これだけはおさえたい洋楽名盤列伝!

これだけはおさえたい洋楽名盤列伝!

全米R&Bチャートで1位に輝いたカーテ
ィス・メイフィールドの『バック・ト
ゥ・ザ・ワールド』

『Back to the World』(’73)/Curtis Mayfield

『Back to the World』(’73)/Curtis Mayfield

60年代の後半、ベトナム戦争が激化する中、アメリカ軍によるソンミ村虐殺事件などの非人道的な攻撃によって、世界的なレベルでアメリカの信頼は失われていった。その頃、僕は小学生であったが、娯楽番組や海外ドラマと並んで毎日ベトナム関連のニュースがテレビで流れていたことを覚えている。日本でもそうだったのだから、当時のアメリカでは国を二分するような凄いことになっていたはずだ。ベトナム戦争や人種差別の問題について、多くのアーティストたちが意見を表明し、歌詞に政治的な表現が増えていく、そんな時代であった。今回、紹介するカーティス・メイフィールドの『バック・トゥ・ザ・ワールド』は、ベトナムに出兵している兵士たちがアメリカに帰還するというタイトルで、その社会性に大きな注目が集まったニューソウル全盛期の作品だ。

社会の世相を反映させたソウルとファン

最初はスライ&ザ・ファミリー・ストーンだった。中学2年ぐらいまでの僕は、ロックグループは白人のみで、ブルースバンドは黒人のみで構成されていると思っていたのだが、時代はどんどん進んでいたようだ。スライは黒人・白人・男性・女性で構成されており、明るくノリの良い音楽をやっていたが、それはロックでもR&Bでもなく、まったく新しい音楽であった。
スライはベトナム戦争、人種差別、ウーマンリブなど、当時の社会問題を自身の音楽に反映させていたと思う。スライ&ザ・ファミリー・ストーンが71年にリリースした『暴動』はタイトルからして過激で、このアルバムに収録された「サンキュー」は一般大衆にファンクが浸透した最も初期の作品だろう。この曲のサウンドには“怒り”や“喜び”など、その頃の混沌とした社会を凝縮したようなドロドロした精神が詰まっていた。その頃は、映画の世界でもアメリカン・ニューシネマと呼ばれる社会派の作品が増え、『イージー・ライダー』『カッコーの巣の上で』『いちご白書』『バニシング・ポイント』『帰郷』など、観る映画はどれも、前述したようなベトナム戦争や人種差別などの社会問題を取り上げたものばかりである。
この頃からハードロック、フォークロック、プログレ、R&B、ジャズ、ブルースロック、カントリーロックなどと並んで、マービン・ゲイ、スティービー・ワンダー、ドニー・ハサウェイ、ロバータ・フラックなどのニューソウルと呼ばれる一群のアーティストが次々に現れてきたのだ。黒人であっても中流以上の家庭に育ち、一流大学で音楽を学んだ若者たちも少なくなく、虐げられた黒人がブルースを演奏し、お金のためにプロになるという時代ではなくなっていた。

インプレッションズでの活躍

カーティス・メイフィールドもまた、70年にニューソウルの旗手として現れたのだが、彼はソロになる前、インプレッションズというコーラスグループですでに活躍しており、1958年には名曲「フォー・ユア・プレシャス・ラブ」でデビューし、チャート3位となる大ヒットとなった。インプレッションズはジェリー・バトラーがリードヴォーカリストで、「フォー・ユア・プレシャス・ラブ」のヒット後はジェリー・バトラー&ザ・インプレッションズと改名して活動、その後ジェリーがソロになるために脱退し、以後はカーティスがシンガーとソングライター、ギタリストを兼任、グループを引っ張っていくことになる。
65年にはカーティスのペンとなる「ピープル・ゲット・レディ」をリリース、この曲はインプレッションズを代表するだけでなく、ポピュラー音楽史上に燦然と輝く名曲となった。曲の内容は公民権運動を取り上げたものであり、この頃すでにカーティスの中には、思想的にも音楽的にもニューソウル的な下地が固められつつあったのだ。「ピープル・ゲット・レディ」はボブ・ディラン、アレサ・フランクリン、ボブ・マーリー、アル・グリーンなど、多くのアーティストがカバーしており、日本でもハナレグミや綾戸智恵のバージョンがよく知られている。
カーティスはインプレッションズの活動と並行して、多くのアーティストに曲を提供し、ギタリストとしても参加するなど精力的に活動する。そして、68年には自身のレーベル「カートム・レコード」を設立し、ここから彼の音楽を発信していく。

ソロアーティストとしての活動

60年代の終わりにはジェームス・ブラウンはファンクのスタイルを確立し、スライやパーラメント/ファンカデリックらも独自のファンクを生み出していた。しかし、カーティスやマービン・ゲイらに代表されるニューソウル派のアーティストは、ソウルやファンクをミックスし、ノーザンソウル(フィリーソウル)でよく使われる華美なストリングスを取り入れるなど、都会的でソフィスティケートされたポップソウルのテイストが特徴である。
1970年、満を持してカーティスはアルバム『カーティス』をリリースし、ソロデビューを果たす。このアルバムに収録された「Move On Up」はカーティスの名前を知らなくても、誰でも1度は聴いたことがあると思う。未だにCM等でしょっちゅう使われているぐらい古くならない傑作だ。このアルバムは全米R&Bチャートで1位となる。
このアルバムでカーティスの音楽はすでに確立されており、その後のソウルの基本形となるスタイルがある。続いて『カーティス/ライブ!』(‘71)、『ルーツ』(’71)をリリース、音楽的には『カーティス』とさほど変わらないが、ソングライターとしてのカーティスはまだ成長を続けており、どちらも素晴らしいアルバムに仕上がっている。そして、彼の代表作の一枚となるサントラ『スーパーフライ』(‘72)を出す。このアルバムはR&Bチャート、ポップスチャートの両方で1位を獲得し、以降に登場するソウル系アーティストに多大な影響を与える記念碑的な作品となるのである。

本作『バック・トゥ・ザ・ワールド』に
ついて

『スーパーフライ』の大成功を収めた翌年の73年、本作『バック・トゥ・ザ・ワールド』はリリースされた。本作ではカーティスのトレードマークであるワウワウを効かしたギターをベースに、悲哀感のあるストリングスと、これまで以上にタイトなサウンドで勝負している。カーティス独特の浮遊感のあるファルセットヴォーカルは、リスナーをやさしく包み込んでくれるのだが、本作はベトナム帰還兵をモチーフにしたアルバムだけに、時にラップのような鋭い切れ味を見せることもある。本作も前作同様R&Bチャートで1位に輝いている。
アルバムに収録されているのは7曲。うち5曲は5分以上の長尺曲となっている。本作を聴く時のコツは、何も考えずリラックスすることだ。そうすれば、彼の想いが知らず知らずのうちに伝わってくる。もし、まだ彼の音楽を聴いたことがないのなら、この機会にどのアルバムでもいいから聴いてみてほしい。きっと新しい発見があると思うよ♪

TEXT:河崎直人

アルバム『Back to the World』1973年作品
『Back to the World』(’73)/Curtis Mayfield

OKMusic編集部

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