夭折の天才ギタリスト、
トミー・ボーリンが残した
ソロデビュー作『ティーザー』

『Teaser』(’75)/Tommy Bolin

『Teaser』(’75)/Tommy Bolin

世に天才と呼ばれるギタリストは多いが、その中でもトミー・ボーリンは別格だ。彼は10代の頃からロック、ジャズ、フュージョン、ブルース、カントリーに至るまで何でも弾けたのである。こんな多彩なギタリストは他にいないだろう。また、指弾きだけでなくスライドもべらぼうに上手いのだから、どんな幼少期を過ごしたのか知りたいものだ。日本ではリッチー・ブラックモアの代わりにディープ・パープルに参加したことで知られているぐらいだが、彼の豊かな才能はグループのギタリストという立場では発揮できないと僕は考える。ソロアーティストとして一流のセッションマンと一緒にバラエティーに富んだ作品を作り上げることで、初めて彼の才能は開花するのだ。ボーリンのソロデビューとなる本作『ティーザー』は、そんな彼の才能がよくわかる傑作となった。

ビリー・コブハムの
『スペクトラム』での驚くべきプレイ

手数の非常に多いドラマーとして知られるビリー・コブハムは超絶ギタリストのジョン・マクラフリン率いるマハビシュヌ・オーケストラのメンバーで、コブハムにとって初となるソロアルバム『スペクトラム』(‘73)を制作する際、トミー・ボーリンに参加を要請する。72年、20歳のボーリンはエナジーというジャズ/フュージョン系(もちろん、当時はフュージョンという概念はまだないので、かなり先進的なサウンドであった)のグループでライヴ活動を精力的に行なっていて、特にジャズ系のアーティストから「すごいギタリストがいる」という噂が飛び交っていたから、コブハムもそのライヴに足を運んだのである。ジョン・マクラフリンという優れたギタリストと一緒にやっていたコブハムだけに、ギタリストを見る目は厳しかったはずだが、それだけ無名のボーリンのギタープレイが並外れていたわけである。

『スペクトラム』はジャズだけでなく、プログレや実験音楽の要素までも含んだまったく新しいサウンドで、まさしくフュージョンの黎明期以前にリリースされた画期的な音楽性を持つ作品だと思う。ギターはボーリンとジョン・トロペイ、ベースにはジャズ界の巨人ロン・カーターと、ジェームス・テイラーやジャクソン・ブラウンのバックでラス・カンケルとのコンビで知られるウエストコーストロックを支えるリー・スクラーという不思議な人選であったが、ここでボーリンはジャズ/フュージョン的なプレイとハードロック的なプレイを併せ持ったようなシャープな演奏を披露し、ジャズとロックのアーティストたちに衝撃を与える。

リッチー・ブラックモアはもちろん、当時のハードロックのプレーヤーたち、そして特に影響を与えたのはジェフ・ベックであった。ベックはこのアルバムのボーリンのプレイにヒントを得て、『ブロウ・バイ・ブロウ』(‘75)や『ワイアード』(’76)を制作することになるのである。『スペクトラム』での渾身のプレイは間違いなく彼を代表するキャリアのひとつである。

ゼファーでの先進的なギタースタイル

1951年生まれのボーリンは幼少期にドラムとピアノを始め、13歳頃にはロックに夢中になりギターを手にしている。いくつかのバンドで腕を磨き、その後、ゼファーというサイケデリックブルースロックのグループに加入する。ゼファー在籍時には『ゼファー』(‘69)と『ゴーイング・バック・トゥ・コロラド』(’71)の2枚のアルバムに参加している。ボーリンのギターはすでに完成されており、当時のアメリカンロックのギタリストとしては珍しく、スワンプロックやサザンロック風のプレイだけでなくブリティッシュ系ハードロック風のプレイもできるプレーヤーとして、彼の認知度は高まっていく。しかし、ゼファーの難点は音程の定まらない女性ヴォーカルにあった。当時、大いに人気のあったジャニス・ジョプリンやマザーアースのトレーシー・ネルソン、コールドブラッドのリディア・ペンスらの真似に終始していただけに、グループは一向に目が出なかったのである。ゼファーの演奏自体は素晴らしいだけに残念ではあったが、結局、ボーリンは脱退し、前述したエナジーを結成する。

OKMusic編集部

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