グランド・ファンク・レイルロードの
『ライヴ・アルバム』は、70‘sロッ
クの魅力がぎっしり詰まった名作

1971年に来日した際の後楽園球場で行なわれた嵐の中でのライヴは伝説となったが、今ではそれも神話と化して、なぜか忘れられた存在になっている。爆音、パワフル、シンプル、印象的なギターリフ…など、僕は彼らの音楽にこそロックの真髄があると思うのだが、思えばその分かりやすさが逆に仇となって、子供っぽいとか深みがないなどの心ない意見が増えたのかもしれない。彼らの4thアルバムとなる『ライヴ・アルバム』は、グランド・ファンク・レイルロードの代表作であるばかりでなく、ロック史上に残る屈指の作品だと思う。70年代前半のロックの熱さがよく分かるライヴなので、是非聴いてもらいたい。

70年代前半のブリティッシュハードロッ
クとアメリカンハードロック

1960年代の後半から70年初頭にかけて、ロックの演奏技術は格段に向上し、ジミ・ヘンドリックス、レッド・ツェッペリン、クリーム、キング・クリムゾンらに注目が集まっていく。彼らは長丁場のライヴや高度な即興演奏など、芸術的な側面さえ感じさせることもあったから、ニューロック(1)とかアートロック(2)などと呼ばれ、それまでの“ポップなロックとは違う高度な音楽”という位置付けがなされた時代であった。
ブリティッシュ勢は、アメリカにルーツを持つブルースやR&Bに憧れていたミュージシャンたちがほとんどで、黒人音楽とフリージャズや現代音楽などをもミックスしつつ、独自に創造したハードロックを生み出していた。ところがアメリカ勢は、そもそもブルースもR&Bも“本場”なのでイギリス人のようなコンプレックスは持っておらず、ブルースやR&Bというよりは、流行りのポップスをハードロックにアレンジするというパターンが少なくなかった。
両者の違いは、イギリスではアメリカ発のブルースやR&Bをアレンジし、ハードロックに進化させていったが、本場アメリカのハードロッカーは、ブリティッシュロッカーが編み出したハードロックスタイルを逆輸入し、アメリカ独自のポップスモータウンサウンド(3)やブリルビルディングサウンド(4)等を混ぜ合わせ、アメリカンハードロックなるスタイルを創り上げているところだろう。
そんなこんなで、ブリティッシュハードロックのほうが重厚で深みがあり、アメリカンハードロックはシンプルで軽薄だと思われがちであるが、改めてアメリカンハードロックを聴いてみると、ロックの楽しさがいっぱい詰まっていて、グランド・ファンクを忘れてる場合じゃないぞと思った次第。

大規模フェスの増加とロックのスタイル

70年前後には、20万人以上を動員するような屋外での大規模フェスが増加し続け、それまでの屋内会場でのライヴとの違いが一目瞭然となってきていた。『モンタレー・ポップ・フェス』(67年)、『ウッドストック・フェス』(68年)、死者を出した『オルタモント・フリーコンサート』(69年)などでは、ジミヘン、ジャニス、サンタナら爆音のミュージシャンが一夜でスターになっている。しかし、例えばフォークロックや弾き語りのミュージシャンが得意とするのは繊細なサウンドで、フェスなどよりも小さい会場が適しているのは明らかだ。逆にハードロックのグループは音が大きいので、屋外の大規模フェスのほうが適している。また、ベトナム戦争での世界不安などもあり、若者たちはフラストレーションのハケ口を大音量の音楽に見出そうとしていた。要するに、時代はハードロックを求めていたのである。

グランド・ファンク登場

グランド・ファンク・レイルロードは、レッド・ツェッペリンらブリティッシュロックに影響され、当時アメリカではまだ少なかったハードロックグループとして69年に結成された。マーク・ファーナー(Gu)、メル・サッチャー(Ba)、ドン・ブリューワー(Dr)の3ピースで、プロデューサーにはかつてのバンドの同僚で、レコード業界に顔がきくテリー・ナイトが担当することになった。
デビューは『アトランタ・ポップ・フェス』(69年7月開催。南部の中規模フェス。12万人参加)で、新人ではあったがそのハードでキレの良いサウンドは観客を魅了し、同年10月にはツェッペリンのアメリカツアーの前座に抜擢され、あっと言う間に彼らの名は全米に知れ渡る。
そして11月、キャピトルからデビューアルバム『グランド・ファンク・レイルロード登場(原題:On Time)』をリリースし、新人でありながら全米チャート27位を獲得すると、その翌年にはゴールドディスク認定など、華々しいデビューとなった。デビューコンサートからアルバムリリースまで数ヶ月ということを考えると、このへんの仕掛けはテリー・ナイトの手腕によるものが大きいと僕は思うが、どちらにしても、彼らのスタイルが時代にマッチしていたことは間違いない。
そのサウンドは、マウンテンと並び後のアメリカンハードロックの原型となるもので、ブリティッシュハードロックとはまったく違うものだ。カラッと乾いたシンプルな音作りで、ポップなメロディーと覚えやすいリフが印象的なスタイル。翌年にリリースされた2nd『グランド・ファンク(原題:Grand Funk)』には彼らの代表作「孤独の叫び(原題:Inside Looking Out)」が収録され、この曲に当時の日本のロック少年たちは狂喜していた。同アルバムは全米チャート11位まで上がっている。
ちなみに、中学1年生だった僕は少ない小遣いから『ベスト・オブ・グランド・ファンク(日本で人気が高かったのか、これは日本編集のベスト盤)』を買い、何度も何度も聴き狂っていたが、周囲のロック少年たちも同じ状況であった。
3rdアルバム『クローサー・トゥ・ホーム(原題:Closer To Home)』は70年のリリースで、デビュー3作目にして全米チャート6位に食い込んでいる。
こうやってみると、グループ結成→フェスに参加→ツェッペリンの前座→1stリリース→2ndリリースまでがデビュー年の69年、70年には3rdリリース→『ライヴ・アルバム』(本作)リリース…という超ハイペースでアルバムをリリースしていることが分かる。もちろん、どの作品もレベルは高いので、彼らの創作欲が旺盛であったことがよく分かる。そして、翌71年には旬の状態での来日が決定し、雨風吹き荒れる中での後楽園の伝説のライヴが行なわれるのである…。中2の僕は残念ながら行けなかったので、このライヴについてのコメントはできない…。

本作『ライヴ・アルバム』について

全11曲収録だが、冒頭の「Introduction」と「Words Of Wisdom」はMCなので曲自体は9曲。収められた曲は既発のアルバム3枚からセレクトされている。ただし、3枚目からは「Mean Mistreater」の1曲のみ。ジャムセッションっぽい「Mark Say’s Alright」はシングルのB面曲だった。
本稿のため、このアルバムを20年ぶりぐらいで聴き直してみたのだが、やっぱり素晴らしい♪ マーク・ファーナーの巧くはないがロックスピリットを感じさせるギタープレイ、そして歌心のあるヴォーカルはやっぱりカッコ良い。メル・サッチャーは、ベースをギターのように弾くことで彼のフォロワーは多かった。ベースは相当巧い。ギターのように弾くのはトリオで音が少ないからそれを考えてのことだろうが、彼にしかできない独特のフレージングが個性的だ。ドン・ブリューワーのドラムは「T.N.U.C」でソロが大きくフィーチャーされている。彼はジンジャー・ベイカー(元クリーム)と似た雰囲気を持っていて、ライヴ時に観客を煽るドラミング術を知っているのは大きな強み。
収録曲の中で「Inside Looking Out」「Heartbreaker」の2曲は、彼らの数多い楽曲の中でも飛び抜けて素晴らしいナンバーだ。ロック史上に残る名曲だと確信しているし、本盤での演奏はまさに名演。特に12分以上におよぶ「Inside Looking Out」のグルーブはこの時代のロックにしか聴けないもので、これこそが“ロック”の概念そのものなのである。

著者:河崎直人

OKMusic編集部

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