【consado インタビュー】
“私たちを見ていてね”ではなく、
一緒に夢を見ていきたい
北海道・函館出身の優未と、札幌出身のレイナによるハートフルデュオ、consadoがクラウドファンディングに挑戦し、4年振りに全国流通シングル「F ~愛するあなたへ~/君とのストーリー」をリリースした。北海道出身のふたりが出会い、試練や解散の危機を何度も乗り越えて、紡いできたストーリーについて語ってもらった。
“人生を懸けてみない?”と
言われたからこそ今がある
優未さんは函館、レイナさんは札幌とおふたりとも北海道出身ですが、デュオを組むきっかけは何だったのでしょうか?
レイナ
もともと私は“武田怜奈”という名義でソロで活動していて、同じくソロ活動をしていた優未とライヴの対バンで出会ったんです。2016年に優未がラジオ番組のパーソナリティをする予定があって、声をかけてもらったのがきっかけで仲良くなりました。
優未
同じ北海道出身だったので、レイナに“一緒に番組をやりませんか?”と声をかけたら、即答で“やります!”って返ってきたので、渋谷クロスFMで放送されていたラジオ番組『道産子ガール』での共演を経て、デュオとして活動するようになりました。
レイナ
私は個人で受けたオーディションに落ちて、歌を辞めようと思って北海道に帰っていた時期があったんですよ。そんな時に優未から“もう一度だけ人生を懸けてみないか?”って説得されて、ふたりでSHOWROOMのオーディションを受けることにしたんです。そしたらグランプリを獲得して、2017年1月にシングル「Candle light」でデビューしました。
“もう一度だけ人生を懸けてみないか?”ってアツい言葉ですね。
レイナ
はい。あの時そう言われてなかったら、私は北海道でひっそり暮らしていたと思います。
優未
ソロでオーディションを受けているのを見て、“レイナはやっぱりすごい!”と思ったんですよ。ここで終わらせるのはもったいないって、なぜかプロデューサー目線になってしまって(笑)。
歌手として才能があると思ってらしたんですね。
レイナ
(笑)。consadoを組む前に優未と一緒にライヴをやったこともあったんですけど、その時に前から一緒にやっていたような気持ちになったんです。歌を辞めて地元に帰ろうと思っていたんですけど、私に人生を懸けてくれる人なんて他にいないと思って、優未を信じて東京に戻ったんです。
それでグランプリを獲得するなんて運命的ですね。好きな音楽が共通していたとか、意気投合したポイントは?
レイナ
私はMISIAさんが好きです。あと、ふたりとも共通でDREAMS COME TRUEさん、BoAさん、Superflyさんが好きです。好きな音楽は似ていると思うんですけど、性格は全然違いますね。
性格は対照的なんですか?
レイナ
優未はすごく素直なんです。思っていることをちゃんと相手に伝えられるのがいいところだなと思っています。私はいったん飲み込んで“これは言わなくてもいいかな?”と考えるタイプで。
性格が違うからこそ、お互いに補い合えるのかもしれないですね。
今に至る道のりもお聞きしたいのですが、シングル「Candle light」でデビューしてから、いろいろなことがあったんですよね。
優未
はい。シングルを発売した時に私たちは夢が叶ったと思っていて、ずっとこの生活が続いていくと思い込んでいたのですが、現実は厳しく、インディーズでまたゼロからスタートしました。
レイナ
アガっていた気持ちがドーンと滅入ってしまって“どうしたらいいのかな?”って悩み、私から優未に“解散したい”って言ったんです。
優未
でも、私はグランプリを獲れたんだから、まだ道は開けるはずだと強く思っていたんです。なので、相方からの解散という言葉は逆にチャンスというか、“今のままじゃいけない”って気づかせてくれたんだとポジティブにとらえて、何度も何度も説得したんです。
レイナ
優未が“もう一回、懸けてみよう”って言ってくれて、今はあの時に解散しなくて良かったと思ってます。
“今が変われるチャンスだ”と動き出してから、consadoはどんなふうに進化していったんですか?
レイナ
私はずっとSNSでも“こんなふうに見られたらどうしよう”と、常に人目を気にしていたんです。“私はこうあるべき”とか、変にプライドがあったんですけど、綺麗事ばかり言ってないで、自分がやるべきことをやろうという責任感が強くなった気がします。自分の見え方を気にする前にconsadoのことを知ってもらわなきゃ!って殻を破りました。そこからは優未にも自分が思っていることを言えるようになったし、優未も察してくれるんですよ。ふたりで話し合う時間も増えました。
優未
レイナは“武田レイナはこうだ”という固定概念みたいなものがあったんですけど、だんだん素の部分も見せてくれるようになったのは、私も側にいて感じていました。