天才フランク・ザッパの
記念すべきデビュー作、
マザーズ・オブ・インベンションの
『フリーク・アウト!』

『Freak Out!』(’66)/The Mothers of Invention

『Freak Out!』(’66)/The Mothers of Invention

本作『フリーク・アウト!』がリリースされたのは1966年のこと。この年はビートルズの『リボルバー』、ビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』、ジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズの『ウィズ・エリック・クラプトン』、ボブ・ディランの『ブロンド・オン・ブロンド』などがリリースされており、演奏面にしても楽曲面にしてもロックの質が高くなりつつあった過渡期にあたる。当時は新人であったフランク・ザッパ率いるマザーズ・オブ・インベンションの『フリーク・アウト!』はロック界でほぼ初めてとなる2枚組でリリースされた(ほぼと書いたのは、同じタイミングでディランの『ブロンド・オン・ブロンド』も2枚組でリリースされていたから)。ロックンロール、R&B、フリージャズ、実験音楽などがミックスされたザッパの手法は先進的すぎるために、リリース当時は一般リスナーに受け入れられなかった。しかし、彼の天才ぶりは本作ですでに開花しており、多くのアーティストに影響を与えただけでなく、その後のロックの進化を牽引することになるのである。

トム・ウィルソンの目利き

フランク・ザッパ&マザーズ・オブ・インベンションという新人が、なぜ2枚組という大作をリリースすることができたのか。また、なぜヴァーブというジャズのレーベルからデビューしたのか。それにはザッパを見出した有能なプロデューサー、トム・ウィルソンの存在があった。ウィルソンはハーバード大学を出たインテリの黒人で、卒業後すぐにトランジションというマニアックなジャズ専門のレーベルを設立し、セシル・テイラーのデビュー作にして名盤『ジャズ・アドバンス』や、サン・ラのこれまたすごいデビュー作『ジャズ・バイ・サン・ラ』(a.k.a『サン・ソング』としてデルマークからリイシューされている)をリリースするという快挙を成し遂げている。

トランジションは22枚の先鋭的なアルバムをリリースするものの経営的には失敗、会社は廃業する。しかし、彼の優れた手腕が認められてコロンビアレコードに入社し、プロデューサーとして活動する。代表的なものには初期ディランの諸作をはじめ、サイモン&ガーファンクル、ジョン・コルトレーン、ピート・シーガーのアルバムなどのプロデュースを手がけ、ディランのロックへの転向を推進したり、のちにはベルベット・アンダーグラウンドやソフト・マシーンを見出すなど、ロック界へはフィル・スペクター、ジョージ・マーティン、トム・ダウドらに匹敵する貢献をしている。

ヴァーブからのデビュー

コロンビアレコードで大きな実績を残したウィルソンは、フォークロックやブルースロックへ参入したいヴァーブレコードに引き抜かれることになる。ライヴハウスで観たザッパの才能に惚れ込んだウィルソンは、マザーズ・オブ・インベンションと契約することにしたが、上層部はなかなか首を縦に振らず、当時人気のあったポール・バタフィールドにあやかって、ザッパのグループはホワイトブルースのグループだというふうに説得したらしい。ウィルソンの奮闘もあってヴァーブとの契約が決まり、もともと実験音楽やフリージャズを手がけていたウィルソンはレコーディング中もザッパにさまざまな助言をしており、ザッパもウィルソンのプロデュース手腕を高く評価している。また、ザッパは大手レコード会社に取り込まれないよう、早い時期から自分のレーベルを設立しているが、それはウィルソンのトランジションでのやり方を伝授されていたからであろう。ザッパが初期のレコーディング時にウィルソンと出会ったことが、彼の進路に大きな役割を果たしたと言えるのだ。

ザッパの音楽

フランク・ザッパは完全主義者であり、彼の生み出す作品は基本的には「売れる」「売れない」は尺度になく、芸術的な意図を持って自分の作るべきものを作るというスタンスである。それは彼が93年に亡くなるまで、生涯にわたって変わることはなかった。リリースしたアルバムは60枚以上、コンピやベスト盤も含めると100枚以上になり、彼が手がけた音楽はロック、ジャズ、R&B、プログレ、オーケストラ、現代音楽、実験音楽、サウンドコラージュなどをモチーフとした商業音楽と芸術音楽の境界をまたぐものである。難解なサウンドとポップなサウンドの両方を併せ持ったアーティストがフランク・ザッパなのである。

OKMusic編集部

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