スザンヌ・ヴェガの
ジャーナリスティックな
視点が光る『孤独(ひとり)』
そして、87年にリリースされた2作目の本作『孤独(ひとり)(原題:Solitude Standing)』には、彼女の代表曲のひとつで幼児虐待のことが歌われた「ルカ」が収録され、フォーキーなスタイルにもかかわらず全米3位まで上昇する。本作の成功で、これ以降女性の弾き語りアーティストが増えたばかりか、オルタナカントリーやアメリカーナ系のムーブメントなど、90sアメリカ音楽の大きな潮流へと動いていくのである。
連綿と続くフォーク・リバイバルの
流れから登場したSSW
『ソングライター・
エクスチェンジ』での修行
ただ、『ファスト・フォーク』の活動自体、メジャーレーベルの予備校的な存在ではなく、大手レコード会社の商業主義的な戦略に意義を唱えていただけに、すぐにメジャー契約が成立したわけではない。何年も小さいライヴ(コーヒー)ハウスで活動を続け、レコード会社に何度もデモテープを送りようやくA&Mレコードとの契約にこぎつけるものの、冒頭で述べたような時代背景もあって、A&Mの上層部は彼女の音楽が売れるとは考えていなかった。業界の誰もが、遅れてきたシンガーソングライターという見方をしていたのである。
デビューアルバムの成功と続く
女性アーティストたち
彼女のヒットを受け、トレーシー・チャップマン、ビクトリア・ウィリアムス、アニー・デフランコ、エディ・ブリケルら、才能ある女性アーティストたちが次々に登場し、80sフォーク・リバイバルとも言える一大ムーブメントにまで広がっていくのである。そして、この流れは90年代に入ると各地のインディーズグループなどにも影響を与え、オルタナカントリーやアメリカーナといった人力演奏中心のアーティストが注目されるきっかけにもなるのである。
ちなみに、ファストフォークの多くの仲間の中にあって、スザンヌは最初にメジャーデビューしたアーティストである。のちにライル・ラヴェット、トレーシー・チャップマン、ミッシェル・ショックト、スージー・ボガスらが続いてメジャーデビューすることになるのだが、スザンヌのデビューから見えてくるのは、未だに(1987年の時点)アメリカのポピュラー音楽がフォーク・リバイバルの影響下にあるということであり、60sフォーク・リバイバルでのボブ・ディラン、フィル・オクス、トム・パクストン、フレッド・ニール、エリック・アンダースン、ジェリー・ジェフ・ウォーカーらが登場した時、70sフォーク・リバイバルでのジョン・プライン、スティーブ・グッドマン、ガイ・クラーク、エミルー・ハリス、ダニー・オキーフらの登場の時と似ているのが面白い。50sフォーク・リバイバルのリーダー、ピート・シーガーのプロテスト性や反骨精神は何十年経とうが、アメリカではずっと生きているのである。