ブラジルが生んだ
ふたつの巨星が組んだ
一度きりの魂のコラボレーション
『エリス&トム』

“トンガラシちゃん”と呼ばれた
ブラジルの国民的歌手

エリス・レジーナ(Elis Regina Carvalho Costa)は1945年、ブラジル最南部ポルト・アレグレで生まれている。大人になっても身長153センチというから、ずっとチビっ子と呼ばれていたのだろうと思うが、彼女の場合は特別に「Pimentinha(ピメンチーニャ、小さな唐辛子)」といった愛称で呼ばれていたそうだ。小さいうえに感情の起伏が激しく、いつも大口を開けて笑っていたかと思うと、一転して火がついたように感情を爆発させるというようなところがあったからだとか。11歳の頃には早くも地元のラジオ番組に出て歌い始め、瞬く間に注目を浴びるようになり、15歳になるとリオデジャネイロに移り住む。そして、歌謡コンテストに応募して、いきなり優勝をかっさらうと、翌年には早くもデビュー作のレコーディングの運びとなる。以降、コンスタントにアルバムを発表する。コンサート活動も活発で、アップテンポの曲では本領発揮とばかりエモーショナルに歌い、観客を熱狂させた。興に乗ると腕をグルグル回したことから“プロペラ”という渾名がついた。かと思うと、悲哀溢れる曲では、その場で聴く者が泣き崩れそうになるほどに深い感情表現をみせる。そうして二十歳に満たないうちにエリスは全国区で知られるブラジル歌謡歌手としての地位を固めていく。

まだリオに出てきて間もない頃のことだ。テレビ番組の企画があり、エリスにも声が掛かる。彼女の歌唱力、知名度を考えると当然の抜擢だったのだ。ところが「あの田舎娘はダメ」と局に釘を刺したのが、何とジョビンだった。それを知ったエリスは烈火の如く怒る。されど相手はブラジル音楽界の頂上にいる人物である。怒りを必死で抑え込むかわり、以降ジョビンを天敵とみなし、共演することはなかった。

若い作曲家陣の才能を見出し、
ブラジル音楽の新時代をリード

エリスは早いうちからエドゥ・ロボ、ジルベルト・ジル、先に紹介したイヴァン・リンスといった新進のミュージシャンの楽曲を取り上げたり、ミルトン・ナシメントやジョアン・ボスコ、シコ・ブアルキ、ジョルジ・ベン、カエターノ・ヴェローゾといった独創的なアーティストとコンサートで共演し、1960年代の後期から1970年代の初頭にかけてのトロピカリア運動を推進するなど、MPB(モダン・ポップ・ブラジル)の新時代を切り開く担い手のひとりとして評価を高めていく。それでも、ジョビンとは頑として仕事をしないのだった。

OKMusic編集部

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