1986オメガトライブの
『Navigator』から考察する
カルロス・トシキの
魅力とポップミュージック
デジタルサウンドの大胆な導入
想像するに、1986オメガトライブとなった時、バンドメンバーからベース、ドラムがいなくなり、カルロス、高島信二(Gu)、黒川照家(Gu)、西原俊次(Key)という編成になったことがその背景にあったのかもしれない。リズム隊がいないのだから、必然的に同期に頼ることになる。当時の音楽シーンの流行を考えれば、生音とは逆のベクトルを指向したと見ても不思議はなかろう。わりと派手なデジタルサウンドになったことにも納得できる。
もうひとつ、これは筆者の完全な邪推だが、カルロスの歌声との相性を考えた──そこもあったのではなかろうか。前述の通り、少なくともデビュー当時のカルロスの歌声は甘いものであった。可愛くもあったし、くすぐったくもあった。例えば、アコースティックセットや弦楽奏のような生音でのアンサンブルとも相性が良さそうではあるが、その真逆とも言えるデジタル音と組み合わせることで、むしろ歌声が際立つ。そんな判断があったのではないだろうか。彼の歌声はフワッと柔らかく、グラフィック的に言えば、曲線的であり、丸みを帯びたものだと言える。一方、デジタルの波形は直線的であって、1980年代は特にそれが強調されていた。筆者は音響の専門的なことは分からないので、科学的な確証も何もない勝手な意見なのだが、カルロスの歌声とデジタルサウンドは対極の関係にある。それゆえに、カルロスの歌声がより甘く、可愛く、くすぐったく響いた。そんなことも想像した。だとすると、M7のサウンドを面白く感じたのは、カルロスの歌声による効果かもしれない。
閑話休題──。デジタルサウンドに面白みを感じたので、そこばかりを強調して書いてしまったが、楽曲そのものはニューロマでもテクノでもなく、ポップスであることを改めて述べておきたい。ソウル、ファンクをベースにしたものが多く、M5「Night Child」などは昨今のコンテポラリR&Bに近い印象がある。シティポップでもいいと思う。また、M1「Blue Reef」やM3「Aquarium in Tears」辺りで聴かせるカッティング、M4「Navigator」の間奏でのソロと、ギタープレイの確かさもしっかりと確認できる。バンドの矜持が示されているというと、いささか大袈裟だが、そこもまた改めて強調しておかなければならないところだろう。