“ジョニ・ミッチェル”という
新たなジャンルを確立した『逃避行』

『Hejira』(‘76)/Joni Mitchell

『Hejira』(‘76)/Joni Mitchell

ジョニ・ミッチェルは天才である。フォークリバイバルの洗礼を受けカナダからアメリカへやってきた彼女は、アルバムを発表するごとに目覚しい成長を遂げていく。フォークやロック、ジャズなどというジャンルを軽々と飛び越え、いつしか誰も見たことがない高みへと到達してしまった。今回取り上げる『逃避行(原題:Hejira)』はジョニの通算9枚目のアルバムで、彼女の代表作でありロック史に残る傑作としても知られる4thアルバム『ブルー』(‘71)と並ぶ名作だ。また、本作はベーシストのジャコ・パストリアスが初めてジョニのバックを務めた作品としても知られている。

“魔性の女”と人は言うが…

ジョニ・ミッチェルは恋多き女性として、レナード・コーエン(カナダの作家・ミュージシャン)、デビッド・クロスビーとグレアム・ナッシュ(ふたりともCSN&Y)、ジェームス・テイラー、ジョン・ゲラン(L.A・エクスプレス)、サム・シェパード(劇作家・俳優)、ジャコ・パストリアス(ウェザー・リポート)ら大物アーティストたちとの交際がよく知られている。CSN&Yの音楽はジョニの自己流ギター変則チューニングがなければ生まれ得なかったものであり、ジャコのベースプレイやゲランのドラミングなどにも、彼女の助言が大いに役立ったであろうことは容易に想像できる。逆にジョニの私小説的な歌の内容は、彼らのことについて語られているものが多い。彼女が恋をするたびに相手の才能が開花するだけでなく、ジョニの音楽にも大きな影響を与えるという、いわばウィンウィンの関係になっているのが面白いところ。

ジョニ・ミッチェルの歩み

デビューアルバムの『ジョニ・ミッチェル(原題:Song to a Seagull )』(‘68)から5thアルバムの『バラにおくる』(’72)までの作品は、複雑なコード進行や実験的な音世界は見られるものの、所謂フォークをバックボーンにしたシンガーソングライター的なサウンドを持つ。アサイラム・レコード移籍第1作になる『バラにおくる(原題:For the Roses)』に収録された「Judgement of the Moon and Stars(Ludwig’s Tune)」では、少しだけジャズ的なアレンジが見られ、その部分を広げるべきだと考えたジョニは、このアルバム以降なじみのロック系ミュージシャンではなく、ジャズ系ミュージシャンにサポートを任せることになった。

6作目の『コート・アンド・スパーク』(‘74)は、トム・スコット率いるL.A・エクスプレスと、クルセイダーズのメンバーが参加、彼女の念願だったジャズ系のミュージシャンがバックを務めるようになり、西海岸産としてはまだ目新しかったフュージョン的なサウンドに変化していく。当時は、まだフュージョンというジャンルは存在せず、アレサ・フランクリン、スティーリー・ダン、ジェームス・テイラー、それとニューソウルの一連のアーティストらが、都会的なスタイルに取り組み始めた頃であったと記憶している。自分の音楽を追求することが、ポピュラー音楽の新ジャンル成立に関わるほどだから、ジョニの創造する音楽がどれほど革命的なものかが分かる。この『コート・アンド・スパーク』は、フォークロックのテイストを残しながらも、都会的でジャジーなスタイルを創りあげることに見事に成功した作品(全米チャートで2位)となる。

ジョニ・ミッチェルが
影響を与えたアーティスト

彼女の音楽に影響を受けたアーティストは、ロック界ではレッド・ツェッペリン(ジミー・ペイジとロバート・プラントは「ゴーイン・トゥ・カリフォルニア」で彼女を賛美している)、マドンナ(ジョニの『コート・アンド・スパーク』の歌詞を全部覚えていると語っている)、プリンス(「ドロシー・パーカーのバラード」でジョニの曲を引用している)、ソニック・ユース(「ヘイ、ジョニ」という曲がある)らがいる。また、ジミー・ペイジとサーストン・ムーア(ソニック・ユース)の変則チューニングはジョニにインスパイアされたものである。他にもアラニス・モリセット、ビョーク、アニー・レノックス、ミッシェル・ブランチ、サラ・マクラクラン、テイラー・スイフトなど枚挙にいとまがない。

ジョニの変則チューニングは、幼少期の病気によって左手の握力が低かったからやむなく考案したものであったらしい。曲によって使うチューニングが50種類ぐらいあるそうだ。

OKMusic編集部

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