キャプテン・ビーフハートの『トラウ
ト・マスク・レプリカ』はパンク以前
に存在した驚愕の超パンク作品

商業音楽としてのポピュラー音楽は「売れる」ことではじめて、その存在価値があるという性質を持っている。一方、芸術音楽(現代音楽や一部のジャズ)は商業性とは相反する存在で、両者は言わば水と油に近い関係だと言える。今回紹介するキャプテン・ビーフハートは、ロックサイドから登場してきたにもかかわらず商業性とは無縁の異端のアーティスト。1969年にリリースされた『トラウト・マスク・レプリカ』は、ビーフハートが創造したロック史に燦然と輝く奇跡の傑作であり、その評価は千年経とうが変わることはない。

近所に住んでいたふたりの天才ミュージ
シャン

フランク・ザッパ(1)は、1993年12月にこの世を去った唯一無二の天才アーティストだ。ザッパは高度な音楽的素養と技術力をもとに、現代音楽からヘヴィメタルに至るまでのさまざまな音楽スタイルを自由自在に操りながら、自身の多彩な音楽表現を行なってきた。あえて流行には背を向け、最高の音楽を追究するためだけに活動してきた孤高のミュージシャンである。彼の音楽の底部にあるのは、本物のロック(パンク)スピリット。66年にデビューしてから逝去するまでに発表したアルバムは60枚以上にものぼり、通常のロックミュージシャンと比べるとその多さは桁違いだと言える。
キャプテン・ビーフハートことドン・ヴァン・ブリートは、幼少の頃から芸術家を目指していて、高校生の頃に近所に住むザッパと知り合う。彼らはふたりともブルースやR&Bが好きで、しょっちゅうお互いの家を行き来しレコードを聴きまくり、一緒に音楽活動をスタートさせたのもこの時期である。おそらく、この時期のふたりの密度の濃い結び付きが後の音楽的素養を決定付けたのだと思われるが、天才的な才能を持ったふたりが近所にいて、お互いを高め合うことができたことは奇跡だと言える。ちなみに、キャプテン・ビーフハートという名前は、この頃にザッパが付けたものである。
ふたりとも間違いなく天才であるが、ザッパが高度な音楽的素養を身に付けているのに対し、ビーフハートは感性と直感で勝負するタイプ。ちょっと古いが、野球選手で言えば、王貞治と長嶋茂雄のような存在なのだ。それだけに、このふたりがお互いをリスペクトしつつ共同作業をすれば、完璧な作品が生み出される可能性は極めて高くなるはずだ。そして、本当にふたりが団結して生み出した『トラウト・マスク・レプリカ』は、ロック史上稀に見るほどの傑作となったのである。

マジック・バンドの活動

自身のグループ、マジック・バンドを結成したビーフハートは、ハウリン・ウルフ(2)を思わせるダミ声で評判を呼び、大手レコード会社と契約することになった。『セイフ・アズ・ア・ミルク』と題されたデビューアルバムは65年にリリース、すでに既成のロックの枠には収まらない、パンクスピリットに満ちた独創的な音楽で勝負している。ここでは敬愛するブルースやフォークの本質を濃縮してから解体、新たに再構築するというビーフハート独自の方法論が確立していて、今後この手法をより大胆に深化させていく。
2ndアルバムの『ストリクトリー・パーソナル』は68年にリリースされた。ただ、この作品においては、あろうことか彼がツアーに出ているさなか、プロデューサーが勝手にエフェクト処理等(当時流行したサイケデリックロックっぽく加工)を加えるなど、ビーフハートの意向を無視しただけにビーフハートは激怒、このプロデューサーとは絶縁している。こういう制作方法って今では当たり前だが、当時はミュージシャンの意向が尊重されていた良き時代だったのだ。ちなみにこのプロデューサーはボブ・クラスノウで、彼はロックやソウルで大きな業績を残した名プロデューサーである。彼ほどのプロデューサーであっても、ビーフハートの天才には及ばなかったのかもしれない。

『トラウト・マスク・レプリカ』につい

さて、前作の《勝手にリリース》問題で、レコード会社やプロデューサーとの確執が発生し、その作業に追われることになる。ビーフハート隊長とマジック・バンドは時間を見つけてはリハに専念していた。ビーフハートは旧友のザッパにも相談し、次作のアイデアを練っていた。彼はリハを繰り返してグループがまとまることで、音楽の活きの良さが失われると判断、メンバーの入れ替えを行なう。特に新メンバーのベーシスト、ロケット・モートンはベースを始めたばかりの素人に近いミュージシャンであった。
最終的にプロデュースはザッパが引き受けることになり、発売もザッパの設立したストレイト・レコードに決まった。収録曲は全28曲、発売当時はLP2枚組の大作である。本作にはパンクの原型となるもの、プログレ、ジャズロック、ブルースロック、サイケデリック、フリージャズ、現代音楽、実験音楽、前衛音楽、ラップ、ファンク、ノイズ、民族音楽など、ジャンルを超えたロックスピリットのエッセンスが、79分にもわたってぎっしり詰まっている。
アルバム制作前にはグループのメンバーと9カ月近くにも及ぶリハを行ない、完璧な形にまで仕上げていたので、レコーディングはほとんどの曲がワンテイクでオッケーとなり、レコーディングに要した時間(ミキシングも含めて)は丸一日ほどだったという。
ザッパは、マジック・バンドの面々が、リハーサル合宿でビーフハートの難曲に挑むという、ストイックかつ人並み外れた集中力に感動し、自身の音楽制作の見直しを図ったと言うぐらいリハーサルは過酷であったが、ふたりの天才が生みだした『トラウト・マスク・レプリカ』は紛れもない傑作であり、この先も永遠に語り継がれ、後進に影響を与え続けていくだろう。

本作と似たサウンド

それにしても、これほど独創的なサウンドが他にあるだろうか。僕は個人的にパンクロックの最高傑作として、コンピレーションの『ノー・ニューヨーク』(‘79)を挙げるが、サウンド的には本作とかなり類似性があると思う。もちろん『ノー・ニューヨーク』が本作の影響を受けているのだが、類似した音作りができたというだけでも尊敬に値すると僕は考える。
アルバムの随所に登場するビーフハートのフリーキーなサックスの音色は、フリージャズのアルバート・アイラーや一時期のエリック・ドルフィーに似ていて、彼がそういった前衛ジャズに惹かれていたことは想像できる。また、ヘンリー・カイザー、フレッド・フリス(3)、ユージーン・チャドボーンといったジャンルにとらわれない優れたミュージシャンたちは、間違いなく本作に多大な影響を受けている。彼らとビーフハートの最も大きい類似点は、みんな最高のミュージシャンであるにもかかわらず売れないってことかもしれない…。

著者:河崎直人

OKMusic編集部

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