カーラ・ボノフの
ソロデビューアルバム
『カーラ・ボノフ』は
傾聴すべき名曲が満載

『Karla Bonoff』(’77)/Karla Bonoff

『Karla Bonoff』(’77)/Karla Bonoff

アサイラムに移籍してからのリンダ・ロンシュタットの作品はどれもいい(特に70年代)が、7thアルバム『風にさらわれた恋(原題:Hasten Down The Wind)』(‘76)は、それまでの彼女のキャリアを通して最も素晴らしい仕上がりになっている。その理由のひとつにソロの初期にバックを務めていたイーグルスが独立し、アンドリュー・ゴールドやケニー・エドワーズが参加するようになったことで音楽の幅が広がったことが挙げられる。もうひとつの理由は、このアルバムに当時は無名の新人カーラ・ボノフの曲が3曲取り上げられ、そのどれもがアルバムのハイライトとも言うべき名曲であったことだ。ということで、今回は『風にさらわれた恋』の翌年にリリースされたカーラ・ボノフのソロデビュー作『カーラ・ボノフ』を取り上げる。

ストーン・ポニーズとブリンドル

ロンシュタットはソロになる前、ボビー・キンメル、ケニー・エドワーズと一緒にストーン・ポニーズというフォークロックグループを結成していた。67年には「悲しきロックビート(原題:Different Drum)」が全米で大ヒットするのだが、ロンシュタットひとりに注目が集まり、ソロ歌手として引き抜かれることになる。グループは解散し、キンメルはアメリカーナ系グループのフローティング・ハウス・バンドを結成、エドワーズは、彼より少し下の世代のブリンドルというグループに合流する。

ブリンドルはアンドリュー・ゴールド、ウェンディ・ウォルドマン、そしてカーラ・ボノフ、ケニー・エドワーズの4人組である。メンバー全員が個性的なシンガーソングライターであり、楽器やコーラスも巧みにこなせる新しいタイプのユニットであった。ブリンドルは大手レコード会社のA&Mと契約、70年にはシングル1枚をリリースするのだが、クロスビー・スティルス&ナッシュの『クロスビー・スティルス&ナッシュ』(‘69)、ジェームス・テイラーの『スイート・ベイビー・ジェームス』(‘70)、キャロル・キングの『つづれおり』(‘71)などと同時期のレコーディングであり、SSW系サウンドに注目が集まる直前のことであったから、ポップス中心のアーティストを取り扱うA&Mでは彼らをうまく売り出すことができず、グループは解散してしまう。

コーディネーター、ケニー・エドワーズ

ストーン・ポニーズもブリンドルも、ウエスト・ハリウッドにある若手シンガーの登竜門として知られるライヴハウス『トルバドール』に出演していたから、お互いよく知った仲で、またエドワーズはどちらのグループにも関わっていただけに、両グループの長所を把握していた。エドワーズはロンシュタットの大ヒットアルバム『悪いあなた(原題:Heart Like A Wheel)』(‘74)のサポートメンバーとしての参加が決まると、アンドリュー・ゴールドとウェンディ・ウォルドマンにも声をかけている。このアルバムでゴールドはギター、キーボード、ドラム、ウクレレ、パーカッション、バックヴォーカルなど、マルチ・インストゥルメンタリストとしての大きな役割を果たし、このアルバム以降はエドワーズとともに70年代のロンシュタットを支える主要メンバーとなる。

すでにロンシュタット作品に参加していたウォルドマンと同じく、仲間のカーラ・ボノフが優れたソングライターであることを証明しようと、エドワーズとゴールドはロンシュタットにボノフの曲を聴かせてみた。するとすぐに「他にはないの?」と催促され、ボノフ本人にデモ演奏を依頼している。そして、『風にさらわれた恋』で3曲も起用されることになるのである。これはエドワーズのコーディネーター的手腕が存分に発揮されたエピソードだと思う。結果、ロンシュタット作品にブリンドルのメンバー全員が関わることになる。

ゴールドとエドワーズはこの後も継続してロンシュタットのバックを務め、ウォルドマンはワーナーと、ボノフはコロンビアとそれぞれ契約が決まるのである。多彩な音楽性を持つウォルドマンがワーナーというのは理解できるのだが、ボノフがアサイラム向きのSSWなのは明らかなのに、なぜアサイラムと契約しなかったのか、僕は今でも不思議に思っている。

OKMusic編集部

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