ISSAYが
思春期への想いと自らの過去を
赤裸々に綴ったDER ZIBET『思春期』
ISSAY自身の思春期を独白
《コーヒーカップの中はにぎやかな舞踏会場/カラのカセットテープが巻きついて僕をはなさない/銀色のノイズがマーク・ボランからのプレゼント/消えて行こうよこのままセロファンの花の中に》《17才の時のビッグバン/途方にくれてる僕がいた》《12才の時のビッグクランチ/僕は生まれた事を憎んでた》(II:M3「4-D Visionのらせん階段」)。
《忘れたりしないさ壊れていきそうだった自分を/ノートからこぼれたコトバはため息をついてた/ママとパパはいつもケンカしていた/部屋の中で夢ばかり見ている僕の事を》《忘れたりしないさ不良にすらなれなかった自分を/あてのない夜道をふらふらしていたあの頃を/何をすればいいのか分らなくて/いつだって未来は手垢にまみれて僕はとり残されてた》(II:M7「Good-bye Friend」)。
これらもまた、すなわちISSAY自身の体験だけを完全ノンフィクションでしたためたわけでもないとは思う。装飾もそれなりにあるだろう。だが、本作『思春期』の制作時、彼はたまたま実家に戻る機会があり、その際、自分の部屋に閉じこもって歌詞を書き上げたというから、ドキュメンタリーに近いものではあるようだ。タイトルになぞらえれば、この内容は己の思春期(前後)に起こったことだろう。そうだとすると、《僕は生まれた事を憎んでた》や《壊れていきそうだった自分》といった描写は赤裸々どころではなく、カミングアウトと言ってもいいほどだ。ともに“Downer Side”に収録されているのは納得…というのも変な言い方だが、閉塞感が漂うばかりである。
単に鬱々とした告白だけでなく、ほんのわずかだが希望を見出せるところがこれらの歌詞の大きなポイントであろうし、ひいては本作の重要点と言えるだろう。すばりII:M3の《銀色のノイズがマーク・ボランからのプレゼント》がその希望だろうし、具体的な物言いではないものの、《部屋の中で夢ばかり見ている僕》も希望を感じさせるものだろう。Marc Bolan、T Rex──グラムロックが、それまで《生まれた事を憎》み、《途方にくれてる僕》をその場から逃がしてくれたのは間違いない。事実、ISSAYの音楽ルーツにはグラムロックがあったことを彼は公言しているし、本作で言えば、I:M3「SWING IN HEAVEN」でグラム色を感じ取れるところではある。
リスペクトとオリジナリティー
グラムロックの話が出たので、最後に本作のサウンドについても触れておこう。ダークなダンスナンバーであるI:M2「月の炎」の繊細なギターや、I:M4「からっぽの叫び声」でのエッジーなギターと激しいベースラインのアンサンブルなどは、ポジパンやインダストリアルなどに通じる要素が感じられる。V系の元祖と言われるのも納得のバンドサウンドである。また、『II』では、II:M1「Chocolate Dream」でのシタール(シンセかもしれない)と民族音楽的パーカッション、II:M3「4-D Visionのらせん階段」でも幻想的なギター、II:M4「水の中の子守唄」でのリバースと、いわゆるサイケデリックロックの要素をあしらっているのも興味深い(『II』のサブタイトル“Downer”はおそらくこのサイケから来たものだろう)。
そうは言っても1960年代のロックをそのまま展開するのではなく、リスペクトはしっかりと残しつつも、DER ZIBETならでは…と言える独自の解釈を随所で聴くことができるところがポイントだろう。どこかで聴いたような気がしないでもないけれど、よくよく聴くと、他に聴いたことはない。そんな文字通り比類なき楽曲が並ぶ。個人的に最も注目したのはII:M5「雨あがりの日曜」。不思議な音色のギターが鳴らされるイントロからして雰囲気がある。少しいなたい感じの、1960年代前半の洋楽ポップス的というか、コーラスを含めてどこかGS的にも思えるサビメロも面白いのだが、そこからネオアコ的なサウンドに展開するところは意表を突かれる。さらに間奏では管楽器が聴こえてくる(サックスに似た感じのシンセかもしれない)。AORに似た感じだが、そこまでアーバンではなく、もうホント独特としか言えないアプローチなのである。どうしてこういうことを考えたのだろうか。凡人の思考を超えてる。II:M7の歌詞を借りるなら、そうした手法の背後には《手垢にまみれ》ことはやらないという意思表示が隠れていると受け取ることも出来る。
こうしたサウンドメイキングはHIKARU(Gu)、HAL(Ba)、MAYUMI(Dr)の力量によるところも大きいのは間違いない。HIKARUのギターはDER ZIBETのもうひとつの主役。前述の通り、のちのバンドに少なからず影響を及ぼしたと思われる個性的かつ多彩なプレイだ。II:M2「WINTER WALTZ」では綺麗なアコギを弾き、M7「Good-bye Friend」の間奏ではいわゆる泣きのギターソロを聴かせているし、器用なテクニシャンなのだろう。そうしやギターも、それを支えるリズム隊の確かなプレイはあってこそで、それが巧みに合わさっているからこそのDER ZIBETサウンドのような気がしてならない。個人的には強くそう思う。とりわけベースラインがどの楽曲も素晴らしい。堅実なプレイであり、これもまたこのバンドの聴きどころとして推したいところである。I:M1「VICTORIA」やI:M5「七番目の天使」、II:M7辺りではオールドスクールなR&Rを感じさせるところもある。この辺はアルバムタイトルに由来したものかもしれない。いずれにしても、DER ZIBETが多様性を持ったバンドであることは、『思春期』2部作でもはっきりと示していると思う。
TEXT:帆苅智之
関連ニュース