グレアム・パーカー&ザ・ルーモアの
『ロック・モンスター/グレアム・パ
ーカー・ライブ!』は秀作の多いパブ
ロック作品の中でも飛び抜けた傑作

イギリス独特の文化のひとつにパブ(要するに居酒屋)が挙げられるが、パブはお酒が安く呑めて音楽も楽しめる庶民のための社交場である。そんなパブから60年代の後半から70年代中頃にかけて、多くの素晴らしいグループやシンガーが登場し、大きなホールやコンサート会場には決して登場しない彼らは、いつしかパブロッカーと呼ばれるようになった。エルヴィス・コステロ、ニック・ロウ、ドクター・フィールグッド、ダムドなど、みんなパブロックなわけだが、同じパブロックでもブルース、ファンク、カントリー、パンクなど、さまざまなジャンルがひしめき合っているのも特徴のひとつである。グレアム・パーカーもイギリス中のパブで名を売り、パンクロッカーにも大きな影響を与えたイギリスを代表するシンガーのひとりである。今回はバックにザ・ルーモアを従えた絶頂期のライヴ盤『ロック・モンスター/グレアム・パーカー・ライブ!(原題:The Parkerilla)』を紹介する。

パンクロックにも大きな影響を与えたパ
ブロック

イギリスのパブロックシーンは、他の国ではあまり見られない文化だ。基本的には労働者階級(要するにお金がない人たち)で、酒好きで音楽も好きな人たちがワイワイやる場所で、日本の居酒屋(立ち呑みのほうが近いかな)でライヴも楽しめるような店のことをパブ(パブはパブリック=公共の場のこと)という。日本のライヴハウスと違うのは、パブはあくまでもお酒がメインで、音楽は添え物だというところ。もちろんパブにも音楽が主体の店は多いし、さまざまな形態があるので一概には言えないが、音楽を聴くことが主体のライヴハウスではパブロックのようなレイドバックした音楽は生まれないと僕は思っている。
初期のパブロックの良さはタイトさがあまりないことであり、どこかにアマチュア臭い部分が残っていることが大きな魅力である。この、ある種ゆるゆるな感じがパンクロックを生んだ原点でもある。パブロックの演奏を聴いて「なんだ、これなら俺でもできるじゃん」と思ったかどうかは分からないが、少なくともパブロックの雰囲気がパンク登場のきっかけになったことは間違いない。少なくとも何千人~何万人も入るホールで演奏するツェッペリンやイエスのようなビッググループと違い、パブロックのアーティストは数十人から多くても100人ほどしか入らない店で演奏するわけなので、その日の客の感じに合わせて演奏する曲目を決めたりするから、客にとっては必然的に身近な存在になる。60年代からパブ生活をしていたアーティストと、70年代に入ってから登場してきたパンク少年たちが同じパブで演奏していたのを想像するだけでワクワクする。その頃の混沌とした状況はパブロック勢とパンクロック勢が集結した『ザ・ロンドンR&Bセッション・ライブ・アット・ホープ&アンカー』(‘78)に収録されている。
そんなこんなでパブロックのシンガーやグループはイギリス中を渡り歩き、毎日酔っ払いを相手に演奏していたわけである。暴言を承知で言ってみれば、ツェッペリンやクリームなどのグループはメジャーリーガーで、パブロッカーたちは草野球のチームみたいなものだ。しかし、そんな草野球のチームが気付いてみればグループやシンガーはどんどん増えていき、毎日のギグを通してめきめき腕を上げていったのである。中でも特に人気の高かったのは、ブリンズリー・シュウォーツ、ドクター・フィールグッド、イアン・デューリー、エース(ポール・キャラックが在籍)、グリース・バンド、ダックス・デラックスあたりだろう。

スティッフ・レコードの設立

そんな中、ブリンズリー・シュウォーツのマネージャーを務めていたデイブ・ロビンソンがパブロックのアーティストを集めてツアーを始めたり、気に入ったバンドがいれば彼が経営するパブ『ホープ&アンカー』で演奏させたりするなど、70年代中盤にはパブロックが大きな注目を浴びるようになっていく。その頃のロックは巨大レコード産業に取り込まれ、AORやフュージョンといったアダルトなサウンドへと変貌していた時代で、真のロックスピリットを持ったアーティストは、メジャーリーガーではなく草野球のチームにこそ存在していたのだ。
ドクター・フィールグッドはメジャーと契約し、骨太のサウンドでパンクロック的な動きをしていたが、彼らのプロデューサーであったジェイク・リヴィエラはデイブ・ロビンソンと相談し、インディーズレーベルを立ち上げる運びとなった。それが76年に設立されたスティッフ・レコードである。第一弾シングルは解散したばかりのブリンズリー・シュウォーツのメンバー、ニック・ロウによるものだった。その後、ザ・ダムドによるイギリスのパンク第一号と言われるシングル「ニュー・ローズ」をリリースし、スティッフ・レコードは世界的に認められることとなったのだ。

グレアム・パーカーのデビュー

ブリンズリー・シュウォーツのリーダー、ブリンズリー・シュウォーツはグループ解散後、同じパブロック仲間のダックス・デラックスやボン・トン・ルーレのメンバーたちとザ・ルーモアを結成し、デイブ・ロビンソンの口利きでソロ活動をしていたグレアム・パーカーのバックバンドに収まることになった。この組み合わせは、ブリンズリーが敬愛するボブ・ディランとザ・バンド(前身はホークス)を手本にしたものだ。このパターンは、実は日本でも存在する。岡林信康とはっぴいえんどだ。なぜか日本のほうが早いのだが、日本では60年代にすでにパブロック的な動きがあり、69年に設立されたURCレコードや72年設立のベルウッド・レコードがちょうどスティッフ・レコード的な志を持っていた。だから、当時のURCレコードやベルウッドレコードには優れた作品が多いので、機会があれば聴いてみてほしい。
話がそれてしまったが、グレアム・パーカーとザ・ルーモアは76年に『ハウリン・ウインド』でデビュー、ヴァン・モリソンとボブ・ディランに影響された泥臭いアメリカ的なサウンドはパブロックで鍛え上げた骨太さが感じられ、当時のAOR的なサウンドが多い中で新鮮に響いたものだ。一部の曲ではボブ・アンドリュースのオルガンが早くもニューウェイヴ的な音を出している。その後、『ヒート・トリートメント』(‘76)『スティック・トゥ・ミー』(’77)と順調にアルバムをリリースし、この頃の日本ではパンクロッカーとして扱われていたような記憶があるが、確かにパーカーの音楽はパンクロッカーに影響を与えてはいるが、彼の音楽はやっぱりパブロックでしょう。

本作『ロック・モンスター/グレアム・
パーカー・ライブ!』について

これまでの3作はどれも素晴らしいアルバムで、パブロッカーの熟成された演奏とソウル好きのパーカーの巧みな歌唱力は、古くからのロックファンも魅了するほどのレベルであった。そして、次にリリースされたのが本作『ロック・モンスター/グレアム・パーカー・ライブ!』で、当時は2枚組で発売された。ライヴはA面からC面までで、D面は12インチシングル(1曲のみ収録)で彼の代表曲のひとつ「ドント・アスク・ミー・クエスチョンズ」の新録が収められるという変則的なアルバムである。
アルバムを聴いてみてびっくり。これまでの3枚はなんだったのかと言うぐらい、ルーモアの圧倒的な演奏とパーカーのヴォーカルもかなり激しく攻撃的なもので、間違いなくこれまでで最高の仕上がりであった。本作はパブロック全部のアルバムの中でもベストに入るほどの内容だと思う。この原稿を書くために聴き直してみるとあっと言う間に引き込まれ、気付いたら終わっていたほどなのだ。
収録された曲は名曲揃いで、駄曲は1曲もない。ヴァン・モリソンの影響はかなり大きいが、パーカーとザ・ルーモアのサウンドはロックそのもので、時折唸るホーンセクションも文句なしのパフォーマンスだ。初期のブルース・スプリングスティーンやエルヴィス・コステロが好きなら、このアルバムが一番好きになるかもしれない。最後の「ドント・アスク・ミー・クエスチョンズ」は日本でもヒットし、このアルバムがリリースされたパーカー絶頂期の78年に来日もしているのだが、用事があってコンサートに行けなかった。観に行かなかったことを今でも後悔している。このアルバムを聴くたびにそう思う。ザ・ルーモアは単独でアルバムもしていて、これまた名作揃いだから聴いてみてください。

著者:河崎直人

OKMusic編集部

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