テリー・ボジオのドラムが炸裂する
ブレッカー・ブラザーズのライヴ盤
『ヘヴィ・メタル・ビ・バップ』

『Heavy Metal Be-Bop』(’78)/The Brecker Brothers

『Heavy Metal Be-Bop』(’78)/The Brecker Brothers

ジャズロックという範疇では、ソフト・マシーン、ニュークリアス、ブライアン・オーガー、ヘンリー・カウといったイギリス勢の豪華な布陣に比べて、アメリカのグループはとても少ない。それは、そもそもジャズロックがイギリスの得意とするプログレや実験音楽と密接な関係にあるからだろう。アメリカにおいて、イギリスのジャズロックと似た性質を持つのはブラスロックかもしれない。才人アル・クーパーが1967年に結成したブラッド・スウェット&ティアーズ(以下、BS&T)はブラスロックの先駆けとして知られるが、その少し後にはシカゴやチェイスなどの人気グループの登場でブラスロックは日本でも市民権を得る。今回取り上げるブレッカー・ブラザーズの『ヘヴィ・メタル・ビ・バップ』は、彼らの4枚目のアルバムで、ブラスロックとジャズロックのスピリットを持った硬派のフュージョン作品である。ドラムにはフランク・ザッパのバックを務めていたテリー・ボジオを迎えている。1曲目以外はライヴ収録ということもあって、ボジオの激しいプレイが他のメンバーを煽りまくっており、彼らのアルバム中、最もラディカルな仕上がりとなっている。

BS&Tとドリームス

BS&Tの存在がきっかけとなり、1969年にジェフ・ケントとダグ・ルバーンによって生まれたドリームスは、ドラムにマイルス・デイヴィスの『ビッチェズ・ブリュー』や『ジャック・ジョンソン』に参加したビリー・コブハムを擁するなど、ジャズサイドからブラスロックを展開したハイレベルのグループであったが商業的に成功せず、2枚のアルバムをリリースしただけで解散することになる。

ブレッカー・ブラザーズは、兄ランディと弟のマイケルからなる文字通りの兄弟グループで、BS&Tにはトランペットとフリューゲル・ホーンの兄ランディ・ブレッカーが参加しており、ドリームスにはランディと弟のマイケル・ブレッカーが在籍していた。ロック寄りのBS&T(2ndアルバムからはジャズ色が濃くなるが)とジャズ寄りのドリームスに参加した後、ソロアーティストとして、またスタジオミュージシャンとしてロックやジャズの数々のセッションに参加して、ふたりはすぐに頭角を表す。

ブレッカー・ブラザーズ結成

74年に、アリスタレコードからグループの結成を促されたブレッカー兄弟は、ドリームスの同僚で売れっ子ミュージシャンとなっていたドン・グロルニック(Key)、ウィル・リー(Ba)、ボブ・マン(Gu)の3人に加えて、ニューヨークでソロ活動をしていたデイブ・サンボーン(A.Sax)にも参加を要請、グループ結成に至る。当初、ドラムの人選が難航し、1枚目のアルバムの大半をハーヴィ・メイソンがゲストとして叩いているが、ポール・バタフィールドのベターデイズにいたクリス・パーカーが遅れて参加することになった。パーカーはニューヨークではよく知られた敏腕ドラマーで、彼は同時にコーネル・デュプリーやリチャード・ティー、スティーブ・ガッドらとスタッフを結成することが決まっていたが、ブレッカー兄弟から「掛け持ちでもいいから参加してくれ」と言われ、承諾している。

75年に代表曲「サム・スカンク・ファンク」を含むジャズファンク的な1枚目のアルバム『ザ・ブレッカー・ブラザーズ』をリリースし、スタッフの『スタッフ!』(‘76)やジョージ・ベンソンの『ブリージン』(’76)に先んじて、後のフュージョン作品の手本となるサウンドを提示した。このアルバムはグラミー賞3部門にノミネートされるなど、彼らの名前は世界の知るところとなった。

翌年の76年には、1stアルバムと同様ジャズファンクを中心にしつつもヴォーカルの強化を図った2ndアルバム『バック・トゥ・バック』を、77年にはディスコも視野に入れた少し軽めの3rdアルバム『ドント・ストップ・ザ・ミュージック』をリリースし、幅広いオーディエンスを獲得することに成功するのだが、この3作目あたりから耳ざわりが良くなり過ぎて、僕は彼らに興味を失いかけていた。ドリームス時代の盟友、ビリー・コブハムはジョン・マクラフリンのマハヴィシュヌ・オーケストラで硬派のジャズロックを極めていただけに残念な思いであったが、彼ら自身そのことをよくわかっていたのかもしれない。

OKMusic編集部

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