L→R ウツイリント(Dr)、AKI(Vo&Gu)、萩谷尚也(Ba)

L→R ウツイリント(Dr)、AKI(Vo&Gu)、萩谷尚也(Ba)

【ヒヨリノアメ インタビュー】
生きるために
一緒にバンドをやっている

どうしてもヒヨリノアメを続けたくて、
守りたかった

そんな中、2021年11月に大橋ユウトさん(Key)の脱退が決まり、その卒業ライヴを観に来ていた萩谷さんが急きょ一曲だけ参加したと。

萩谷
完全に観に行くだけのつもりで行ったんですけど、しのさんから声をかけてもらったんです。僕だけ卒業ライヴができてないからリベンジじゃないですけど、“一曲だけ一緒にやろう”と言ってくれたので、気持ち的にも“この一曲で俺は終わりだ”と思い、大橋を送り出すような気持ちで参加しました。だから、しのさんのせいですね(笑)。それでも世界が続くならの「水色の反撃」をカバーしたんですけど、ヒヨリノアメでよくやっていた曲なんですよ。ベースを弾くのは2年振りくらいでしたが、なんとなく身体が覚えていて、ぶっつけ本番だったけどなんとか弾けました。

その翌年に萩谷さんはヒヨリノアメのメンバーとして復帰するわけですが、一回嫌いになるかもしれないと思っていたことにまた飛び込むというのはどんな気持ちだったんですか?

萩谷
きっかけは完全に大橋の卒業ライヴで、ステージに上がった時に“俺はやっぱりライヴハウスが好きだな”“バンドって最高だな”って気がついちゃって、音楽をやりたいと思ったんですよね。その時に同棲している彼女がいて、俺が家に帰った時にめちゃくちゃ笑顔だったみたいで、それもあってやっぱりバンドが好きなんだなと思いました。

ヒヨリノアメの再加入はその時に考えたんですか?

萩谷
その時は“音楽をやりたい”っていう気持ちだったんですよ。だから、まずは自分で曲を作ってみようと思って、コロナ禍のヒヨリノアメと同じような感じで、パソコンとソフトを買ってやってみたんですけど、全然楽しくなくて。なんか違うって思った時に、“あぁ、バンドをやりたいな”と。そこから友達に声をかけてバンドをやろうと思ったんですけど、その子たちとやっていても何かが違って、そこでやっと“ヒヨリノアメが好きだったんだな”と気がつきました。ヒヨリのメンバーと一緒に音楽がやりたいんだと。で、たまたまAKIと会う約束をしていた日があって。
AKI
2年振りにね。大橋さんの卒業ワンマンで久しぶりに会って、おはぎさんがベースを弾いている姿を見たら嬉しくなって。
萩谷
でも、その会う約束をしていた日の前にAKIが電話をくれて、“実は戻ってきてほしいんだよね”って話をしてくれたんです。その時には俺も戻りたい気持ちだったので、即答で“戻るよ”って。
AKI
会った時に言えばいいんですけど、もう考え出したら早く言いたすぎて、そのことそればっかり考えちゃっていて(笑)。電話した時も怖かったんですけど。
ウツイ
おはぎくんが脱退してからサポートでベースを弾いていてくれた方がいて、その方もライヴの帰りに“やっぱりベースはおはぎくんだと思うんだよね”と言ってくれていて、僕も本当にそうだと思っていました。

そんな流れがあって昨年5月に萩谷さんが再加入し、現体制になったと。

萩谷
でも、俺がいない間にヒヨリノアメは知らないバンドになっていたんですよ。

と言うと?

萩谷
ふたりが自分たちの良さを全然分かっていないんですよ。いいところを全然出していないし、そのことに気づいていない。再加入してからもライヴより作曲を中心にやっていこうと言われていて、“いや、これはヒヨリノアメじゃないな”って。違和感がありすぎて、いったんしのさんに相談したんですよ。俺の中では『記憶の片隅に』をリリースした時の、しのさんと一緒にやっているヒヨリノアメが一番バンドの良さが出ていたと思うから。ヒヨリノアメは自己プロデュース能力が本当に低くて、SNSも苦手だし、自分たちをよく見せるっていうのができないんです。自分たちがどう動いたら良くなるのかが分からないので、そういう部分をしのさんに助けてもらっていたのに、今はどうして一緒にやっていないんだろう?と。だから、しのさんに戻ってきてほしいことを先に伝えて、メンバーに対しては…今思うと、俺がいない間のヒヨリノアメを否定するようなことを言ってしまったと思うんですけど。

AKI さんとウツイさんは、コロナ禍やメンバーチェンジがある中でも2年間頑張って続けてきたわけですもんね。

萩谷
そうですね。でも、その時に思っていたことを正直に言うと、シーケンスやバイオリンの音を同期で入れていたりとか、メンバー以外の音が入ることでバンドなのにバンドサウンドじゃない音になるのであれば、バンドでやらなくてもいいんじゃないかと思っていたんです。それぞれにしか出せない音を出して曲を作るべきなのに、その良さがなくなっているし、りんちゃんは生ドラムではなくて電子ドラムで曲を作っていて、“あのグルーブが一個もないじゃん!”って。もともとクリックも使っていなかったバンドなので。
ウツイ
パットで叩いていた曲もありますし、同期も効いていたのでノリが一定になっていて。

バンドサウンドならではの生々しさやグルーブ感が萩谷さんにとってのヒヨリノアメの良さだと思っていたのに、それがなくなっていたと。

萩谷
そこがヒヨリノアメで他のバンドに対して戦える強みなはずなんですよ。俺とりんちゃんのリズム隊のグルーブがあって、そこに乗っかってくるAKIのギターと、歌と、言葉の強さが絶対に売りなのに、そこを大事にしていない。“なんだこいつらは!?”くらいに思っていました。ふたりが頑張ってきたこともすごく分かっているので、やさしく伝えたいと思ったんですけど、いざ話そうとなった時にはストレートに“ここがダメで、ここがふたりの良さだから、このメンバーでしか出せない音を追求するべきだと思うよ”みたいなことを言いました。

そのヒヨリノアメの変化には少なからず萩谷さんの脱退も噛んでいると思いますけど、萩谷さんにしか言えないことでもありますね。

ウツイ
僕はヒヨリノアメに入ってからはDTMで曲を作ることばかりだったので、逆に生バンドがしっくりこなくて、“えっ、こっちがいいの? どうして?”みたいな戸惑いはありました。
AKI
僕的には同期を使ってみたり、配信のみでリリースをし始めたのもバンドを守るためというか。どうしてもヒヨリノアメを続けたくて、守りたくて、メンバーにも辞めてほしくなかったんです。自分的にもライヴをすることによってなんとかなっていた精神面がしんどくなっていたんですけど、その上で外に出ずにレコーディングも家でやるようになって、心が完全に閉じてしまっていました。音楽を好きになったきっかけはライヴハウスだったので、本当はライヴがしたいけど、離れていた2年間が自分にとっては長くて、その一歩が踏み出せなかったんですよね。おはぎさんが話してくれた時には、自信もどんどんなくなっちゃっていたので“ライヴハウスに戻るのは怖いな”とも思っていました。でも、ガツンと言ってもらえたのでだんだん勇気が出て、ヒヨリノアメでもっとライヴをしたいし、お世話になっていた人にも再会していきたいって伝えて、3ピースで頑張ってやっていこうと。だから、おはぎさんには感謝しています。

そんな出来事があって、昨年からは心機一転して3ピースで活動しているわけですね。

ウツイ
同期ありでレコーディングした曲を、生バンドでやるようになったんですけど、バンドでやっている時のほうが伸び伸びとしていたので、その感覚が全てだと思います。
AKI
おはぎさんが俺に“同期はやめようよ”って言った時も、自分の中にあった気持ちと同じというか。怖くなっちゃっていただけで、“本当はそっちだな”って頭の中にあったものを切り出された感覚だったので、自分に言われているような感じだったんですよね。

OKMusic編集部

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