70年代末の
ニューウェイブ期に突如現れた
テクノポップ(ロック)の
巨星ディーヴォのデビュー作
『頽廃的美学論』

『Q:Are We Not Men? A:We Are DEVO!』(’78)/ Devo
確信犯的なB級サウンド、
シニカルな視点で
ロックンロールを再定義
※1978年当時、まだMTVもなければ家庭用のビデオ汎用機も登場していない。ちなみに「(I Can’t Get No)Satisfaction」は2ndシングルで、まず最初に出たデビューシングルは「Jocko Homo」で、アメリカではチャートインしなかったものの、英国でチャート51位まで上昇するヒットを記録している。ポッと出の新人(ではなかったのだが)としてはなかなかの成績であり、自国ではなく英国でヒットというのも意味深い。
バンドの歴史は意外と古く、1973年、オハイオ州はアクロンという、全米一の自動車のタイヤ産業で名高い工業都市で誕生している。ケント州立大学美術学部の学生だったマーク・マザーズボウとジェラルド・キャセールが意気投合してバンドを始めたのがスタートである。最初はディーヴォとは名乗っていなかったが、マーク・マザーズボウが読んだ自然科学の本の中に「人間は進化した生き物ではなく、退化した生き物だ」という一節があり、そこから「人間退化論」=De-Evolution =Devolution=Devoというバンド名を思いつく。学内の自主映画に出演、そして音楽を担当するというのが実はバンド結成の主な目的だったそうなのだが、専攻していたグラフィックアートではまるで将来の可能性が見出せず、マザーズボウとキャセールはバンドに賭けてみることにした。
デビューするまで、どのような活動をしていたのか、どんな音楽をやっていたのか伝わっていない。ただ、彼らがバンドとして鍛えられ、成長するのに、アクロンという街は打ってつけというか、工場街のこの街は実は数多くのバンドを輩出しているロックの街なのだ。練習場所にこと欠かない環境がそれを後押ししたのだろうか。ディーヴォもそんなアクロンの一介のガレージバンドだったのだ。しかし、確実に実力をつけてはいても、なかなかブレークできなかった彼らにパンク、ニューウェイブの新興勢力は大きな刺激をもたらすもので、バンドはイメージ、ヴィジュアル面も刷新し、工場の作業場からそのまま抜け出してきたような出立ちで、無機質なサウンドエフェクトをロックンロールと結びつけたような演奏を始める。そのパフォーマンスはたちまち評判になった。ロボットのようなぎこちない動き、バンド内にふたりのボブ(ボブ・マザーズバーグ/リードギター、ボブ・キャセール/リズムギター)がいたのでふたりはボブ1号、2号と名乗ったこともウケた。
幸運なことに彼らのデモテープが紆余曲折、ちょうどイギー・ポップのレコーディングをしていたデヴィッド・ボウイに渡り、アルバム制作のプランが立ち上がる(ボウイは映画「Just a Gigolo」の撮影で手があかず、ブライアン・イーノとロバート・フリップに委ねられる)。結果、レコーディングはイーノの手で、最初は東京で、という計画もあったが、最終的にはドイツのコニー・プランクのスタジオで行なわれる。
イーノが仕切るスタジオ作業は揉めたそうだ。要するにイーノが勝手にイメージするものは、ディーヴォ側にとっては余計なお世話だったのだ。で、最終的にはボウイが収拾にあたり、アルバムは完成する。イーノやボウイ、コニー・プランクとの仕事は有意義なものだったものの、彼らに仕切られるレコーディングはストレスも溜まるものだった。彼らの音楽の根底にはロックンロールが息づいている。骨の髄まで染み付いている、というべきか。そこのところ、ロックンロールに格別の思い入れもないイーノとソリが合うわけがなかったのだ。ただ、イーノの持つ実験精神はデビュー作においてはその話題性も含め、プラスに働いたとみていいだろう。
当時、イーノがプロデュースし、ボウイの後押しもあってという文言が必ずついて、メディアでは鳴り物入りのデビューだったと思う。しかも、「(I Can’t Get No)Satisfaction」をカヴァーしている。オールドウェイブ代表みたいなストーンズをコケにする〜、みたいな紹介のされかたもあったような気がする。私もそういった宣伝にやられたくちだった。が、アルバムを買って聞いてみた印象は、異なるものだった。最初に感じたのは随分肝が座ってるな、ということだった。