『終わらない歌』収録の
「天使達の歌」
名曲誕生の背景を
坂本サトル本人に訊く

弾き語りとか路上ライヴは
絶対にやりたくないと思っていた

1999年、仙台市内での路上ライヴの様子

1999年、仙台市内での路上ライヴの様子

──で、もうひとつ、ソロ活動を始めてから路上ライヴ、居酒屋ライヴを行ないましたが、これは小林さんのアイディアだったと。当のサトルさんはやりたくなかったっていうのも聞いています。
「もともと弾き語りとか路上ライヴは“これだけは絶対にやりたくないな”って思っていたから。“貧乏くせえな”とか思っていたし(笑)。でも、小林が“路上ライヴをやろう。飲み屋でもやろう”って言った時に、何かもう完全に同意しちゃったんですよね。小林は誰よりも俺のことを分かっているから。あいつが決意を持って言っているのも分かったし。俺は歌う環境についての要求というか、プライドが高かったんですよね。“プロってのは音響も照明もちゃんと整ったステージでところでやらないとダメでしょ?”って。それで随分と喧嘩もしてきちゃったんですよね。“こんなところではやれねぇ”とか(苦笑)。で、俺も分かったんですよ。それまでよく言っていたのは、 “いいライヴをやっても、結局は観に来た人しか観ていない”って。今みたいにネットもないですし、口コミでどんどん広がっていくっていうことが今ほど爆発力もない。“観てもらえたら分かるのになぁ”って、いつもそればっかり言っていたから。小林としては“じゃあ、もう待たないで、こっちから観せに行くんだ!”と。俺もそれはまったくそのとおりだと思ったし、ソロがダメならもうダメだと思っていたからね」

──本当に背水の陣ですね。
「でも、今思えばね、そんなことはないんですよ。“いくらでもチャンスはあるし、1年、2年ダメだからって辞める必要はない”と今は思いますけど、当時は本当にソロ一発目の「天使達の歌」がダメだったら、もう全部ダメになると思っていたんで、可能性があることは全部やろうと」

──爆当たりしたんですよね、それが。
「爆当たりしましたね。それまでの自分はアコースティックギター1本でライヴができなかったんですよ。やったことがなかった。実はその半年くらい前に、デザイナーの駿東 宏さんっていう、その後、僕の作品のアートワークをほぼ全てやってくれることになる方なんですけど、出会った頃に駿東さんがイベントをやっていたんですよ。当時、西麻布にSpace Lab Yellowっていうクラブがあって、そこでファッション界の人たちとかそういう人たちばっかり集まるイベントを毎年やっていて、それに“サトルさん、出てくださいよ”って言うわけ。その時に“弾き語りでやります”って言っちゃったんですよね。貧乏くさいとか思っていたくせに。しかしながら、その時にね…20分ですよ。20分の弾き語りライヴができなかったんですから。そのために曲も書いたりして。それが「Yellow」なんですけどね。Yellowでやったから“Yellow”っていうタイトルなんですよ」

──アルバム『終わらない歌』の1曲目ですね。
「はい。で、なんとか20分やったんですけど、その時にめちゃくちゃウケたんですよね。それがあったから“路上ライヴもやれるかもな”と思ったんだけど、“路上かぁ…カッコ悪いなぁ”みたいな(苦笑)」

──当時その話もうかがっていて、居酒屋さんに行って“1曲歌うので聴いてくれ。もし、良かったらCDも買ってくれ”と。そうしたら、CDが飛ぶように売れた話がありましたよね?
「あのね、正確にはCDがまだ届いてない時の話なんですよ。生まれて初めての居酒屋ライヴは宴会場みたいな大広間だったんだけど、団体客じゃなくて、全部個人の4~5人のグループが何十組もいるっていう。そこに小林が出て行ってさ、“みなさん、すいません!”って(笑)」

──“聴いてください!”って?
「そう! 前説をやるんですよ。まず小林が出て行って、“あのぉ、お楽しみ中のところ、今からですね、ちょっとだけ歌を聴いてもらえないでしょうか?  坂本サトルと言うんですけど”って。お客さんの中にはJIGGER'S SONのことを知ってる人もいたから、“あっ!?”っていう人もいたりして、意外とウェルカムな感じになったんですよ。俺は“誰も聴いてねぇ”みたいな感じなんだろうなと思っていたから意外だったんですけど、意外と“おっ、面白そうだな。どれどれ…”という感じで。いきなり「天使達の歌」を歌ったのかな? めちゃくちゃウケたんですよ。“こんなにウケたことは今まであったかな?”くらいウケて(笑)。その時に“あれ? これは俺に向いてるかもしんねぇな”と思った(笑)。そこからですよね。そこから2週間くらいして、いわゆる“チョコレート版”って呼ばれた8センチのシングルができて、そこから売りながら歌うようになって、本当に飛ぶように売れたんですよね。“これが“飛ぶように売れる”ってヤツか!?”と」

──1枚1,000円くらいでしたか?
「500円」

──ワンコインってのが良かったんでしょうね。
「1曲しか入っていない。「天使達の歌」とカラオケだけ。これがね、もうプレスが間に合わなかったんですよ。覚えてる中で一番売れたのは、1日600枚ちょっとでしたね」

OKMusic編集部

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