ロック史上最強のトリオ、
THE POLICEの
名盤『シンクロニシティー』

 久しぶりにポリスの全作品を聴き通して熱くなった。改めてスゴいバンドだったのだと思い返しているところだ。彼らが活躍した80年代は音楽的には不毛な10年などと言われることがあるのだが(ベテラン勢は逼塞し、コンピュータ/シンセによる打ち込み主体の音楽が市場を支配した感があったから?)、もちろんそんなことはない。ベテラン勢も、その当時の新人たち、ニューウェイブと呼ばれたバンドも優れた作品を残した。中でも燦然と輝く活躍をしたのがポリスだった。今回は当時を振り返りつつ、彼らの残した名盤『SYNCHRONICITY』と、その背景を辿ってみよう。

ポリスがデビューした頃

 個人的な思い出から書き始めて申し訳ないが、ポリスのデビューアルバム『OUTLANDOS D' AMOUR』('78)が出たのは大学在籍中の頃で、パンク、ニューウェイブの嵐が吹き荒れている時代だった。とはいえ、それはあくまで自覚的に最前線の音楽シーンを意識している者たちが感じていることであって、一般にはビー・ジーズの「STAIN! ALIVE」や「NIGHT FEVER」がヒットしているさなかのことであり、世の中はディスコブームで呑気に浮かれていた頃だったのである。そういや、歌謡番組『ザ・ベストテン』が生放送を開始したのもこの年だったのだが、まぁどうでもいいか。
 アルバムは買わなかった。が、友達が手に入れ、“すごくいい”とベタ褒めし、貸してくれたのを聴いた。この中に収録されていた「ROXANNE」がシングルでカットされ、早々とヒットしていた。一聴してみて感じたのは、世間で言われるニューウェイブのバンドとは随分趣が異なっているということと、パンクとレゲエの融合とか宣伝されるほど、それがバンドのサウンドの特徴というわけではないなということだった。当時、パンクとレゲエというのが尖った音楽の2大勢力で、レゲエのほうはまだまだボブ・マーリーの人気は絶対だったものの、ブラック・ウフルーやリントン・クウェシ・ジョンソン、オーガスタス・パブロ、リー・”スクラッチ”・ペリーなど、ダブサウンドやミックス手法を取り入れたレゲエアーティストが続々と登場するなど、レコード屋のコーナーでもスペースが拡大していた。

市場を賑わせたパンクロック、そしてニ
ューウェイブの時代

 一方のパンクロックはこれまたセックス・ピストルズやクラッシュがシーンを賑わせていたが、それ以外にもストラングラーズ、ダムド、スージー&バンシーズ、バズコックス、ジャム、シャム69、エディ&ザ・ホット・ロッズ、ジェネレーションX…とUKの有名どころを並べてみたが、活況を呈していた。USとなると、ラモーンズやパティ・スミス、テレヴィジョン、リチャード・ヘル&ボイドイズ、ハートブレイカーズ、トーキング・ヘッズ、デッドボーイズ…と、こちらもキリがないのでこのくらいで(名前を挙げているだけで懐かしくなってしまった)。まさに枚挙にいとまがないというやつで、それ以外にも種々雑多なバンドの輸入盤が毎月のように入荷してきては店頭に並ぶという状況だった。にもかかわらず、パンクロックへの風当たりは冷たかったものだ。汚くて粗末な服装をして、世の中への悪態をついている。音楽のレベル、とりわけ楽器演奏の技量はお粗末で、ギターは3コードくらいしか弾けない。思いつきだけでバンドをやっている。どれも一発屋で低能…等々。ザ・フーやヴァン・モリソンのいたゼム、エリック・バードン率いるアニマルズ、そしてローリング・ストーンズ、キンクス…。彼らが初期に掲げていたロックスピリッツはそのまま後輩パンクロッカーたちに受け継がれていると言ってよかったが、いつしかその肝心のスピリッツを読み取れなくなったリスナーやジャーナリズムは、パンク、それに続いて登場したニューウェイブ勢をもクズ呼ばわりしたものだった。面白かったのは、すでに押しも押されぬ超人気バンドの座に納まっているローリング・ストーンズやザ・フーまでが、パンクを意識したファッションをしはじめ、アルバムを出し始めたことだった。どちらも、パンクのゴッドファーザーだという取り上げられ方をされていたものだ。ちなみにストーンズの大ヒット作『SOME GIRLS』もポリスのデビュー作と同じ1978年に出ているのだ。もっとも、ヒットしたシングル「MISS YOU」は見事なまでにディスコ調だったのだが…。
 この年にセックス・ピストルズがアメリカツアー中に内部崩壊するようなかたちで解散し、パンクロックはまたたくまに下火になっていく。というよりは、生き残った人気パンクバンドはもはやインディペンデントではなくしっかり稼いでくれるアーティストとしてメジャーレーベルに所属し、パンクではなくなっていったのである。ニューウェイブの幕開けであった。方法論として演奏テクニックをあえて無視したバンドは別として、例えば、粗末な演奏技能しか備えていないバンドは自然淘汰される結果となり、その後もポピュラー音楽史に名を刻んでいくのは、実はニューウェイブとは言えないほどの長い実戦経験を積んできているパブロック勢やXTCやトーキング・ヘッズ、クラッシュやストレイ・キャッツのようなバンドだった(P.I.Lに進化したセックス・ピストルズの例もあるが)。結局のところ、スピリッツ云々でパンク、ニューウェイブが語られたところにも問題があったと、今となっては思う。やはり音楽性なのだと。
 ちなみに、こうしたアーティストを送り出すインディレーベルがこの時代に多く出現したことは、記憶にとどめておきたいことではある。いわゆるプロフェッショナルなエージェントではなく、仲間うちではじめたプロダクション規模のレーベルで、当然のことながらレコードの売り方もプロモーションもメジャーレーベルのような資金を投入することはできないのだが、そのぶんアーティストを囲うのにも自由度の高さを示すことができたとも言える。スティッフ、チェリー・レッド、ラフ・トレイド、ベガーズ・バンケット、ZTTといったインディレーベルからは、ノイズやダブ、アバンギャルドをはじめ多様な音楽性を吸収したバンドや最新のテクノロジーを導入したアーティストが登場しはじめ、ジョイ・ディヴィジョン、ザ・ポップ・グループ、ザ・スミス、リップ・リグ&パニックス、スロッピング・グリッスル、サイキックTVといった、難解な音楽性を示すバンドも次々と現れた(当時、名前を覚えるだけでも大変だった)。ニューウェイブはパワーポップやテクノ、ニューロマンティックス、ネオアコースティックなどにも分派していくのだが、そのあたりはまた別の機会に紹介できればと思う。
 ポリスもこの時代にシーンに躍り出たのだった。彼らはメジャーのA&Mレコーズと契約する(コープランドの兄マイルスが同社で働いていたからという経緯がある)。ちなみに、U2やエルヴィス・コステロも同じ頃にデビューしている。彼らが今なお息の長い音楽活動を続けていることを思えば、当時はライバル視されたものだが、頼もしい“同期”と言えるかもしれない。

ニューウェイブの衣をまとったベテラン
バンド

 さて、ポリスなのだが、デビュー作を聴いて、最初はそれほど強いインパクトは感じなかったのだ。ただ、悪くはないなという程度で、聴きながらクレジットに目をやっていたのだった。それまで彼らについての情報は何ひとつ知らなかった。ヴォーカルとベースを弾いているのは、STING(スティング)という、本名とも思えない名前の、疾走感のあるベースを弾きつつ、実に特徴的な声質を持った男だった。それよりも先に名前を見てピンときたのは、ドラムスのスチュワート・コープランドだった。
この、なかなか見慣れないコープランドという名前の男はカーブド・エアのドラムの男ではないか、と。カーブド・エアはダリル・ウェイというエレクトリック・バイオリンを弾く男がリーダーのプログレッシブロック系のバンドで、ソーニャ・クリスティーナという東欧系の女性がリードヴォーカルを務め、もうひとり、キーボード担当のフランシス・モンクマンが無茶苦茶に上手いプレイヤーで(モンクマンとウェイは共に英国王立音楽アカデミー出身)、マニアには評判のバンドだった。そこで最後期のメンバーとして加入し、ドラムを叩いていたのがコープランドだったのだ。きっとあの男だろうと睨んだ読みは、やはり外れていなかった。もっとも、カーブド・エアと同じレーベルに属し、後には一時的ではあるがソフト・マシーンのメンバーに名を連ねていたというギターのアンディ・サマーズという男の名前には、その時はまったくピンとこなかった。
 それでも、2枚目となる『REGGATTA DE BLANC』('79/邦題:“白いレガッタ”)が出た頃には彼らに対する認識が違ってきた。なかなか上手いギターを弾く男と、手数の多い、変拍子も叩くドラム、そして一度聴いたら忘れられない声をした男による3ピースのバンドが、パンクやパッと出のニューウェイブのバンドにありがちな、勢いだけで単純な反骨メッセージをわめいているのとは異なり、しっかりとした技量を備えた上で、旧来のバンドにはない新しいサウンド指向を持っていることに好印象を持ったのだった。もっとも、後年になってデビュー前のデモ音源やアルバム未収録だった「NOTHING ACHIEVING」(『MESSAGE IN A BOX:THE COMPLETE RECORDINGS』('93)に収録)等を聴くと、息継ぎがしにくいくらい切迫したヴォーカルと縦ノリビートで押しまくっており、スタート時の方向性はまさにパンクだったことが分かる。それがデビュー作が出る頃には、早くもサウンドに多様性を示しはじめ、それは次作、次々作と、アルバムがリリースされるごとに顕著になっていく。それにしても、各人のハイテクぶりが気になった。同時期に活動していたニューウェイブ系バンドと比較しても、彼らの演奏の凄さが際立っているのだ。そんな3人がニューウェイブの1バンドとして、とりわけデビュー間もない頃には稚拙な演奏能力しか備えていないバンドとの共演や、狭いライヴハウスなどでの演奏も強いられたことだろうと想像する。実際にメンバーは当時を振り返って“下手なフリをしていた”などと発言しているから笑える。
 驚かされたのはギターのアンディ・サマーズで、彼は1942年生まれというから、現在72歳ということになる。ポリスのデビュー作が出た時にはすでに30代半ばだったのだ。音楽シーンに登場するのは、60年代の初頭で英国の初期R&Bバンドの代表格であるズート・マニーのビッグ・ロール・バンド、ダンタリオンズ・チャリオットに属したのち、エリック・バードン率いるアニマルズに加入し(68年に来日経験もある)、その後、セッションミュージシャンとして名をなし、今では伝説のジャズロックバンドであるソフト・マシーンの最初期、デビッド・アレンの抜けたあとの助っ人として、ケヴィン・エアーズ、ロバート・ワイアットらとともに、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのアメリカツアーの前座を務めた経歴の持ち主だった。その後、伝わってきた裏話では、67年に渡英してきたジミ・ヘンドリックスを世話をしたのもサマーズだったそうだ。当時のジミのマネージャーがアニマルズのチャス・チャンドラーだったから、双方とも知り合いであるはずのサマーズがその役割を引き受けるのは自然な流れだったのだろう。もう1人、驚いたのはエリック・クラプトンにギブソン・レスポールの使用をすすめたのが、何と彼だというのだ。クラプトンがジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズに加入して、アルバム『JOHN MAYALL & BLUES BREAKERS WITH ERIC CLAPTON』('66)で、その革命的なギター・サウンドを世に知らしめるきっかけとなったわけだが、サマーズとクラプトンの交遊はその後も続き、クリームが人前で初めて演奏を披露したとされる1966年のウィンザー・ジャズ&ブルース・フェスティバルのステージでクラプトンが使用したレスポールは、サマーズの借り物だったそうだ。というわけで、クラプトンとジミ・ヘンドリックスの仲を仲介したのも彼、という図式も自然と浮かび上がってくるわけだが、こういう美味しい話は筆者は未読ながら、2007年にP-vine booksから出版されている『アンディ・サマーズ自伝 ポリス全調書』でもお読みいただければ、詳しく語られているのではないかと思う。
 前述のコープランドの経歴については、カーブド・エア加入以前のものはほとんど掴めていないというのが正直なところだ。英国人だとばかり思い込んでいたが、実はアメリカ人(1952年生まれ)で、幼少の頃から父親の仕事(CIA!)の関係でベイルートやカイロといった中東で過ごしたのち英国に移り住み、大学在学中に帰米した後、再び英国に戻っている。ドラムを始めたのは67年に英国に住み始めた12歳頃というから、ビートルズやストーンズを筆頭に、英国のロックが華やいだ時期に音楽に魅せられたわけで、次いでカリフォルニアで過ごした学生時代は、これまたウッドストック後、アメリカン・ロックが隆盛を極めはじめた時期であり、コープランドは米英両国で絶妙のタイミングで音楽に接したのであろうことは想像に難くない。カーブド・エア時代は期間も短く、その腕前を充分に披露するには至らなかったが、ポリスの演奏を聴く限りでは相当なテクニシャンであることが分かるし、ポリス後にジェフ・ベックとの仕事でも知られるフュージョン系ベーシスト、スタンリー・クラークと組んだバンド、アニマル・ロジック、ピーター・ゲイブリエルをはじめ数多いセッション・ワークの共演者の名からもその実力が伺い知れるだろう。正確なリズムに乾いた抜けるようなスネア、表現力豊かな間合いの取り方、絶妙のタイミングで叩き出されるシンバル、ハイハット…本当にすごいドラマーだと思う。
 スティングの、ポリス以前の経歴についてはコープランド同様、多くは伝わってこない。1951年生まれの彼は本名をゴードン・サムナーというのだそうだ。いつごろから音楽活動をはじめたのかは分からないが、ビートルズなどのビート・バンドをきっかけに音楽に親しみ、本人の関心はやがてセロニアス・モンクやジョン・コルトレーン、マイルス・デイヴィスといったモダンジャズに傾倒していったようだ。ポリス後のソロ活動でもオマー・ハキム(ドラム)やブランフォード・マルサリス(サックス)らと共演するなど、彼の音楽嗜好の根底には常にジャズがあるのだろう。初レコーディングはニューキャッスル・ビッグ・バンドの一員としてのもの。その後、“ラスト・イグジット”というジャズロックのバンドをやっているところをコープランドに目をつけられ、執拗な勧誘によってポリス結成に至ったということなのだが、コープランドを惹きつけたのはスティングの驚異的なベース演奏の上手さと、前述のバンドでヴォーカルも担当していたので知った、彼の声、カリスマ性なのだろう。よく鳴り、弾み、グルーブし、自由度の高いベースラインは明らかにロックベースの領域を超えている。時にはフェンダーのフレットレスベースを使うところなど見ると、ジョニ・ミッチェルやウェザー・リポートとの活動で知られる天才ジャズベーシスト、故ジャコ・パストリアスの影響などもあるのかもしれない。ソロでの成功以降、スティングは世間的にはシンガーとして認知される傾向があるのかもしれない。しかし、卓越したベース演奏を聴いていると、本格的なジャズアルバムなど制作して欲しかった気もする。

緊迫感が支配する傑作『SYNCHRONICITY

 彼らの残したアルバムから1枚をピックアップするのは、これまた難渋した。一躍、人気バンドとしてブレイクするきっかけとなった2枚目の『REGGATTA DE BLANC』を選ぼうとしたものの、それでいいのかと問いかける自分がおり(苦笑)、最終的には彼らの最終作となった『SYNCHRONICITY』('83)に決めることにした。バンドの個性であったレゲエ音楽とロックのミクスチャー感覚は『REGGATTA DE BLANC』に濃厚なのだが、バンドとしてやれる表現が沸騰点に達したような中身の濃さと、それを音像化するテンション高い演奏、そして当時の彼らの置かれた状況が反映されたようなカオスが混在したような凄まじいばかりの完成度に押され、『SYNCHRONICITY』を選ぶかたちとなった。
 4作目『GHOST IN THE MACHINE』('81)リリース後、1年間のインターバルを置いて(それぞれがソロ活動に専念)、彼らは再びスタジオに集結して、このアルバムの録音をする。米英チャートで1位、同盤に収録のシングル「Every Breath You Take」(邦題/見つめていたい)がビルボードで8週連続1位、翌年のグラミー賞でロック・グループ・パフォーマンス賞を受賞するなど、文句なしの成功を収めたアルバムだったが、バンドはレコーディングのさなかにあっても、半ば崩壊寸前であったという。理由は音楽性の違い、と言ってしまえば簡単だが、ツアー、レコーディング、パブリシティへの対応など多忙を極める日常の中でストレスを溜め込んでいったことが大きかったのではないかと思う。リードヴォーカルをとり、フロントマンとしてバンドを引っぱっていくような姿勢を取りはじめるスティングと、そもそものバンドの創設者であるコープランドとの関係にも軋みが生じていたと言われる。一定期間の休息を入れたとはいえ、すでに実力、売り上げともに世界のトップに立った彼らにとって、なかなかかつてのリレーションシップを取り戻すのは困難だったのだろう。それでもバンド内に漂う張り詰めた空気は本作にほどよい緊張感を与え、ピシッと引き締まった演奏と相まって、プラスに作用したように思える。各曲についてはここでは触れないが、収録曲中、9曲にスティングは作曲者として関わり(LP時代には未収録だった「MURDER BY NUMBERS」はサマーズとの共作)、この後ソロアーティストとしても成功を収める彼の創作意欲の好調さを示している。楽曲のクオリティーはきわめて高く、演奏のキレ味、コンビネーションも文句のつけようがない。
 こうして、ついにやり尽くした感があったのだろう。正式な解散を表明しないまま、ポリスは活動休止に入ってしまう。その後もポリスは何度か再結成をするが(2007年にも一時的に再結成され、翌年の2月に東京、大阪でコンサートが行われたのは記憶に新しい)、本格的な活動再開をすることなく、各人は順調なソロ活動を続けている。

ドキュメンタリー映画『ポリス・イン・
サイド・アウト』は必見

 最後におススメしておきたいアイテムがある。メンバーのスチュワート・コープランド(監督)がバンド活動中から撮りためていた映像を中心に構成された、彼らの姿をとらえたドキュメンタリー映画『ポリス・イン・サイド・アウト』('07)があり、これが実に見応えのある作品なのだ。バンドが米国市場で成功を収めるために小さなライヴハウスを回ってツアーを続ける姿や、不平ももらさず大型スーパーマーケットでのサイン会に参加したり、楽屋での屈託のない姿なども克明にとらえられている。もちろんライヴでの凄まじい演奏もふんだんに盛り込まれ、バンドが頂点に上り詰めていく姿は今さらながらに彼らの実力のほどを再認識させられる。その一方で、長期にわたるツアーに疲れ、目標を見失い、終焉を自覚しはじめる姿まで、あますところなく捉えている。ポリスの、というよりもロックバンドのありようをこれほど生々しく映し出したロードムービーもないだろう。

OKMusic編集部

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