【独断による偏愛名作Vol.4】
『グラッチェ!』を聴いて
改めて心に刻む
志し高きバンド、長澤義塾!
さまざまなフックが用意されたサウンド
M7「Garden of Flower Child」やM8「ライバル」といったミドル~スローのナンバーは、先に述べたように、メロウさ、アーバンな雰囲気を持ったサウンドだし、M10「2 OUT満塁」はボサノヴァタッチだ。この辺を抵抗なく聴くことができるリスナーはどの世代にも結構な数いると思われるし、シティポップブームで1970年代、1980年代の音楽を好きになった人は特に気に入るのではなかろうか。逆井信というサックスプレイヤーがいることは長澤義塾のサウンドの大きな特徴である。とりわけM5、M8ではそれが色濃く出ている。その音色、旋律は1980年代AORの雰囲気を受け継いでおり、その時代が好きなリスナーにはたまらないものではないかと思うし、バンドサウンドに上手く溶け込ませることに成功しているので、より面白く聴くことができると思う。また、先ほど歌メロばかりを強調したが、サックスの奏でる旋律も歌メロ同様にメロディーアスでありキャッチーである。その存在が楽曲全体を厚くしているのは間違いなく、初めて聴くリスナーの中には、そのサックスの音色に惹かれる人も出てくることだろう。長澤義塾サウンドにはいろいろなフックがあるということだ。
いいメロディーとバラエティに富んだサウンドというと、ポップで賑やかなバンドと想像する人もいるだろう。それはそれで間違っていないと思うけれども、個人的には、長澤義塾の歌詞からはロックを感じる。“ソウル、ファンクと言っておきながら、ロックとは何だ?”と訝しがる方もいらっしゃるかもしれない。サウンドのロックというよりは、スタンスやスピリッツのロックである。余計に何のことだか分からないだろうから、注目すべき歌詞を以下に挙げてみる。
《お山のてっぺん まだ遠く/駆けずり上げれば また下がる I surrender》《転ばず CHA-CHA-CHA/昇らせて MOUNTAIN TOP》(M1「さるのしっぽ」)。
《砂時計が落ちるように 消えそうなボリュームを上げて/胸の奥に沸き上がる熱風を 高らかに叫び続けて/アンナコトもコンナコトも 歌の中 燃やして/はみ出したまま とび出たまま かなぐり捨てて つきぬけて》(M3「太陽にホエールズ」)。
《燃え尽きる前にせめて この世をかきまわしたい/やけくそになって光るバトン 闇を切り裂け》《研ぎ澄まされた 歌の力で/アトミックパワーなんか へのかっぱ/突き落とされても また這い上がる/鋭い眼差して切り取った Imagination》(M4「BLACK JACK 21」)。
《マリオネットな要求は 聞いたらダメさ 聞いたらダメさ/でたらめばかりのアン・ドゥ・トロワ そんなのイヤさ そんなのイヤさ》(M9「消えた参謀」)。
上昇志向も貫かれているし、レベルミュージック的要素もある。これはもう完全にロックと言っていいだろう。M4やM9はパンクと言えるかもしれない。もちろん『グラッチェ!』にはこうした内容だけではなく、M7「Garden of Flower Child」のようにラブソングと受け取っていいものもあるけれど、目立つのはこうしたタイプだ。そこに何かしらの志しがあったことは間違い。ここからは完全に筆者の推測だが、その志しとは、音楽シーンに新たな風を吹かせようとか、自分たちが嗜好する音楽を盛り上げようとか、そういうことではなかったかと思う。1st『かかってきなさい』の1曲目「それゆけスーパーヘリコプター」はこんなフレーズから始まる。
《枯れ木に花を咲かせましょう育てましょう》(「それゆけスーパーヘリコプター」)。
上記フレーズを頭に入れてからM1「さるのしっぽ」を聴くと、筆者の推測は確信に変わる(と勝手に思っている)。そこには“天下取ったる!”といったような強い気持ちがあったことを感じるのだ。そう言えば、1st『かかってきなさい』のジャケには戦国時代の足軽兵のような長沢の姿が写っていた。『かかってきなさい』というタイトルからも意志が感じられる。実際のところ、本人たちがことさら強く天下取りを意識していたかは今となっては分からないけれど、『グラッチェ!』の歌詞からもそれが読み解けることを、一考察としてここに記しておきたい。
結論から言えば、長澤義塾の天下取りは実現しなかった。しかし、今となればそれも無理からぬことだったように思えてならない。彼らがデビューした1992年はいわゆるビーイングブームの只中(その全盛期は翌年1993年と言われる)。B'z、ZARD、WANDS、T-BOLAN、DEEN、大黒摩季らがシーンを席巻していた。また、LUNA SEAがメジャーデビューしたのも1992年で、ビジュアル系ブームの胎動が始まっていた時期とも考えられる。ただでさえ、新人は苦戦を強いられる状況の中、ビーイングとは音楽が異なり、ビジュアル系のような派手な容姿もない長澤義塾がシーンに埋もてしまったのは、ある意味で必然だったとも思える。その証拠に、同じく1992年組のMr.Children、ウルフルズ、THE YELLOW MONKEYもデビュー即ブレイクしてわけではなく、ミスチルの「innocent world」は1994年、ウルフルズの「ガッツだぜ!!」とイエモンの「太陽が燃えている」は1995年のリリースである。前年1991年デビューのスピッツにしても、1995年の「ロビンソン」のヒットまで4年がかかった。そういう時代だったのである。メジャーでの活動期間が2年程度だった長澤義塾は正当な評価に至ってない可能性は大いにある。あれから30年経ち、音楽シーンも多様性を増した。長澤義塾は、今こそ聴くべきバンドである。
TEXT:帆苅智之