70sカントリーロックの
基盤を築いた
ポコの2ndアルバム『ポコ』
カントリーロックの成立
ただ、『ロデオの恋人』は21世紀の現在から見ると、僕にはカントリーの要素が強すぎるように思える。それはなぜかと言うと、カントリーロックで演奏面を支える重要な楽器のペダルスティールがカントリーに寄り過ぎていることが一因である。もちろん、60年代にはまだペダルスティールはカントリー音楽でしか使われない楽器であったから、それは仕方のないことだ。僕が言いたいのはカントリーでもロックでもない、“カントリーロック”として成立するためには、ロックフィールのあるペダルスティール奏者の存在が不可欠だということなのである。
鍵を握るペダルスティール奏者
70年代に入ると(当時の時間の流れは今とは違ってものすごく早く、2〜3年で音楽シーンは大きく様変わりするため、69年と71年ではかなり違う)、カントリーロックそのものが認知されるので、70年代以降に登場する優れたカントリーロックのグループには、ロックフィールを持ったペダルスティール奏者がメンバーとして在籍している。ニュー・ライダーズ・オブ・ザ・パープル・セイジ、ピュア・プレイリー・リーグ、フールズ・ゴールド、ファンキー・キングスなどがそうである。また、バディ・エモンズ、レッド・ローズ、スニーキー・ピート(フライング・ブリトー・ブラザーズ)らは、カントリーロックが認知されるようになってからはロックのセッションも増え、ロックフィールをちゃんと身につけている。
ラスティ・ヤングを擁したポコ
ケイジ、キース、ピートの3人はそれぞれカントリーとブルーグラス出身者であるが、面白いのはポコのラスティ・ヤングの経歴である。彼は6歳からラップ・スティールを、14歳でペダルスティールを学び、コロラド州デンバーのパワーポップグループのべンジー・クリック(Böenzee Cryque)に65年に参加している。このグループはペダルスティール奏者が参加した世界初のロックグループとして知られる(カントリーロックのグループではない)が、そのことよりもペダルスティール奏者としての可能性を広げるためにロックグループに参加したヤングの独創性がすごい。