70年代末の
ニューウェイブ期に突如現れた
テクノポップ(ロック)の
巨星ディーヴォのデビュー作
『頽廃的美学論』

『Q:Are We Not Men? A:We Are DEVO!』(’78)/ Devo

『Q:Are We Not Men? A:We Are DEVO!』(’78)/ Devo

本作『頽廃的美学論(原題:Q:Are We Not Men? A:We Are DEVO!)』が世に出た1978年というのは、日本では新東京国際空港(現成田国際空港)が開港した年だった。記憶の中ではついこの間…という気もするのだが、44年も経っていると知ると、いささか愕然とする。音楽の世界ではその年というのは猛烈に吹き荒れたパンク、ニューウェイヴの嵐も、内部崩壊、USツアーの惨憺たる有様でセックス・ピストルズが解散したのを潮目に、消えていくもの、音楽的に充実を図るものなどに分かれていった頃だ。大半のパンクバンドが消える中、ザ・クラッシュのようにパンク第一世代とも言うべき存在ながら、レゲエを吸収しながらメッセージ性を失わず、さらに音楽的にも成長を続けたバンドもある。一方で新しく生まれてくるバンドはよりアートコンセプチュアルなものだったり、実験的、ワールドミュージックに接近したものだったり、古典回帰的にパワーポップなもの、カルチャー・クラブやヒューマン・リーグに代表されるニューロマンティックス、アンビエント系、ダンス(ユーロ)ビート、レゲエやスカの進化系のようなDUB…etcと様々なものが現れては消えした。パブリック・イメージ・リミテッド、ザ・ポップグループ、ザ・スリッツ、スロッビング・グリッスル、サイキックTV…と、半世紀近く経っていても今なおその先鋭性が摩滅することなく記憶に留められているバンドも数多い。中でも極めて斬新なポップ感覚を持ち、鮮やかなシーンを作ったのがテクノポップと呼ばれる括りの一群であり、クラフトワークやイエローマジックオーケストラ、そして今回の主役ザ・ディーヴォ(The Devo)といったバンドの活躍があった。

確信犯的なB級サウンド、
シニカルな視点で
ロックンロールを再定義

ディーヴォの登場は衝撃的というか、先のクラフトワークやYMOのようなアカデミックな匂いがない分、良い意味でB級的とも言えるコミカルなところが異色だった。パワーポップのようなシンプルな音楽性、その反面、シニカルな文明批判性を併せ持ち、初めて耳にした時から、こいつはクセ者だなと思ったものだ。何せデビューアルバム、これまたやり過ぎなタイトルだが『頽廃的美学論』からシングルカットされ、同時にTVで目にすることができたミュージックビデオがあのローリング・ストーンズの「(I Can’t Get No)Satisfaction」のカヴァーだったのだ。それは予想外にブッ飛んだアレンジなのに、よく練られていた。メンバーのアクション、身につけているコスチュームも意表を突いたもので、一度目にしたら生涯忘れられないほどインパクトがあった。今回、原稿を書くにあたって動画を久しぶりに観てみたが、その印象は44年前に見た時とさほど変わらず、楽しめた。
※1978年当時、まだMTVもなければ家庭用のビデオ汎用機も登場していない。ちなみに「(I Can’t Get No)Satisfaction」は2ndシングルで、まず最初に出たデビューシングルは「Jocko Homo」で、アメリカではチャートインしなかったものの、英国でチャート51位まで上昇するヒットを記録している。ポッと出の新人(ではなかったのだが)としてはなかなかの成績であり、自国ではなく英国でヒットというのも意味深い。

 バンドの歴史は意外と古く、1973年、オハイオ州はアクロンという、全米一の自動車のタイヤ産業で名高い工業都市で誕生している。ケント州立大学美術学部の学生だったマーク・マザーズボウとジェラルド・キャセールが意気投合してバンドを始めたのがスタートである。最初はディーヴォとは名乗っていなかったが、マーク・マザーズボウが読んだ自然科学の本の中に「人間は進化した生き物ではなく、退化した生き物だ」という一節があり、そこから「人間退化論」=De-Evolution =Devolution=Devoというバンド名を思いつく。学内の自主映画に出演、そして音楽を担当するというのが実はバンド結成の主な目的だったそうなのだが、専攻していたグラフィックアートではまるで将来の可能性が見出せず、マザーズボウとキャセールはバンドに賭けてみることにした。

デビューするまで、どのような活動をしていたのか、どんな音楽をやっていたのか伝わっていない。ただ、彼らがバンドとして鍛えられ、成長するのに、アクロンという街は打ってつけというか、工場街のこの街は実は数多くのバンドを輩出しているロックの街なのだ。練習場所にこと欠かない環境がそれを後押ししたのだろうか。ディーヴォもそんなアクロンの一介のガレージバンドだったのだ。しかし、確実に実力をつけてはいても、なかなかブレークできなかった彼らにパンク、ニューウェイブの新興勢力は大きな刺激をもたらすもので、バンドはイメージ、ヴィジュアル面も刷新し、工場の作業場からそのまま抜け出してきたような出立ちで、無機質なサウンドエフェクトをロックンロールと結びつけたような演奏を始める。そのパフォーマンスはたちまち評判になった。ロボットのようなぎこちない動き、バンド内にふたりのボブ(ボブ・マザーズバーグ/リードギター、ボブ・キャセール/リズムギター)がいたのでふたりはボブ1号、2号と名乗ったこともウケた。

幸運なことに彼らのデモテープが紆余曲折、ちょうどイギー・ポップのレコーディングをしていたデヴィッド・ボウイに渡り、アルバム制作のプランが立ち上がる(ボウイは映画「Just a Gigolo」の撮影で手があかず、ブライアン・イーノとロバート・フリップに委ねられる)。結果、レコーディングはイーノの手で、最初は東京で、という計画もあったが、最終的にはドイツのコニー・プランクのスタジオで行なわれる。

イーノが仕切るスタジオ作業は揉めたそうだ。要するにイーノが勝手にイメージするものは、ディーヴォ側にとっては余計なお世話だったのだ。で、最終的にはボウイが収拾にあたり、アルバムは完成する。イーノやボウイ、コニー・プランクとの仕事は有意義なものだったものの、彼らに仕切られるレコーディングはストレスも溜まるものだった。彼らの音楽の根底にはロックンロールが息づいている。骨の髄まで染み付いている、というべきか。そこのところ、ロックンロールに格別の思い入れもないイーノとソリが合うわけがなかったのだ。ただ、イーノの持つ実験精神はデビュー作においてはその話題性も含め、プラスに働いたとみていいだろう。

当時、イーノがプロデュースし、ボウイの後押しもあってという文言が必ずついて、メディアでは鳴り物入りのデビューだったと思う。しかも、「(I Can’t Get No)Satisfaction」をカヴァーしている。オールドウェイブ代表みたいなストーンズをコケにする〜、みたいな紹介のされかたもあったような気がする。私もそういった宣伝にやられたくちだった。が、アルバムを買って聞いてみた印象は、異なるものだった。最初に感じたのは随分肝が座ってるな、ということだった。

OKMusic編集部

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