ビョークの『Greatest Hits』を通じ
、彼女の唯一無二な世界を俯瞰する

 シュガーキューブス(The Sugarcubes)の『Life's Too Good』('88)で出会ったのが最初だから、もう彼女を知ってかれこれ27年ということになる。改めて思い返すに、アルバムはCDでリリースされたのだが、その頃出てきたオルタナ系新人バンドの中では飛び抜けて面白かった。収録曲の「Birthday」がヒットしていた。同曲はアイスランド語と英語の2通りのバージョンが存在しているが、どちらも言語の違いをほとんど感じさせないような気が、当時もしていたが今もそう思う。どうでもいいと言ってしまうと乱暴かもしれないが、言語なんてどうでもいいくらいビョークのヴォーカルが突出した個性を放っている。
 私自身は普段主に聴いているものからビョークの音楽は逸脱しているのだが、それでもなぜか惹かれるものがあり、棚を探れば結構なアルバムが並んでいる。ザ・シュガーキューブス時代のアルバムもあるし、そのシュガーキューブス在籍中に、彼女が母国のジャズ・トリオとともにスウィング・ジャズに挑んだ『Gling-Glo』('90)も持っている(名盤です)。買い逃しているアルバムも何枚かあったのだが、機会があれば、とまで思ってしまう。できれば、全部持っていたい…と思い始めるとモヤモヤしてきてしまい、ライヴ作以外のスタジオ作を全部ポチッとしてしまった。
 最新情報からお伝えすると、現在は3月末になるだろうという新譜『Vulnicura』のリリースを待っているタイミングなのだが(国内盤は4月1日を予定)、CD版に先駆けてダウンロード配信はすでに始まっている。2011年の『Biophilia』以来、約4年5カ月振りのアルバムとなる。プレスリリースでは「本作は自らが“ハートブレイク・アルバム”と称しているように、愛する人との決別を生々しく描いた作品。ビョーク本人が長年連れ添ったパートナーとの別れを時系列順に辿っているという、これまでのビョークの作品には見られなかったリアルな題材が、非常に大きな話題に。サウンド面では、若き鬼才プロデューサーとして注目を集めているアルカ(カニエ・ウエスト、FKAツイッグス)やハクサン・クローク(UK出身の実験的アーティスト)と共同プロデュース&作詞作曲が行なわれ、ストリングスのアレンジメントも全編にわたってビョーク自らが担当」とある。新コスチュームなのか、いくつか刺激的なビジュアルも伝わってきており、相変わらずこの人の生み出すものには耳ばかりでなく目が離せない。
「Stonemilker」「Lionsong」「History of Touches 」「Black Lake」「Family」「Notget」「Atom Dance」「Mouth Mantra」「Quicksand」の全9曲からなるアルバムのうち、「Black Lake」という曲に関してはCD版にのみ収録ということになっている。そういう曲が珠玉の1品だったりすることが多いのだ、これが。
 そこで、彼女のディスコグラフィーの中から今回何を選ぼうかと。これは本当に難しい選択作業だ。過去のアルバムを買うよりは最新の、なんて思うのは当然なのだが、不思議と過去のアルバムもまるで新譜を買うような気にさせてくれるのは、世界中を探しても、もしかするとこの人ぐらいかもしれない。内容が古びないというか、耐用年数が長いというか、飛行時間が長いというべきか。
 考えてみれば、シュガーキューブス、そしてソロになってからの作品を、なぜか順々に買って聴いてきていたのだが、その天才ぶりをまざまざと見せつけられたのは『Vespertine』('01)を聴いた時のことかもしれない。このアルバムは本当に繰り返し、繰り返し聴いた。アルバムにある透徹とした美しい音に浸っていると、心が洗われるようだった。彼女が主演した映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のサントラ盤『Selmasongs』('00)の音楽も信じられないくらい美しい音楽だったが(同作に収録の「I 've Seen It All」)はレイディオ・ヘッドのトム・ヨークとのデュエット)、『Vespertine』は抜きんでた作品で、確かその年の年間アルバムのベストに挙げるジャーナリストも多かったように思う。制作されてから15年も経過していることになるが、未だに時折聴いたりする。耳に馴染んだようには思えず、その新鮮さが初めて聴いた時のまま持続しているのだ。不思議なことだ。ならば、今回の1枚は『Vespertine』をと考えたものの、ほとんど声だけで制作されたという超意欲作『Medulla』('04)も頭にチラついて決めきれず、とりあえず『Greatest Hits』('02)を選ばせていただくことにした。これは、オフィシャルサイトでファンに人気曲を募り、それを元にビュークが選曲をしたということになっている。ということなので、これから彼女の音楽に触れてみようという方にもいいかもしれない。このベスト盤は1993年にソロ活動をはじめ、2001年の『Vespertine』までの約8年間の活動の間にリリースされた4作品から選ばれている。先に触れたように、どの曲にも旧作感がまるでない。最新作だと言われても納得できてしまうくらい、新旧の差がないのだ。

前例のない個性と歌声が衝撃的だったデ
ビュー

 変な子が出てきたものだと思った。音楽雑誌に書かれたプロフィールを読まなければ、彼女は未成年だと思っていたし(シュガーキューブスでデビュー時23歳)、そのルックスから推察するに、もしかすると日本人? あるいは、モンゴロイド系とアイスランド人のハーフではないのか?…と。実際はことごとく違っていたのだが、幼女の頃にはアイスランドにおいても周囲から日本人に似ていると言われ、本人も日本というもの、とりわけ文学(特に三島由紀夫)などに対して意識もしていたというから、私の最初の彼女に対する印象もまったく的外れではなかったというか、何というか。現在は50歳ということなので立派なオバちゃんということになるが、あまり風貌は変わっていない気がする。アメリカ人のアーティストによくあるように、中年になって体型、風貌が激変するということもなく、今も妖精的な雰囲気を漂わせている。
 いい意味で“元祖”不思議ちゃんかもしれない。名前からして本名をビョーク・グズムンズドッティル (Bjork Gudmundsdottir)といい、ビョークは“白樺”、舌を噛みそうなグズムンズドッティルというのは“グズムンズヅールの娘”を意味するんだそうな。アイスランド語で歌われているものは対訳でも読まなければ、どういったことが歌われているのか見当もつかなかったし、実際に歌の内容を知ればなおのこと不思議ちゃんだったというか。また、今も昔もポピュラー音楽界、とりわけロック分野においては米英中心というか英語圏優先であり、それ以外の国から出てくるアーティストは極めて稀だった。特に女性アーティストはなおさらだった。あるとしてもせいぜいフランスぐらいで、ドイツにはニナ・ハーゲンとかユニークな個性派はいたけれど、せいぜいそれぐらい。
 探してみればいないことはない。世界的なメガヒットを連発したアバ(ABBA)なんてスウェーデンだし、「ヴィーナス」のヒットで知られるショッキング・ブルーはオランダではないかと。それにしてもアイスランドとは驚きというか、普段の生活の中から完全に抜け落ちている国だったものだ。そんな国にもパンクロックの波は押し寄せ、それまでは普通のロックを聴いていた彼女は大きな意識改革まで起こし、冒頭のシュガーキューブスのようなオルタナティブロックに舵を切ったということらしい。
 彼女の経歴とか、生い立ちとかはあまり知らない。伝記本のような類のものも出版されているようなので、より詳しくビョークのことを知りたい方はそちらのほうを探ってみることをお勧めする。と言いつつ、少しだけ経歴に触れておくと、彼女は正式には冒頭に挙げたシュガーキューブスでデビューしたというよりは、12歳の時にアイスランドの童謡を歌ったアルバムでデビューしている。これが素晴らしかったらしく、彼女は国民的な人気を得たという。現在、このアルバムを入手することができるのかどうか、いろいろ調べてみたが分からなかった。4歳で作曲を始めたというから、自己表現の何たるやをそのころから身に付けていたと思われる。そういうこともあったからか、前述のアイスランド童謡を歌ったアルバムが大ヒットしようが、自分の曲がひとつも収録されていないために彼女は不満だったという。また、7歳の頃からアカデミックな音楽教育を受けていたようなのだが、反面教師というか、パンクロックの波をかぶって以降、彼女の中ではその世界に対しては否定的なものになっているらしい。
 アカデミックな音楽教育(主にフルート、ビアノ、クラシック音楽を学んだとか)。その経験は少しも無駄になっていないと思われるし、実際に彼女の音楽の随所に生かされている。分かりやすいものでは、とにかくその作曲能力のすごさだろうか。よくあるロックやフォークのシンガーが楽器を弾きながら曲を作るというふうな生やさしい、いい意味での鷹揚な作りが、ビョークの作品には感じられない。散歩でもしながら頭に浮かんだ曲がコンピュータ並の緻密さでしっかり脳味噌に記憶されており、家に戻ってその時はさすがにピアノでも鳴らしてキーやピッチを確かめながら、一心不乱にスコアに書き留めているのではないだろうか。それも複数の楽器のパートも、アレンジも。いや、もちろん、散歩しながらなのかどうかは分からない。CDとなって我々の耳に届けられた音は凄まじいばかりだから。彼女がどのような精神状態で、そしてどのような環境下で、曲を想念したのか、それは凡人には想像もつかないよう世界に思える。
 それから、彼女の表現力以上にあまり言われることがないが、彼女の正確なヴォイシングは半端ないもので、どの歌も恐るべき正確さで歌われる。間違いなく絶対音感の持ち主であり、とてつもない歌唱力の持ち主だと思うのだ。実に個性的な歌い方だし、都はるみばりに唸ったりもする。それに気を取られて、パンキッシュなヴォーカリストと思われているところもあるが、よくよく聴くと、ロック界でもたぶん10指に入る歌唱力の持ち主ではないかと。冒頭で触れたソロデビュー前に出た、彼女が地元アイスランドのジャズトリオとともに録音した『Gling-Glo』('90)ではスウィングジャズを歌っている。もちろん唯一無二な彼女であるから、ジャズといってもその独自解釈にかかれば、あくまで“ビュークのジャズ”に仕立て上げられているのだが、これが見事な歌いっぷりなのだ。ソロデビュー後の通算3作目となった『Post』('95)はそれこそジャズからテクノ、シュールなエレクトロニック・ポップ、インダストリアルロック風なものまで多彩な曲を歌っているが、他のアルバムに比べて耳に馴染みやすいメロディーのものが多いことも手伝って、彼女のヴォーカリストとしての力量が伝わりやすいアルバムかもしれない。
 それから、やはり彼女のアーティストとしてのすごさ、魅力はビジュアルアートを抜きには語れないだろう。アルバムカバーを見ただけでも、彼女はこうした方面にも手綱を緩めないでいることが分かるが、自身のメイクアップ、ヘアスタイル、衣装、さらにそれを纏ったライヴパフォーマンスにおける映像とのミックスなど、過剰とも言えるくらいの徹底ぶりだ。自分のセルフイメージはどうであるのか、それを魅せるにはどうするべきなのか、よく分かっている人なのだろう。ヒット作などを出してスター路線を走り出すと、プロダクション、スタッフが増え、会社主導のイメージ戦略が始まり、最初のうちは良かったものの、次第にズレが生じ、気が付いたらすっかりセンスの悪いものばかり連発…というパターンは少なくない。アーティスト自身がアート、ビジュアルを理解し、切磋琢磨しているからこそ、素晴らしいものができるのであって、分業、お任せコースではクリエイティブなものはじきに枯れる。
 こうした試みはロック界を探せば、古くはピンク・フロイド、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、デヴィッド・ボウイ、ジェネシスおよびピーター・ゲイブリエル、ケイト・ブッシュ、ローリー・アンダーソン、ダニエル・ダックスといったあたりが先駆者だったが、ほとんど自身のキャラクターそれ自体がアート作品化しているビョークのそれは、とにかく音楽姓の高さが抜きんでていてすごすぎる…。私はまだライヴ映像作品とかは持っておらず、オフィシャルに公開されている動画などを観る程度なのだが、そのどれもが現代アートの領域にあると、言えなくもない。そう、実際に今年3月8日からは米国ニューヨークのMomaこと、近代美術館では過去20数年にわたるビョークの音楽、美術活動を振り返る大規模な回顧展が開催されている。現代アートの殿堂とも言えるこの美術館で展覧会が企画されるアーティストなど、音楽界で過去にいただろうか。
 決して分かりやすいポップスと言えるアルバムを一枚たりとも彼女は作っていない。そもそも、ポップスの範疇に入れられているが、全然ポップスじゃないのではないかと思う。聴く人によっては難解と感じるに違いない。歌詞も思いっ切りシュールだったり、ラディカルだ。聴きながら一緒に歌ったり、つい口ずさんだりというのもきっと無理だ。それに例えば、こうした方面に疎い彼、彼女とビョークのアルバムを部屋で聴いたりすると、きっと相手は無口になって気まずい空気が流れてしまいかねない。あえて言えば、ビョークが好きな人は女性のほうが多いような気もするのだが、そう想定してみれば、ビョークが理解できない人(彼)とは付き合わないほうが身のためではないかと。まかり間違っても恋人とか夫婦にはならないほうがいいように思う。きつい言い方をするなら、ビョークの素晴らしさを理解できる人間とそうでない人間との間の差異がとてつもなく大きいような気がするのだ。
 それでも音楽性、ルックス、ファッション、表現スタイルまで、彼女の登場以降、多くのフォロワーを生んだように思う。影響力の強さは半端じゃないと言える。過去に映画の主演女優に抜擢されたことも、きっと映画制作者は、音楽だけでなく、ビョークの異端とまでは言わないが、特異なキャラクター、その存在感から放たれてくるオーラに魅せられのことだろう。ちなみに賛否両論あるが、ビョークがカトリーヌ・ドヌーブと共演していることでも話題を集めたその映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』('00)は、第53回カンヌ国際映画祭では最高賞であるパルム・ドールを受賞し、ビョークは映画主演2作目で主演女優賞を獲得した。ちなみに1作目の映画は『 ビョークの“ネズの木”〜グリム童話より』('86)だ。
 日本へも3度にわたる『Fuji Rock Festival』への参加も含め、たびたび来日している。近年の『Biophilia 』(2011)のライヴなどを観ると、ステージも大がかりなものになり、オーケストラの共演やバックアップミュージシャンの数なども非常に多く、簡単にコンサートツアーを行なうこと自体が大変そうだが、新譜のリリースに合わせて、ぜひまたその姿を日本のファンに見せてほしいものだと思う。

著者:片山明

OKMusic編集部

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