初期プログレの
イメージを定着させた
ピンク・フロイドの『原子心母』

『Atom Heart Mother』(’70)/Pink Floyd

『Atom Heart Mother』(’70)/Pink Floyd

60年代の終わりから70年代初めの頃、プログレのアーティストはリスナーにグループのイメージを植え付けるために努力した。キング・クリムゾンの『クリムゾン・キングの宮殿』(‘69)、エマーソン・レイク&パーマーの『EL&P』(’70)、『タルカス』(’71)、イエスの『こわれもの』(‘71)、ムーディー・ブルースの『童夢』(’72)など、プログレッシブロックという新たなジャンルの音楽を定着させる(理解してもらう)ために、さまざまな創意工夫が見られたものである。音を聴かずともジャケットを見ただけで“プログレっぽさ”を醸し出すのは、並大抵の才能ではないと思う。今回取り上げるピンク・フロイドの初期の代表作『原子心母(原題:Atom Heart Mother)』(‘70)のジャケットは、見ただけではどんな内容なのか分からないものだったが、当時のロック少年たちには響いた(僕も含めて)ようで、日本の多くのロックファンが聴きまくった作品のひとつである。もちろん本作は内容も素晴らしく、当時の若者たちの「プログレとは何か?」という問いに応えてくれるアルバムであった。

シド・バレット

1967年、ピンク・フロイドは『夜明けの口笛吹き(原題:The Piper At The Gates Of Dawn)』でデビューする。カリスマ的なリーダーであるシド・バレットの書く曲を中心に据え、アメリカのサイケデリックロックグループを模したサウンドと大掛かりなライトショーが話題となって、大手レコード会社の争奪戦となったが、結局は英コロンビアと契約する。しかし、バレットは内向的な性格であったからか、デビュー直後から薬物依存に走り、次第に精神を病んでいく。そのため、ライヴをキャンセルしたりスタジオに現れなかったりすることもあった。結局、デビュー作のリリース後、1年程度でグループを去っている。

バレットは、約1年間のブランクの後ソロ活動をスタートし、初のソロアルバム『帽子が笑う…不気味に(原題:The Madcap Laughs)』(‘70)ではピンク・フロイドやソフト・マシーンの面々をバックに、ガレージロックっぽい奇妙なサイケデリックロックを披露している。このアルバムを聴くと、彼がやりたかったことはプログレ的なアシッドフォークロック(これは初期ピンク・フロイドの特徴でもある)なのかと思う。

いずれにしても、バレットの脱退によってフロントマンにならざるを得なかったロジャー・ウォーターズは、バレットの天才に大きな憧れと同時に反発も感じており、逆にそのコンプレックスがピンク・フロイドのサウンドを成長させていったのではないだろうか。

ピンク・フロイドの新たなスタート

バレットの不調の中、ピンク・フロイドは2ndアルバム『神秘(原題:A Saucerful Of Secrets)』(‘68)のレコーディングをスタートさせる。精神状態が安定しないバレットの奇行もあって、メンバー共通の古い友人でもあるデビッド・ギルモアをギタリストとして迎え入れた。この時期はウォーターズを中心に、グループとしては過渡期であったが、自分たちのサウンドを模索していた。

続いて、映画のサントラ『モア』(‘69)をバレット抜きでレコーディング、このアルバムからデビッド・ギルモア(Gt)、ロジャー・ウォーターズ(Ba)、リック・ライト(Key)、ニック・メイスン(Dr)の4人組となり、新生ピンク・フロイドとしてのスタートを切った。

ピンク・フロイドの絶頂期

続いてリリースしたのが、実験的なサウンドを持つ4枚目にして初の2枚組アルバム『ウマグマ(原題:Ummagumma)』(‘69)である。1枚目はライヴで、これまでの代表曲(バレット作)を新たなアレンジで聴かせているのだが、収録曲はたった4曲(LPでは片面2曲ずつ)だ。もう1枚のスタジオ録音サイドは現代音楽をモチーフにしたナンバーや実験音楽など、メンバーそれぞれのやりたいことを1曲ずつ(ウォーターズのみ2曲)披露している。このアルバム(特にスタジオ録音面)は、かなり難解な作品に仕上がっているのだが、全英5位まで上昇、アメリカでは初のチャートイン(74位)となり、世界でピンク・フロイドの名が知られるきっかけとなった。そして、ここから70年代中頃までピンク・フロイドはロック界のトップスターとして大活躍する。

OKMusic編集部

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