54年前のあの夏の日に鳴り響いた
ジミ・ヘンドリックスの
「星条旗」が今も聞こえる

『Live at Woodstock』('19)/Jimi Hendrix

『Live at Woodstock』('19)/Jimi Hendrix

この連載コラムがアップロードされる8月18日、遡ること54年前のこの日、繰り広げられたパフォーマンスを記録したのが今回取り上げた盤である。

1969年8月18日、午前9時頃〜(正午前とも言われている)。ステージに登場したのはジミ・ヘンドリックス率いるジプシー・サン・アンド・レインボーズ。伝説のロックフェス『ウッドストック』最終日(というか前日中に出来なかった出演枠の繰り越し)。

音源は長らく断片的にしか公開されなかったが、1999年にようやく全貌に近いかたちでまとめられたCDが発売されたのだが、実際のパフォーマンスとは曲順が違っていたり、まだ未公開の曲もあって、リマスター盤が出た2010年の段階でも完全ではない。それでもあの『ウッドストック』でのジミがどんなプレイをしたのか分かった時は心底驚いたし、圧倒されたものだ。映像版もDVDで発売されたので、それを見た時はあまりの凄さに立ち上がれなかったものだ。

『ウッドストック・フェス』、そしてジミ・ヘンドリックスの当日のパフォーマンスについてはもう繰り返し何度も語られてきた。すでに多くに知られていることだとは思う。で、凄かった…としながらも、ジミはともかく、バンドの出来はそれほどでもない。ここに至る経緯を少しだけ辿ろう。パワートリオ“ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス(The Jimi Hendrix Experience)”がベースのノエル・レディング脱退を機に3年にわたる活動に終止符を打ち、ジミが次なるバンド構想を練っているタイミングで出演を打診されたのが『ウッドストック・フェス』だった。ジミのアイデアでは次はビッグバンドのような大編成でのバンドを考えていたらしいのだが、レーベルや周囲から反対され、新体制のお披露目というよりは、フェスは急ごしらえの臨時編成で出演することになったらしい。理想のかたちではないとはいえ、出演者中、最高額のギャラ(1万8千ドル)を提示されたこのオファーをジミ側が断るわけがない。

ジプシー・サン&レインボウズ

エクスペリエンスからミッチ・ミッチェル、軍隊バンド時代からの盟友ビリー・コックスの参加はともかく、他の3人はどういう経緯の抜擢なのかよく分からないのだが、実際のステージの映像を見た限り、その存在、役割もよくわからないままである。ちゃんと音が拾われていないばかりか、ほとんどカメラのフレームに入っていない。映っていてもオマケみたいなものだ。ラインナップは以下の通り。

ジミ・ヘンドリックス(ギター)
ビリー・コックス(ベース)
ラリー・リー(ギター&ヴォーカル)
ジェリー・ヴェレス(パーカッション)
ジュマ・サルタン(パーカッション)
ミッチ・ミッチェル(ドラムス)

あまりにも3人の存在感がないものだから、ジプシー〜というバンド名もあって私は、彼らのことを道端でストリートミュージシャンをやってるところをスカウトされた面子かと疑っていた。ところが、実は全員が本当はかなりの実力者でラリー・リーはソウルシンガーのアル・グリーンと仕事をし、ブルースのアルバート・キングとも行動をともにしていた。ジェリー・ヴェレスはプロフェッショナルのパーカッショニストで、後にフュージョン系バンドのスパイロ・ジャイロのメンバーとしても活躍している。現在も活動中。ジュマ・サルタンはジャズ界の人でアーチ・シェップやサム・リヴァースと仕事をする他、ジミとはフェス以降もスタジオレコーディングで多く共演している。彼も活動中とのこと。

ジミたちはフェス開催前にあのボブ・ディランやザ・バンドのメンバーが暮らしていたウッドストックの町にほど近い、ショーカンという村のはずれにある邸宅を借り、リハを繰り返していたという。しかし、時間も日数も足りず、このメンバーを生かし、バンドとして発展させるまでには至らなかったのだろう。筆者はかつてウッドストックに3年ほど住んでいた経験があり、一度、ジミたちが滞在したという邸宅を探索しに行ったことがある。あの辺り、という目星はついていたのだが、通りから邸宅に続く私道へはプライヴェートの敷地のため進めず断念した。建物は今でもあるそうだ。
※フェスの開催地はニューヨーク州サリバン郡ベセルという村にあるマックス・ヤスガー農場である。というわけで、本当は『ウッドストック』の町とフェスは何の関係もないのだが、主催者は最初に開催を目論んでいた、芸術家が多く住む『ウッドストック』のネームヴァリューに惹かれ、『ウッドストック・フェス』という名称にしたというのが真相である。千葉にあるのに東京ディズニーランドと呼ぶのと似たようなものだ。

もっと時間をかけてリハーサルをしていれば違ったものになっていたかもしれない。ジミ自身もドラッグと質の悪い飲料水にあたって腹を下し、体調万全ではなかったという。それでも、だ。『ウッドストック』でのジミは取り憑かれたように弾いている。ほとんど笑顔を浮かべることもなく、自分のイマジネーションに集中している風に見えるし、どことなく疲弊しているようにも見える。このフェス出演から約1年後(1970年9月18日)に彼がロンドンで急逝してしまうことを思うと、いろんなことが頭をよぎってしまうのだ。

それと、コンサートの出来ということなら、他にもっといいものを残しているけれど、『ウッドストック』は特別のものだ。そうさせているのは、やはりアメリカ国歌をギターだけで弾いたあのパフォーマンスであることは万人が認めるものだろう。特別なものだからこそ、ジミは弾いたとも言えるかもしれない。

木曜日から始まったフェスは途中でハリケーンの余波で嵐にも見舞われるが、日曜日に最終日を迎える。翌月曜日から仕事に戻らねばならず、早々と日曜日の午後には会場を引き上げる観客が出てくる。それも見越して主催者側は日曜日の夕刻あたりのベストな枠での出演をジミ側に勧めるが、ジミはあくまでトリにこだわる。その結果、3日目のうちに出演は叶わず、4日目の、しかも日が高く上った時刻での出演になったのだ。そのため、ジミの出演時にはほとんどの観客が帰ってしまっていた…と、よく書かれているのだが、その40万人〜とも言われる観客の大半は確かに会場を後にしたのだろうが、それでも映像を観るとジミのステージ前にはそこそこ集まっている(推定2万5千人)。

結果からすると、幸か不幸か、最高のシチュエーションがもたらされたことになるかもしれない。そう、蓋を開ければ祭りの終わりの気配漂う、フェスの華やかさとはほど遠い光景が広がっていたのであり、それを目にした時、ジミはさぞかしやる気とイマジネーションを掻き立てられたことだろう。この状況が夜の闇に紛れてしまったのでは、意味がないのだ。

OKMusic編集部

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