ブラジルが生んだ
ふたつの巨星が組んだ
一度きりの魂のコラボレーション
『エリス&トム』

ボサノヴァをつくった男
“マエストロ” ジョビン

ジョビンのことも紹介しておこう。トム・ジョビンことアントニオ・カルロス・ジョビン(Antônio Carlos Brasileiro de Almeida Jobim 1927-1994)はリオデジャネイロ生まれ。ボサノヴァ創始者のひとりであり、ブラジル音楽史上最大の作曲家。そのジョアン・ジルベルトが歌ったボサノヴァ誕生曲とされるのが「想いあふれて(原題:Chega de Saudade / No More Blues)」もジョビン作(歌詞はヴィニシウス・ヂ・モライス)。他にも「イパネマの娘(原題:A Garota de Ipanema / The Girl From Ipanema)」「波(原題:Vou te contar / Wave)」「フェリシダージ(原題:A Felicidade)」など数多くのボサノヴァ・スタンダードを作曲した。

雪解けというか、邂逅の時はふいに訪れる。1969年、渡英中のエリスにジャズミュージシャン(ハーモニカ、ギター)のトゥーツ・シールマンスが共演を申し出るのだ。エリスのライヴを観たシールマンスが感激し、レコーディングを切望したのだが、そのスウェーデンで二日間で仕上げたアルバム『ブラジルの水彩画(原題:Aquarela Do Brasil』(’69)の中で、エリスはジョビンの「Wave」を歌う。アルバムはシールマンスと心を通じ合わせる様が素晴らしく、これもエリスの名盤の一枚に数えられるのだが、世間の評判、評論家筋の高い評価も得て、ここから、エリスの中でジョビンに対する敵対心は薄らいでいく(実はそれほど根に持っていなかったというのが正直なところだろう。良いものは良い、と彼女は直観的に判断する人だと思う。それ以前のアルバムでもジョビンの曲を何度か録音している)。

プロに徹したふたりの
矜持が示された傑作中の傑作

デビューから10年が経ち、所属レーベルのフィリップスは彼女の貢献を讃えてLA旅行をプレゼントし、さらにトム・ジョビンとの共演作を提案する。機は熟した。互いの才能を認めるようになっていたとはいえ、両者とも、よくその企画に乗ってくれたものだと、今では感謝するばかりだが、まさに奇跡のコラボレーションと言っていいだろう。とはいえ、レコーディングはひと筋縄ではいかなかったようだ。電気楽器の使用やエリス側のアレンジャーにジョビンはあれこれ難癖をつけたという。2003年に出版されたエリスの評伝『台風エリス』(東京書房刊)にはその時の、実にエリスらしいコメントが収められている。
「(アルバムは)最低よ。いいことなんか何にもないわ。トムはバカでつまんないし、電子機器を憎悪してる。あれの音が狂ってるとか音を合わせるとか、気取ってるし、レコーディングは退屈よ、まるで(古臭い)ボサノヴァみたいだわ-中略-でも、いい曲がひとつあるわ。早くブラジルに帰って、聴かせてあげたいわ。どの曲も本当にきれいなのよ」

こうして完成した全曲ジョビン作品集『ELIS & TOM』(‘74)。このアルバムを、最も優れたボサノヴァ作品のひとつ、中でも冒頭に収録された「三月の水(原題:Águas de Março)」をボサノヴァ史上最高の曲のひとつであると考える人も多い。

アルバム企画はどうやら綿密に計画されたものであるらしく、ドキュメンタリー映像が残されている。エリスの乗った飛行機がLAに着き、出迎えるジョビン、抱擁し合うふたり、ジョビンの運転でダウンタウンに向かい、そしてリハーサル、MGM STUDIOでのレコーディング…という映像を観ていると、それはきっとシナリオがあって、ディレクターが演出しながらの撮影だったのではないかと思えてくるのだが、それでも信じられないような場面の連続で、ふたりのこれまでの経緯を重ね合わせると、泣けてしまいそうになる。映像の中ではモメているシーンはない。互いに切磋琢磨し、このコラボを心底喜び、素晴らしいものにしようとしているふたりの姿だ。

「Documentário」(1974)
/ Elis Regina & Tom Jobim

オケをバックに一発録 / 撮りと思われるふたりのデュエットシーンは歌、演奏もさることながら、ふたりの魂の交歓というべきか、喜びを全身で示しながら丁々発止、当意即妙に表現していく様に打たれる。永遠に残る映像だと思う。

「Aguas de Março」(1974)
/ Elis Regina & Tom Jobim

1979年、エリスは一度だけ来日している。『ライヴ・アンダー・ザ・スカイ’79』のブラジル・スペシャルに出演したものだ。その3年後、1982年にあろうことか、エリスはコカイン中毒とアルコール中毒によってわずか36歳で亡くなってしまう。何を抱え込んでいたのか…その早世が惜しまれてならない。

TEXT:片山 明

アルバム『ELIS & TOM』1974年発表作品
    • <収録曲>
    • 1. 三月の雨/AGUAS DE MARCO
    • 2. ポイズ・エ/POIS E
    • 3. ソ・チーニャ・ヂ・セール・コン・ヴォセ/SO TINHA DE SER COM VOCE
    • 4. モヂーニャ/MODINHA
    • 5. トリスチ/TRISTE
    • 6. コルコヴァード/CORCOVADO
    • 7. オ・キ・チーニャ・ヂ・セール/O QUE TINHA DE SER
    • 8. 白と黒のポートレイト/RETRATO EM BRANCO E PRETO
    • 9. もう喧嘩はしない/BRIGAS, NUNCA MAIS
    • 10. ポル・トーダ・ミーニャ・ヴィーダ/POR TODA A MINHA VIDA
    • 11. フォトグラフ/FOTOGRAFIA
    • 12. 別れのソネット/SONETO DE SEPARACAO
    • 13. ばらに降る雨/CHOVENDO NA ROSEIRA
    • 14. 無意味な風景/INUTIL PAISAGEM
『ELIS & TOM』(‘74)/Elis Regina

OKMusic編集部

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