題:I Wish)」「愛するデューク(原題:Sir Duke)」「可愛いアイシャ(原題:Isn’t She Lovely)」「永遠の誓い(原題:As)」など、誰もが知っているスティービーの代表曲と言ってもいい名曲群がいっぱい詰まっている。このアルバムで、スティービーは完全にソウルを超えたと言ってもいいだろう。76年当時に流行していたAOR、パンクなどの影響はあまり見られず、若干フュージョンっぽい部分は見られるものの、ここにはスティービー・ワンダーというジャンルの音楽があるのみである。
個人的には『トーキング・ブック』や『ファースト・フィナーレ』のソウルやファンク風味が残っているアルバムが大好きではあるが、世界的に大きな影響力を持ったのは、間違いなく本作『キー・オブ・ライフ』だと思う。このあと80年代に入ると、ますます社会的な影響力というか求心力が大きくなり、外部の力に押され気味になっていく。相変わらず良い曲を書くし、歌唱力にも磨きがかかっていくのだが、スティービー・ワンダーという才能が大きくなりすぎて、僕には近寄りがたい存在になってしまった。
最後に、これからスティービーを聴いてみようという人にオススメなのが、80年代に入ってリリースされた新曲を含むベスト盤の『ミュージック・エイリアム(原題:Original Musiquarium I)』(‘82)。彼の名曲が多数収録されているだけでなく、新曲の「Do I Do」が最盛期のスティービーを思わせる名曲なので、ぜひ!

著者:河崎直人

OKMusic編集部

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