【独断による偏愛名作Vol.5】
佐藤聖子の等身大が詰まった
『After Blue』の魅力を
当時の“ガールポップ”シーンと共に
振り返ってみた
歌詞から考えるアーティスト性
《それは今日 届いてた あなたからの手紙/同じ街 ちがう夢 二人で話しあった/遠い教室/「がんばれ!」P.S.からつづいている 元気な文字/こんなに離れていて こんな近く気持ちが見えるよ》(M1「21」)。
《ONE,the one I have trust in/けずらない プライド/ONE 勝ちとって この街にある 真実》《ハードワークをこなして いきがって ここで何してるの/笑いとばせる元気を つよがりにしないで》(M5「HOTでいこう」)。
《そんなにうまく ゆくわけないよ/ぼおづえついて ぼんやり笑った》《できもしない あこがれだけ 見ていたの?/いいえ 信じてる 自分がまだ どこかにいる》(M7「ほおづえの夜」)。
《二人で予約をした 川べりのレストランに/キャンセルの電話して なんだか 力がぬけた/何を着ていこうかなんて 今年は悩まずにすむ/気のいい仲間のパーティー 一日まぎれこむわ》《雨が雪に変わる 立ち止まる待角/気がつけば誰より すれちがった心/どこでなくしたのか 来た道を見るけど/もどらない そんな気がした》(M9「After Blue」)。
《いつも ここにしかない明日を/おしえて東京 瞳の中に/高く高く 昇りつめてく それがすべてじゃないこと》《どんな恋でも どんな夢でも かけがえのないカタチにして/大好きなまま 抱きしめたい もっと もっと もっともっと》(M10「東京タワー」)。
ラブソングが少ないと指摘したわりに、恋愛の影があるM9、M10も取り上げたが、M9はクリスマス時期を舞台にしたロストラブソングであるし、M10は《恋》というワードが出て来るものの、《恋》を含む、もう少し大きな世界観を綴っている。どちらも所謂ラブソングとは少し趣が異なる。M1は歌詞中の《あなた》は男女どちらにも受け取れそうだが、明確に異性を表しているわけでもないし、M5、M7に至っては直接的な恋愛描写は見受けられない。これら以外の5曲はストレートなラブソングで、概ね情熱的な内容なので、決してラブソングを完全にスポイルしていたわけではないようだが、このラブソングと非ラブソングが半々というのは『After Blue』の特徴ではあろう。
もっとも興味深く思えたのは、やはりM10。“ガールポップ”というムーブメントが仕掛けられていた最中、(言葉は悪いが)そこに一枚乗ったアーティストの2ndアルバムが《高く高く 昇りつめてく それがすべてじゃないこと》で締め括られるというのは、さすがに奇異なことに思える。時期や当時の状況だけを考えれば、“ワイはやったるで! 天下獲ったるんや!”くらいの内容のほうがはまりは良さそうだ。何故そうならなかったかと言えば、やはり彼女の声質や歌唱力によるところだったのではないだろうか。若さと併せて寄る辺なさも感じる彼女のボーカリゼーションには、少なくとも“音楽シーンを昇りつめよう!”という内容は似合わなかった。個人的にはそんな風に考えた。キャラクターに合わなかったと言ってもいいかもしれない。スタッフも(もしかすると本人も)無理をさせず、等身大の立ち位置を大切にしたのだろう。だとすると、この辺からも佐藤聖子が大事に育てられていたアーティストであったことをうかがうことができる。そんな背伸びした感じがないところや、スタッフワークの丁寧さを感じさせるところも、筆者が『After Blue』を好んで聴いた理由なのかもしれない。発売から30年以上を経て、初めて気付けた。
TEXT:帆苅智之