史上最高の
ハードロック作品のひとつに
数えられるAC/DCの
『バック・イン・ブラック』
ロバート・ジョン・“マット”・ランジ
ランジは担当するアーティストの個性を濃厚に凝縮して提示できる優れたプロデューサーのひとりである。イギリスではグレアム・パーカーをR&B風シンガーからザ・バンド風へと微妙に転向させたし、パンクバンドのブームタウン・ラッツをパワーポップ系へとシフトさせた。他にもルーモアなど、パブロックやニューウェイヴのアーティストを手がけている。アメリカではカントリー系サザンロックのアウトロウズをポップなハードロックバンドへ導き、エルビス・コステロのデビュー作で傑作『マイ・エイム・イズ・トゥルー』のバックを務めたクローバー(ヒューイ・ルイスや後にドゥービー・ブラザーズに加入するジョン・マクフィー等が在籍していた)を、地味なカントリーロックバンドからポップなウエストコーストロックバンドへと変えた実績がある。これらは全て70年代の作品であるが、後には妻となるカナダのカントリーシンガー、シャナイア・トゥエインをポップシンガーへと転身させ、彼女のアルバム『カム・オン・オーバー』(‘97)をポピュラー音楽史上歴代9位の売上へと導くなど、ランジは成功をもたらすプロデューサーなのである。
『地獄のハイウェイ』でもランジはAC/DCのシンプルでヘヴィな持ち味を引き出し、彼らを世界的なアーティストへと育てることに成功している。彼らもまた、ランジにプロデュースを任せることで自分たちのサウンドを見つめ直し、グループのビジョンを広げることができたのである。