強制PPAP地獄と強制恋ダンス地獄にまみれた忘・新年会、あるいは冬コミを生き抜いた賢明なるユーザーの皆様、明けましておめでとうございます。本年もOKMusicをよろしくお願い申し上げます。ついでに私のこともよろしくお願い申し上げます。そろそろおせちの残りとカビを取り除いたお餅で彩られた食卓も鮮明さを喪失している頃でしょう。いつも心に正月ボケと二度寝への筋道を立てているような、ゆとりある生活を送りたいものですが、ライターなんて吹けば飛ぶような職業を選んでいるうちはそんなこと許されません。そこで今回は、たるみきった精神と肉体に出刃包丁を振り落とすような5曲をお届けします。

1. 「いきのこり●ぼくら」(’13)/
青葉市子

青葉市子のアルバム『0』より。牧歌的なリズムと幽玄の二文字を具現化したような歌声、トラッドながらも異国情緒というよりは「昔々あるところに」から始まる“人ならざるものだけがいた世界”からするりと落ちてきたような異質さの素体そのままのメロディー、そして血を纏っても誰かの亡骸を振り払ってでも生き残らざるを得ない生命の酷薄さと厳しさを紡いだ歌詞をメジャーデビュー作の冒頭に持ってきた彼女は、いつ観ても“タフネスの極地”だと実感します。

2. 「ジョニー」(’03)/MOST

3コードに狂熱や反骨心や情動を込めるのがパンクネスの原点ですが、MOSTはPhew、山本精一、久土‘N’茶谷、西村雄介といった日本アンダーグラウンドシーンのレジェンドが集結した“ものすごくうまい”パンクバンドです。百戦錬磨を飄々と切り抜けてきた老練さが拮抗し合いながらも、決して誰かが誰をも遮ることない閃光のようなスピード感と無垢さ。Phewの挑発的な眼差しとともに繰り出される「誰だって間違うし誰も完璧じゃない」というシンプルなフレーズに込められた美しい怒りと叱咤には、何十回でも鼓舞され、何十回も涙があふれます。

3. 「Because the night」(’00)/戸
川純

20世紀の今際の際に発表されたカバーミニアルバム『20th Jun Togawa』より。昨年70歳を迎えたパティ・スミスによるアメリカンロックのスタンダードナンバーのひとつですが、ノイジーで不穏な雰囲気漂うアレンジを惜しげもなく施され、沼に潜む化け物のようにダウナーな一曲となりました。ビブラートのひひとつひとつも硬質で絞り出すような声調で丁寧に歌い上げる戸川純、コーティングすればするほど露になる彼女自身と、大友良英やナスノミツル等の辣腕ミュージシャンとの背筋が凍りそうなせめぎ合いに震えます。

4. 「Kafe Mania!」(’16)/Deerhoo
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収録アルバムの『The Magic』というタイトルそのままのイメージをぎゅうぎゅうに詰め込んだような、ドリーミーでキュートで、解放感と骨太さに身を任せて踊りたくなる一曲で朝起きるたびに、なぜ昨年の来日ツアーに行かなかったのかと床を叩きたくなります。ガレージパンクのざらつきを羽織ったギターとドラム、サトミ・マツザキの妖精めいたボーカルとエフェクト、人間離れした場所に到達できそうなポップネスと、人間ならではのフィジカルな音塊にどこまでもワクワクします。

5. 「絶対的な関係」(’14)/赤い公

シンバルの「さあ、これからハードコア始めますよ」と予告せんばかりのざわつくような鳴り、無表情で蛇行するベース、しかしそこを期待通りに裏切ってくれるクレバーなポップネスは、何度聴いても脱帽しっぱなしです。2分足らずの忙しなさに横溢する情報量とテクニック、多くを語らない思わせぶりなニュアンスの危うさに口角の上がってしまう歌詞、展開の目まぐるしさから漂ういい意味でのジャンク感と品の良さを共生させたしなやかさに、彼女たちなら “女性アーティスト”のカテゴリーを途方もないほどに拡張してくれるのではないかと、毎度身勝手な希望を抱いてしまいます。どうかそんな未来がさっさと訪れますように。

著者:町田ノイズ

OKMusic編集部

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